住所は、工場だった。しかも誰でも知ってるような大きな会社の名前を冠している工場だった。それだけ大きければ、工場内の住所も存在してそうだが首輪にはかかれていなかった。
ミクの疑問をよそに、真っ白なその猫は眠そうに目を細めてあくびをひとつ。ほかに記述がないかと調べてみたものの、デコードできないというよりプロトコルに準じない羅列がみつかっただけだった。統一性があるとしたら、バーコード記述であるということぐらいだった。
「連絡しようにも電話番号がいっぱいありますし、守衛さんに引き渡したほうがはやいかもしれませんね」
「じゃぁ散歩がてらそこにいこうか」
そんなやり取りのあと、二人は猫をともなって家をでた。
電車で二駅。歩けない距離ではないし、歩けない距離が開くほど田舎でもない。一時間も歩けばつくだろう。
猫のピート――実際首輪に書かれている名前は違うが――はイサムの腕の中で眠そうに丸まっている。なにかの拍子に逃げ出したりしなければいいのだが、どうやら心配をしているのはミクだけのようだった。
「ああ、そうだ。また曲つくったんだ。まだ半分だけど」
そういってイサムは器用にポケットから携帯を取り出す。ピートは一度だけ目を開けてまたすぐに目を閉じた。
「相変わらず早いですね」
「そう?」
まだ音そのものはできていないが、コード進行と歌詞か書かれたメモが携帯の画面に映し出されている。
「♪~」
コードにあわせてならした唇に、猫が反応した。金色の双眸が、興味深そうにミクを捉える。ミクは一瞬だけ視線をあわせたあと、ゆっくりと目を閉じて続きを歌う。
ぷいと猫は顔を背けるが、耳は正直でぴくぴくとミクの声を拾おうと動いていた。その耳が面白くて、ミクは歌を続ける。携帯に書かれているのは、簡素なコード。でももう何度目になるだろうか、なんどイサムの曲を歌ってきただろうか、曲は文字からだって聞こえるようになった。
すれ違った人が、ミクの歌に振り返った。リズムに合わせるように電車の走る音が聞こえてくる。冬の到来を告げる冷たく張った空気に、声が響く。あまりにも素直に響き、微かな震えを残して消えていく音に、思わず声を大きくしてしまう。弦をつまびくような響きは、雲さえ抜け空もぬけ宇宙まで届きそうだった。
猫の尻尾が揺れている。イサムも、嬉しそうに目を細めてミクの歌をきいていた。ふとそこでミクは、猫がまったく曲の変調に遅れていないことに気がついた。ずっとイサムの鼻歌を聴いていたいがいに、理由が見つからない。
「――あの、ひとつききたいんですが」
「ん?」
「いつから猫に餌を?」
「……あぁ、えっと。その」
「何ヶ月前からですか?」
「いや! そんな長い間じゃないって……ほんの」
「ほんの?」
「一ヶ月ぐらい前――」
もうため息もでなかった。首輪も当然きがついていただろう。むろん、飼えないことも理解したうえで、猫が通い猫になればいいと餌をあげていたのだ。
それも一ヶ月のあいだ。
――学校にいってるあいだ、家にきたことはなかったような……。
はてと首をかしげ、今日猫とであった時間を思い出す。
毎週買い物に出ている時間だ。イサムは低血圧だし、休みの日は大抵メモ帳とパソコンから離れない。学校がある日だって帰ってからずっといじってるぐらいだ。できればその時間を増やしてやりたい、とミクはイサムを連れ立たずいつも一人で買い物にいってくる。それは大体昼前。
正確には、イサムの目がしっかりと覚めるまで相手をしてもらえないので暇つぶしに彼女は買い物をしているのだが。
――そういえば、今日は買い物がすぐ終わったから早くかえってきたんだ。
つまり、いつも猫は午前中家にきていた。
「ごめんなさい」
「なぉぅ」
猫が機嫌よさそうにイサムに答える。
「管理人さんにみつかったらどうするんですか……」
謝る相手が違うと、ミクは頭を抱える。猫だけが平然とイサムの腕の中でまるまっていた。
◇
工場は想像以上に大きくて綺麗だった。駅の近くということもあって、駅側からみえる外観には、緑も多く歩道もカラフルに舗装されていた。
日曜日だというのに、工場には人が大勢いてその歩道を所狭しとあるいている。昼休みが終わりを告げようとしてるのか、芝生に覆われた広場から女性の職員があわてて戻る姿がちらほらと見て取れた。建物同士は、玄関を向かい合わせに設置されていたり、2階で渡り廊下がのびていたりと外観以上に利便性が追及されていて、そんな建物の隙間を専用のカートがはしりまわっている。
「へぇ、工場のなかって信号とかあるのか。すごいな」
カートが移動するので車道と歩道が分かれていてよく見れば横断歩道も存在していた。工場というよりは研究所だろうか、煙もパイプも外観からはみてとれず遠くからみれば大学のキャンパスといった風情すらある。
