第八章 夢現
馴染みのある子供部屋のベッドの上で、アレンは意識を取り戻した。もう夜なのか部屋の中は薄暗く、夢の中で会った『天使』の記憶は現実を認識する分だけ壊れていくようだった。
アレンとよく似た、いやもっと言えば父とよく似た容姿をした年齢はアレンより三つか四つ年上の、可愛らしい少女。彼女は背中に翼を持っていて、理由もなくふらふらと歩くアレンの手を握ってくれた。
確か、父の事も知っていた。家族の話もした気がするのだが、もう思い出せない。
「なん、だっけ?」
ぼそりと呟いた。夜目が効いてきて視界は安定するも、思考回路はなかなか回り始めないまま天井を見つめていると、横から声がかかった。
「おはよう」
そこで初めて自分以外の存在に気が付き、目を向けると父がベッドの横に座っていた。
「おはようございます、父様」
さっぱり状況を掴めずそれでも礼儀正しく挨拶すると、そこでようやく王宮横の林で意識を失ったのだと思い出した。もちろん、その場に行くことになった経緯も同時に甦る。
謝らなければならないと口を開きかけるが、父の手が伸びて来て額に触れられた。こんなことは初めてのはずなのに、何故か何度もこうされた事があるように思えた。
「だいぶ下がったけど、まだ熱があるからこのまま朝まで寝た方がいい」
「はい」
もうそこまで眠気は無かったのだが、父がそう言うなら従う以外に無い。今の時刻が気になったが、どうしても知らなければならないものでもないと諦めた所で、枕元に自分の懐中時計が置かれていることに気がついた。
普段アレンがそうしているように。まさか、父がわざわざ置いてくれたのだろうか。でも、どうして己の習慣を知っているのだろう。
時刻は午前二時。こんな夜も夜中に、何故父がここに居るのか。まさかさっきまで優秀な医者でもある父の監視が必要な程、生死の境をさ迷っていたのだろうか。
しかしそれにしては母が居てくれないのはおかしいし、何よりアレンの体調は自分で判断するにそこまで悪くない。
気になってますます目が冴えてきたが、父がここに居る間は寝ていないとまずい。目を瞑って規則正しい呼吸音を立てる。母を何度も騙してきた狸寝入りだが、しばらくしていると話しかけられた。
「母さんと会いたい?」
「え、いえ、寝てるでしょう? 母様」
丸っきり起きているように扱われ、思わず目狸寝入りを中断して答えてしまった。何故気づかれたかと疑問に思い、そしてすぐに最近吸収した知識がその理由を教えてくれた。そうか、眼球運動。
「寝てるけど、顔が見たいなら起こしても怒らないよ。すごく心配してたから」
「大丈夫です」
一人になるのは心細いが夜中に起こすのも悪いし、ここで母を頼んでしまえば父はすぐにいなくなってしまうだろう。一晩付き合ってくれるとは思っていないけど、少しでも長く一緒に居たかった。
あれだけ失望されても罵られても、まだアレンは父が好きだった。ただそれに見合わない己が酷く嫌いなだけだ。
「そう、僕は出て行った方が眠れる?」
質問の意味を理解するのに少しかかった。まじまじと父の顔を見つめてから、慌てて首を横に振る。
「迷惑でなければ、居て欲しいです」
事件が起こる前ならこんなこと、絶対に口にできなかったに違いない。けれど色々な事が起こり過ぎて開き直ったこともあるし、そして何より具体的な内容は思い出せないけれど、『天使』との会話がアレンに勇気を与えてくれていた。
「そう」
希望を叶えてくれるようで、父は部屋から出て行こうとしなかった。言っておいてなんだが無理をしているかが不安で顔をじっと見てしまう。それでも金色の瞳にある感情は読みとれず、代わりに唇の一部分が切れている事に気がついた。
「父様、怪我をしたのですか?」
己の口に触れながら問いかけると、それまで意識していなかったのか父も同じ行動をして苦笑いした。
「これは君が出て行った後に、イルに殴られたんだよ」
息を飲んだ。アレンの知る限り、穏やかな陛下が人に対して訓練以外で暴力を振るったところを見た事が無いからだ。何も返せないでいるとまた大きな手が伸びて来て、頭を撫でられた。
「君を傷付ける事を言ったから、怒られたんだ。自分でも反省してるよ、ごめんね」
髪を梳いてくれる感触がくすぐったい。色々な感情がごちゃ混ぜになって涙が込み上げて来て、天井を向いていた身体を父とは逆方向にした。とても黙ってられなくて、勝手に舌が回りだす。
「ぼくが馬鹿な事言ったからいけないんです。まだ緑の国とは確執が無いとは言えないから、手間がかかるのも」
「手間なんてどうでもいいんだよ。医療最先端が現状緑の国なのも否定しないし、医者を志すならその手段はむしろ当然かな」
再び身体が百八十度回転する。口を半開きにしたまま固まっている息子を見て、更に付け加える。
「アレンが本当に行きたいなら、イルとも相談して緑の国にも特別措置を取り計らってもらうさ」
「それは、行ってもいいってことですか?」
我儘を、許してもらえるのだろうか? 祈るような視線を向けると、今までアレンの金髪を弄んでいた大きな手が離れていった。軽く息を吐いてから、父からこう問いかけられた。
「本当に、アレンは医学を学びたいの? 黄の国から、親友や家族の傍から離れてまで?」
鋭い眼光に晒されたが、いつものように怖いとは思わない。ただすぐにそれを肯定もできなかった。
父の目を治したい。この気持ちに嘘は断じて無かった。けれど、医学がアレンの一番大好きな勉学の分野かと訊かれれば、それは否定せざるを得ない。この一カ月でそれは自覚していた。
「僕の両親の事、君は何も聞いてないよね?」
