微かな異音に気がついたのは、イサムが最初だっただろうか。それとも、格納庫に入れてもらえず上の階にあるオペレーター室から見下ろしている所長と呼ばれた猫だろうか。
クリーンルームを越え、格納庫にやってきた三人を襲ったのは人間には聞き取れない、電気の波。
「ミク!」
「なーーー!」
ヘッドセットの左側についていたLEDが消えていた。
バランスを崩しかけ倒れはじめていたミクを、イサムの腕が床ギリギリで捕まえる。ミシリと、いやな音が響いた。そしてミクの重さに堪え切れなかった左腕があげた悲鳴は、イサムだけでなくミクも聞いていた。
部屋の埃がたまらないように、床は鉄柵でできている。倒れこめば、人間だって軽い怪我ではすまないだろう。何とか頭を打ち付けるまえに、イサムが助けられたからよかったがこのままミクが倒れていたら、頭部のヘッドセットどころか彼女のシステムそのものに損害を与えていたはずだった。
「大丈夫?」
それを言いたいのはこちらだと、ミクは目の前の馬鹿面にいってやりたかったが何とか堪える。
――その左腕は大丈夫ですか?
言葉は飲み込み、体で答えを示す。
「よっかった。ヘッドセットこわれた?」
「高周波で一部回路が焼けました。通常活動に支障はありません。安心してください。過電流で一瞬ブラックアウトしただけです」
それは奇跡に近い偶然だった。レーダーと彼女がもっていたヘッドセットが共鳴してしまったのだ。本来高い電圧に耐える設計になっていないヘッドセットは一瞬にして回路のいくつかとヒューズを飛ばして機能を停止してしまった。
だが、それだけだった。運がよかったとしかいいようがない。
「大丈夫ですか!?」
研究員があわてて走りよってくる。
「すみません、こいつが見慣れない人を見つけて驚いたみたいで」
言ってさしたのは、探査船だった。
◇
とりあえず、簡単な検査だけでも。そういわれてミクは、同じ建物の別室にきていた。本来、電子部品のハードチェックをする場所らしく簡素で味気の無い部屋だ。椅子もひとつしかなく、ミクが座るための椅子が別室から運び込まれていた。
彼女のひざの上には、所長がいた。心配してきたのかと思ったが、ミクのひざの上で丸くなって目をつぶっていた。
「ああ、なるほど……それで」
かちかちと、不思議な装置をいくつかいじりながら研究員がつぶやいた。イサムはというと、ヘッドセットの部品注文をしてくると建物から出ていた。相変わらず心配性だと彼女は思う。
「何か、異常はありましたか?」
心配そうなミクに研究員はやわらかい笑みを返す。
「異常はありません、原因がわかっただけですよ」
「原因?」
そういうと、研究員はすこし笑って眼鏡を引き上げた。
「貴方がほとんどの機能をサスペンドしていたからです」
「え?」
「表情用のアクチュエーターの実に三分の二、身体部分はさすがに落とせませんでしたか。かわりに、思考システムのいくつかを殺してますよね。本来あるはずのプロセスの半分ほどしか貴方は動かしていない。しかし効率的に落としてますね、コレじゃぎりぎり限界だ。そうですね……代わりに燃費はとてもいい、通常起動の半分ちかく節約してますね」
「!」
「その所為で廃熱も少なかったんです。ほぼサスペンドのような状態ですから外気温とほぼ同じ。室内温度の上昇が二名分なのに入室が三名になっていたので、不安になって状況走査をしようとしてレーダーを起動してしまったんですね。なぜそんなことをしているのか理由は聞きません、貴方とイサムさんの話ですから。ただ」
「ただ」
「私は、イサムさんは幸せ者だと思います」
ミクは反応できなかった。いくつかのプロセスがキックされたが、そのすべてを起動段階で殺していく。必要の無い思考は無駄な電力を消費する。それはバッテリーを早くなくすことだ。充電すれば済むが、
「電気は無料ではありませんし。バッテリーもまた、充電限度回数が存在します」
そういって、研究員は微笑むと背を向けた。
「なー」
ひざの上で丸くなっていた所長が顔をあげて一声あげた。
「裕福じゃないので、仕方ありません」
「本当に?」
「他意はありません」
これ以上何を言っても答えは同じだとばかりに、ミクは目をつぶり所長をなでた。