「イサムさん、あそこに守衛さんが」
柵の外から工場を伺う人間は珍しくないのか、ものめずらしそうな二人と一匹を守衛は特に気にするでもなく職務をこなしている。
「そうだね、あの人に聞いてみよう」
と、猫が顔をあげた。見慣れた場所にきたのか、満足そうにしっぽをはたりと動かして視線をめぐらせる。
――すごいおとなしい猫ですね。
ここにくるまで、一時間とちょっと。猫はミクの腕とイサムの腕を何度か往復したものの暴れもせず逃げ出しもせず静かに抱かれるままになっていた。
ちょうど守衛が立っている目の前にきたときだった。
イサムの腕から猫が飛び降りた。足音無く地面に降り立つと、猫は守衛の前に座り見上げる。猫をみつけて守衛が笑う。警備会社の制服を着込んだ中年の男は帽子をとると、
「所長。お帰りなさい」
とんでもないことを言った。
守衛の言っている言葉が、瞬時に理解はできなかったのかイサムもミクも固まったままだった。
「なー」
所長と呼ばれた真っ白な猫は、そんな二人を尻目に工場の門をくぐりそこで座った。
まるで二人がついてくるのを待ってるかのようにじっとそのまま二人を見ている。
「良ければ、所長についていってやってください」
口を開いたのは守衛だった。人のよさそうな垂れ目と静かな笑みが、守衛の制服に対照的で目立つ。
「……えと。その」
「入ってもいいんですか?」
とにかく驚いてる場合ではないと、なんとか意識を取り戻したミク。
「一般の方も、中の見学は許可いりませんし。それに所長もああいっておりますから」
「なぉぅ」
そうだといわんばかりに猫が鳴いた。
「あ、じゃじゃぁせっかくなんで。……ほら、イサムさん。早く」
とんとミクに背中を押されてようやくイサムも我を取り戻したのか、何かいいたそうに視線をさ迷わせながらも歩き出した。
二人が門をくぐると、猫は背を向けて歩き出す。
「なんてことだ、ピートが社長だなんて。どこのアクアだ!」
「社長じゃなくて、所長ですよ。目も青じゃなくて金色です。それにピートじゃなくて――」
目の前から、誰かがもろ手をあげて走ってくるのがみえて思わず口を噤む。
白衣を着込んだ研究員のような人間が、なにやら騒がしい声を上げながら走ってくる。鼻水と涙と涎にまみれただらしない顔で、猫をよんでいた。
「しょちょーーーーー!」
転がり込むように、二人の前を歩く猫の前にやってくるとその研究員は猫を抱き上げる。
「もう、どこいってたんですか!! 一ヶ月ですよ! 一ヶ月!」
「なー」
「みんな心配してたんですよ。よかった、ほんとよかった……」
猫を抱きしめて泣き出した研究員に、声をかけようとしてミクは手を止める。横でイサムもよかったよかったと泣いているのに気がついたからだ。
――おいてけぼりだ。
大の大人が二人、猫を囲んで道端で大声を上げて泣いている。逃げ出したいが、さすがにイサムを置いていくわけにもいかない。できるだけ、関係者じゃないという意思表示をするためにミクは一歩退いた。
「あ、あなたが所長を?」
「はい……うちにふらふらときて。近くで飼われてるのかとおもってたんですけど」
「じゃぁ首輪の座標をみて?」
「えぇと。はい。ミクが気がついて今日ようやく」
そういって、イサムがミクを振り返る。
「あ、泣き終わりました? 凄い注目されてますよ」
イサムの視線に気がついたミクが視線で周りを示す。
昼休みが終わり戻り始めた職員達の視線は、涙で目を腫らした二人に集中している。
「……え、えと。と、とりあえずお礼もかねてちょっと所長の職場みにきませんか?」
頭をかきながら、研究員の男性がたちあがった。
そこではじめてミクは、目の前の研究員がイサムよりも背が高いということに気がついた。イサムが小さいわけではないが小さく見える。2メートルはいってないが180は軽く超えてる。思わず、ミクとイサムは彼を見上げて呆然としてしまった。
「あいや、はは。大丈夫ですよ。所長のご推薦ですからね。おきになさらず見学していってください。興味ないかもしれませんが、有名なものがみれるとおもいますし」
Re:The 9th 「9番目のうた」 その2
OneRoom様の
「The 9th」http://piapro.jp/content/26u2fyp9v4hpfcjk
を題材にした小説。
次 → http://piapro.jp/content/j2qfpcq2vmlojnni
その1は http://piapro.jp/content/fyz39gefk99itl45
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神奈 隆平
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