第五章 祖国奪回 パート4
ゴールデンシティ総督府、言わずと知れた黄の国王城の歴史は創設者たるファーバルディ大王の時代にまで遡る。当時のゴールデンシティ周辺は至る所に芦が生える湿地帯であったという。だからこそ、当時大陸を支配していたフラン帝国をして重要な拠点とは見なされなかったのである。当時の中心部は現在のグリーンシティ周辺であった。フラン帝国以前のアテネア王国が旧緑の国を中心に設立されたからであり、その後釜となったフラン帝国もグリーンシティ周辺を拠点としたためである。当時のゴールデンシティ周辺は正確には統一国家の存在しない、原野だけが広がる人口過疎地帯であった。
だからこそ、ファーバルディ大王は反帝国に足る戦力を着々と蓄えることができたのである。一説によればミルドガルド大陸西方に位置するグランド諸島出身の海賊とも噂されるファーバルディ大王はゴールデンシティを端として、現在のルータオからザルツブルグに至るまでの、旧黄の国北方地帯を支配し一大領主としてその名を上げた。後の歴史は誰もが語ることである。青の国を設立したスノッリ、緑の国を設立したエッダと共闘してフラン帝国を撃破、ミルドガルドは三国時代へと突入する訳である。
さて、余談が過ぎた。ゴールデンシティ総督府である。
現在の形となったのは第五代国王レイシアの時代であると言われている。ファーバルディ大王の治世下では敷地も狭く、また天主も存在してはいなかった。それを歴代の国王が徐々に改築し、拡大し、湿地を埋めたて、開墾し、そしてレイシアの代に天主が完成し、現在の姿となったのである。とはいえ、その後も改築自体が終わることはなく、リンの施政下であってもスクラップアンドビルドを繰り返していた、まさに生きる建築物であった。
だが、帝国に編入されて以降、その動きはすっかりと鳴りをひそめていた。カイト皇帝の意向もあるが、それ以上に逼迫している帝国財政に置いて、今や地方都市の一つに過ぎないゴールデンシティ総督府の改築工事に裂ける資金は微塵も残されていない、というのが主な理由であった。
いずれにせよ、ゴールデンシティ総督府は今もなおミルドガルド大陸有数の規模を誇る建造物であり、現時点から先の未来、史跡として一般に開放された現代に置いてはその敷地面積を現す手法として野球場五十個分、などと表現されることもある。その広大な敷地のほとんどは木々に囲まれた森林であり、居住用の建物や詰所、防衛陣地などが敷地内に点在している。一周およそ十キロ、当然ながら全ての敷地に兵を配置することなど叶わない。
それこそがリンの狙いであり、そもそもの王城建設の着眼点であった。
「まさか、こんな通路があるなんて」
じわりと湿り気が漂う薄暗い、そして細長い空間。グミが感嘆したように言った。
「やっぱり、気付かれてなかったみたいね」
リンが松明を掲げながら、安堵したように言った。大人一人がようやく立てるほどの狭い通路である。天井は所々苔に覆われていた。ぽとり、と滴が落ちる。カビの匂いが充満していたが、鼻をふさぐ以外に対処の方法はなかった。
「ここは万が一の時に利用する避難通路なの。内容は極秘で、ボク以外に知っているのはロックバードとメイコくらいじゃないかしら?」
リンが続けた。
「あの時も、この通路を?」
グミが尋ねる。そうよ、とリンが答えた。
「私の部屋からはルカのワープで逃げたのだけれど」
「私の力でも、王城の外までは連れて行けないからね」
同行しているルカが肩を竦めた。人を別の場所へと瞬時に移動させるワープの魔術と言えども万能ではない。精々数キロを移動するのが限度であった。天主からではどうあがいても敷地の外れまでしか辿りつけないのである。
「流石の帝国軍も、突然反乱軍が降って湧いたら驚くんじゃないかしら」
くすくすとリンが笑った。詰所の位置は全て記憶している。ゴールデンシティ総督府には隠し通路がいくつかあるが、この通路は敷地のもっとも外れに位置している。侵入したとして、暫くは発見すらされないだろう。
こつこつ、と煉瓦を蹴る音だけが響く。地下通路に侵入してどのくらい経過しただろうか。小一時間か、その程度。トンネルの先が無くなり、リンが虚空を見上げる。梯子を掴み、慎重に登る。松明を消し、そろり、と通路の蓋を持ちあげる。闇に慣れた視界に光がまぶしい。瞳を細める。視界だけを周囲に向ける。見渡す限りの木々と森。鳥がさえずる声。
唐突に、破裂音
「攻撃、始まったみたいですね」
グミが言った。リンは小さく頷き、外へと飛び出す。身を屈める。誰もいない。次々と兵士たちが地上へと姿を現す。お姉さま、とセリスが言った。振り返る。全軍がそこに集結していた。総勢、百名。砲撃音は断続的に響いている。ロックバード率いる本隊が東門に猛攻撃を仕掛けているのだろう。西門にはアレクとメイコが率いる赤騎士団が控えている。
「手筈通り、ルカとグミは半分を率いて敵を撹乱、思う存分暴れて頂戴。ボクとセリスは西門へ、開門させるから」