研究員は申し訳なさそうに頭をかくと、ミクに背を向けて作業を再開しはじめる。
「ミクは!?」
研究所内のドアロックを空けるためについていった所員を伴い、イサムが部屋に飛び込んでくる。
「ええ、大丈夫ですよ。すみません、こちらの手違いで……しゅう――」
咳払いをひとつ。無理やり言葉を飲み込む。
「治療費は、こちらで出させてください。すでに完成し調整中の探査船が誤作動だなんてこちらとしてはとにかく頭を下げるほかないですから」
「いや、でも。ホンの一万円ぐらいですし。ヘッドセットだけですから」
「じゃぁ一ヶ月、ヨーグルトなしですね」
ミクがイサムも見ずに、猫をなでながらつぶやく。
「ええええええええええ!!!」
今日一番の叫びが、研究所に響いた。
驚いたのか、所長がびくりと体を震わせてあたりを見回していた。
◇
「はい、すみません。ありがとうございます」
結局二人はミクの部品代をもらうことになった。
「いえいえいえいえいえ、謝るのはこっちですよ。本当に申し訳ない」
「口止め料ということですね」
「こらミク!」
「はははは、そういう意味でいうなら、まったく額面足りてませんね。こまりましたね」
背の高い研究員は白衣を揺らしながら頭をかいている。
痩せ型で背がたかく、遠くからみたらマッチのようにすらみえる姿だ。
「いや言いませんよ。そんなこと! 探査船見せてもらっただけでも」
「あぁ、そうだ。イサムさん、曲作ってるっておっしゃってましたよね」
「え? ええ」
「特別枠ってわけじゃないんですが、うちの研究所から一曲選曲してかまわないといわれてるんですが、どうです? 曲つくってみませんか」
ゴールデンレコード。
遠く地球をはなれ、果ては太陽系を脱出する探査船には大抵つきものといってもいい。実際もうだれも宇宙人なんて信じていないだろう、もしかしたらのその可能性にかけて予算が下りる時代はとっくにすぎていた。もう残ってるのは形骸のようなもので、どちらかといえば宣伝や資金集めに使われるものだ。
「意味なんてないんですよもう」
昔は本気の人も大勢いたんですけど、もう数えるほどになりました。そういって寂しそうにな顔をした研究員は、笑って自分の感情を切り捨てる。
「ですから、公募をつのることで注目をあつめたり、報酬のひとつとして枠が与えられたりしてるんです。もうただの記念碑的なものですね、はやぶさと似たようなものです」
「そういや、はやぶさは名前でしたっけ」
「ええ。今回はまぁ名目上宇宙人へのメッセージ。実質抽選であたるタイムカプセルといったところでしょうか。いまだ、何にしようかなんて会議もやってないんです、もしよかったら僕からイサムさんの曲を推すことは――」
「んー、やめときます」
「え?」
驚いた声を上げたのはミクと、前をあるくイサムを案内していた所員。逆に、嬉しそうに目を細めたのは、所長を抱いている研究員だった。
「普通に応募するつもりなんで。それに、部品代出してもらっただけで十分です。……あーそうだ!」
「どうしました?」
「また遊びに来ていいですか?」
「所長でしたら――」
研究員の言葉を遮って、イサムは首を振る。
「いや、あの探査船みながら曲つくりたいなーっつーか」
「あー、なるほどなるほど。ではゲスト用のカードキーを作りましょう。いくつか守ってもらわないといけない、規約はありますが――そうですね、アルバイト。という形でこちらに来てもらうというのはどうですか?」
「いいんですか?」
「曲ができたら、ぜひ聞かせてください」
欲をかかないというか、楽しいこと優先なイサムの相変わらずの能天気さに、ミクは少しだけ目を細めて笑う。声にはださなかったが、所長は気がついたのか一瞬だけミクに視線をよこして顔を彼女にこすり付けた。
Re:The 9th 「9番目のうた」 その4
OneRoom様の
「The 9th」http://piapro.jp/content/26u2fyp9v4hpfcjk
を題材にした小説。
その1は http://piapro.jp/content/fyz39gefk99itl45
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