考え込んでいると、父の口から突拍子もない単語が飛びだした。
「いいえ、聞いてません」
両親に限らず、父と陛下の幼少時の話は全く聞いた事もなかった。母に何度か訊ねたりもしたが、父に直接訊きなさいと言われた。そうなればアレンには陛下に頼るしかないのだが、紅髪の王もその話は革命の事も含めて十四になってからと言われた。
ジンとも話したのだが、この対応は二人の両親に共通しているらしい。ここまで徹底されているのなら、大人しく十四歳になるのを待とうと決めたのだ。
「詳しくは四年後に話すけど、僕は物心ついたときには将来する仕事が決まっていて、本当にやりたいことも学びたいことも認められなかった。自分で選ぶ事ができなかったんだよ」
「陛下も?」
二人が義兄弟であったことくらいは知っている。父は頷いた。
「うん、イルもね。まあ色々あったから二人とも親に用意された道は進んでいないんだけど、でも子供の時はそれがすごく辛かった。だから、同じ思いを絶対にアレンにさせたくないと思ってる」
「ぼくは、自分で決めました」
「それは知ってるよ。でも僕の目の事が無かったら、君はどうしたの?」
ぐっと言葉が詰まる。目の事がある前も医学にまるで関心が無かったわけじゃない。けれど、その理由もまた父が医者同然の知識と技術を身につけているから、その真似のようなものだった。
もう分かっている。父が言いたい事も、それが極めて正しい指摘である事も。ただそれをここで認めるのはどうしても抵抗があった。とるに足りないものだけれど、アレンの中にも自尊心というものがあるのだから。
押し黙ったアレンに、父は宥めるように声をかけてくれた。
「毎日地図を見たり、世界情勢を知りたくて極秘書類保管庫に忍び込んだりしていたのに」
びくりと身を竦めた。陛下にはきつく怒られたが、まさか父の耳に入っているとは。
「僕の書斎から持って行く本も、八割は政治に関するものでしょ?」
さっぱり己に関心が無いと思っていたから油断していたのに、こんなに今まで悪行がばれているとは思っていなかった。羞恥に丸まったアレンの身体を摩りながら、父は呆れた声を出す。
「もしかして、僕が気付いていないと思ってたの? これでも一応宰相だからね、王宮で起こってることくらいは把握してるんだよ」
「ごめんなさい」
謝ると、父はくすくすと笑いだした。
「今更怒らないよ。でも悪いと思ってるなら、執務室の歩哨には謝った方がいいかもね」
硬直した身体から更に冷や汗が流れる。まさか、彼の弱味を握っていることも知っているのか。
「脅迫ってのは諸刃の剣だからね、その弱味が何らかの理由で効かなくなった時には手痛いしっぺ返しを受ける。だから使い所は見極めないとだめだよ」
材料を揃えておくのはいいんだけどね、とついうっかり言いそうになるのをレンは慌てて飲み込んだ。もっともイルがこの場に居れば、口に出した内容にも異議申し立てをしていた事だろうが。
「はい、父様」
素直に頷くと、いい子だとまた頭を撫でられた。母から何度もしてもらっているけれど、父からのそれは格別だ。
「ま、恋文くらいで職務放棄に等しいことやらかす彼も情けないんだけどさ」
今度こそ驚き過ぎて、身体を起こしてしまった。
「と、父様もご存知で?」
すぐにその答えは返されず、まだ寝て無いとだめだと言われてやんわり肩を押されてまた掛布をかけなおされた。それから父は綺麗な笑みを見せ、耳元で覚えのある文面を暗唱し始めた。
アレンが偶然手に入れた、彼が意中の女性に宛てた手紙。現物はアレンの机の中に眠っているのだが、どうしてその内容を父が知っているのか。もっとも、歩哨の彼がその職業倫理を曲げてまでアレンに秘匿を訴えたのは、その自殺ものの内容を晒されることではない。
「まさか、彼の想い人も?」
父が小さく頷く。金色の瞳に封じられている感情は、アレンには窺い知る事ができない。
「さて、本当にもう寝ないとだめだよ」
掛布をかけなおされる。
「はい、父様」
まだ眠気は無かったのだが、体調が悪い時に睡眠不足は愚の骨頂だ。そして何より、父を困らせたくない。
「将来の事はゆっくり考えて決めればいい。返事はいつでもいいよ。答えによっては反対するかもしれないけれど、絶対に邪魔はしないから」
たったこれだけの一言で、今まで追い詰められていた何かから解放された気分だった。昂っていた神経も静まったのか、睡魔がゆるゆると意識を押し流して行く。
「はい」
何とかそう言って、半開きになっていた瞼が閉じられる。
君が『僕のようになりたい』と言ってくれたとき、本当に嬉しかったんだよ。僕と同じようにはなって欲しくないと願っていたのに、矛盾してるよね。
こんな言葉を聞いた気がするけれど、それが現実なのか夢の中なのかは分からなかった。ただ手を握ってくれていた温もりは本物だったはずだ。
嫌われてなんか、なかった。ちゃんと大切にされていたのに、焦ってそれが見えてなかっただけだ。
貴女の言うとおりだったよ、『天使』さん。
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ご意見・ご感想
零奈@受験生につき更新低下・・・
ご意見・ご感想
番外編およびここまでの悪ノ父親、読ませていただきました!
うわあリンちゃんだよリンちゃんがいる!
似た物親子ならではのエピソードですねw
続き、楽しみにしてますね♪
2011/04/06 14:56:07
星蛇
番外編お読み頂きありがとうございました!
中途半端で止めてすいません@@;
すぐに続きは上げます!
2011/04/06 22:09:10