めいめいが頷く。緊張を隠さない者、余裕を見せる者、気合を込める者、そして、信じる者。
「これが革命軍の分水嶺になる……。皆、出来るだけ生き延びて」
行くわ、とリンが鋭く叫んだ。
1806年六月二十三日。
ゴールデンシティ奪回戦の火ぶたが、ここに切られたのである。
ルカとグミが二手に分かれ、城の奥へと向かうと、リンはセリスら精鋭五十名を従えて西門へと駈け出した。西門はゴールデンシティ総督府でももっとも小規模な門扉である。大軍を率いるには不足しているが、千名程度であればさほど時間がかからずに入城が可能であった。全体の戦略としては本体五千名による東門の総攻撃、そこから時間を置いてルカとグミによる撹乱作戦、この二つで敵の戦力を分散、本命の赤騎士団による突撃と東門の会場、全軍での天主奪回戦を予定していた。果たしてシューマッハがどのような采配を振るうのか、東門の攻撃をどう受けるのか、撹乱作戦をいかに対処するのか、それが戦の帰趨を分けることになる。兵力はほぼ同数、拠点を抑えている帝国軍がやや有利か。その頃シューマッハは天主の執務室で防衛戦略の立案にふけっている頃合いであった。東門からの総攻撃に不審を覚えたのは彼だけでなく、警らに当たっていたハンザも同様である。そもそも総督府の大門は南門であり、通常軍の出入りはここを利用する。ロックバードが攻撃を仕掛けた東門は西門程ではないとはいえ、通常利用される門扉ではなく、どちらかと言えば裏門に該当する場所であった。
なぜ、南から攻めない。
ハンザは首を傾げた。巨大であるゆえに、南門の防御は固い。それを恐れたのだろうか、とも訝しむ。シューマッハの対応は良くも悪くも教科書通りであった。東西南北それぞれの門扉に対する防衛対策はそのままに、遊軍を東門に宛てたのである。火砲の打ち合いが続き、時折ロックバードによる突撃作戦が展開される。押し返す、再び火砲戦へ。
おかしい。
ハンザがそう思ったのは、攻撃が開始されて一時間ほどが経過した頃合いだった。どうにも、敵が本気で攻めてきているように思えなかったのである。適度に、我々を油断させない程度に注意を引きつけている……そのように感じたのである。
「シューマッハ元帥からの指示は?」
耐えきれなくなり、伝令兵に尋ねる。このまま防衛せよ、という回答を受けてハンザが眉をひそめた時。
それが起こった。
始めは、爆発だった。火薬庫に点火したような大きな爆発、そして暴風。焦げくさい、やける匂いが周囲を包む。何事、と叫ぶ間もなく次の爆発が、そして次が。城内の至る所で点火した炎があちらこちらで火の手をあげる。
「反乱か?」
ハンザが叫んだところで誰も答えない。全員が事態を飲み込めていなかったのである。埒が明かない、そう考えたハンザは軍規に触れることを承知で駈け出した。シューマッハに戦略の変更を求めなければならない、そう思ったのである。
「ざわつき始めましたね」
セリスが言った。そうね、とリンが答える。木陰に上手く隠した五十名の伏兵、ほとんどがフィリップ攻略戦で降伏した元帝国兵、否、元を正すと黄の国の兵士たちである。国家の滅亡によりやむなく帝国軍に従っていた彼らであったが、リンの姿を見た瞬間に帝国への反旗を決意したのである。その士気は天を貫くほどに高く、帝国への雪辱を心から誓う猛者ばかり。
「もうすぐ、動きがあるはずなのだけれど」
断続的に響く爆発音を鼓膜に収めながら、リンが言った。帝国軍とはいえ、戦力にそれほどの余裕がある訳もない。城内での撹乱作戦を続けていればいずれ門扉の守備が薄くなる、そう呼んでいたのである。
きっかけは、一頭の伝令馬であった。大慌て、と言う様子で伝令兵が西門へと向かい、その体調らしき人物に耳打ちをする。納得したように守備兵の一部が駈け出した。城内の敵に対処するためだろう。草むらに隠れたリンの目の前を通り過ぎて言った兵士たちを見送り、リンは行くわ、と声を上げた。
「行くわ、一気に西門を奪回、赤騎士団を引きいれます!」
叫んで、駈け出す。ぎょっとした顔を見せたのは守備兵だった。
「ボクは革命軍のレン! 大人しくするなら殺しはしない!」
叫んだ瞬間、二通りの反応が見えた。剣を構えるもの。
そして。
「我らはレン様に従う!」
苦汁を舐め続けた、元黄の国の兵士たち。彼らは良く覚えていた。かつて勇猛果敢に闘い続けた、金髪碧目の剣士のことを。メイコの反乱でさえも挫けず、最後の最後まで戦い続けた勇者のことを。レンが革命軍を起こした、という事実は既に黄の国の兵士たちに大きな影響を与えていたのである。怒りに牙を剥いた帝国兵はことごとく打ち破られ、リンは堂々と西門を開門させる。直後に歓声と、馬蹄が響く。
満を持して、赤騎士団による総突撃が開始されたのである。
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