※鏡音が双子じゃないです。駄目な方はバックプリーズ。
――君への想いも、自分の気持ちも、今はまだこの胸の中に。
遠くから祭り囃子が聞こえてくる。人のざわめきが波のように押しては引いて。
道の両脇に並ぶ屋台は原色で描かれた看板を掲げ、辺りにはたくさんの煙と良い匂いが立ち上り、その間を流れていく鮮やかな浴衣の人々は、まるで金魚の群れのようだ。
「レン、レン」
「ん?」
何度も呼びかけてようやく幼馴染の顔がこちらを向く。その腕にかけられたビニール袋からはソースの濃い匂いがした。
「これからどうする?」
袋の中身は先程無料券と引き換えにして手に入れた焼きそばだ。一通り屋台を巡り一番安いところで千円の上限ぎりぎりまでまとめ買いをしたので、結構な量になってレンは満足げだった。
つまり当初の目的は達成したわけで。だが折角のお祭りだ。このまま帰るのはもったいない。
「そうだなあ……この後確か花火だっけ?」
「うん、後三十分くらい」
祭りのラストを締めくくるたくさんの花火。きっと一番よく見える河原などはもう人で溢れかえっているだろう。
「それ見てから帰るか。……案外祭りって、終わるの早いんだな」
「うん、確かに。来てからもう一時間経ってるのにね」
しみじみと呟くレンの隣でリンは笑う。言いかけた言葉は恥ずかしくて、寸前で飲み込んだ。
――きっとレンと一緒だから、時間が早いんだよ。
話し続けている間も二人は歩みを止めない。カランコロンと下駄の軽やかな音が弾けて響いて、無数の音の中へ消えていく。
楽しげに笑い合う浴衣姿の女の子たち、屋台から聞こえる威勢のいい呼び込み、じゅわじゅわとそこかしこの鉄板で油が跳ね、向こうで泣きじゃくる子供をすぐ傍の親が困った顔をして見守っている。祭りという特別な今日を過ごす人たちの音。
隣り合ったまま歩いて、時折言葉を交わして。いつもと変わらないはずなのにどうして今日はこんなに嬉しいのか。こみあげる笑みをリンはそっと零した。
気がついている。浴衣でゆっくりとしか歩けないリンに、レンがそっとスピードを合わしてくれていることに。どれだけリンが遅かろうが、隣の幼馴染は彼女を追い越すことをしない。その証拠にずっとリンの視界の同じ位置にレンがいる。
それだけでリンの心の中は、温かい何かで満たされていく。くすぐったいような気持ちいいような、けれど決して不快ではない柔らかな感情。ここに来るまで抱えていた苛立ちさえもふんわりと覆ってしまうような心持ち。これが『幸福』というのなら、リンの心は干したてのお布団のような心地よさに包まれていた。
「(……あ)」
ふと、リンは足を止めた。見つめる先には『射的』の看板を掲げる一軒の屋台。そしてその前でコルク銃を構える青年と、それを見守る浴衣姿の少女。歳はリンとそう変わらないだろう。
青年が身を銃に寄せるようにして、その先の標的を見据える。少女はその様子をはらはらとした表情で胸の前で手を組み、彼の成功を祈っている。引き金が引かれ青年の身体が反動で揺れる。勢いよく飛び出したコルク弾は、小さな箱に当たり棚から転がり落ちた。青年はガッツポーズをしつつ商品を受け取ると、ふたを開けて中身を取り出す。出てきたのは、おもちゃの腕輪。それを一緒に喜ぶ少女へ差し出す。少女は一瞬きょとんとしてから、満面の笑みでそれを受け取った。
一目見ただけで互いに恋をしているのが分かる、どこにでもいる普通のカップル。なのに何故かリンは目を離すことが出来なかった。
「……リン?」
呼ばれた名にはっと我に返り隣を向くと、幼馴染が怪訝そうな顔をしてリンを見ていた。
「何だ、射的やりたいのか?」
「え、あ、いや、ち、違うの!ううん、何でもない!」
レンの言葉に自分がいつの間にか勘違いされるほど屋台を凝視していたこと、それをしっかり見られていたことに気づき、急に恥ずかしくなって慌てて何度も首を左右に振る。レンは、ふうん、と空気の抜けたような返事をして、再び歩き出す。リンもそれに並ぶ。
ちらりとリンがもう一度振り返った時には、あのカップルはもう屋台の前から姿を消していて。はあ、と溜息をつく彼女を、レンはそっと横目で見ていた。
花火の時間が近づくにつれて、屋台の周りの人影も減っていく。だからリンが友人を見つけられたのは、人混みが緩和されていたからに他ならなかった。
「あれ、グミちゃん?」
不意にリンが立ち止ると驚いたように隣の歩調も止まって、視線が同じ方向を向く。その先の見覚えのある緑の髪がこちらに気づいて振り返る。と、途端明るい抹茶色の瞳がまん丸に見開かれる。白地の浴衣が翻って、描かれた金魚が勢いよく跳ねたように見えた。
「お、おお、おおおお!リンちゃん、リンちゃんやないか!」
女の子らしい柔らかな声で紡がれるのは、まるでウサギが飛び跳ねているかのようなテンポの良い関西弁。初対面の人はこのギャップによく驚いてくれるのだと本人から聞いたことがある。
その口調と同じように軽やかな足取りでこっちへ走ってくると、グミは勢いのままリンに笑顔で抱きついた。反動で少しよろけるが何とかもちこたえる。この激しいハグが彼女の親愛の証だと、リンは分かり過ぎるくらい知っていた。
「元気しとった?合唱部は相も変わらず忙しそうやな!しかしここで会えるとは思ってへんかったわ!しかし今日のリンちゃん可愛いな~、ミクちゃんのプロデュースかいな?あ~、可愛いの~可愛いの~!」
「あたしもグミちゃんに会えるなんて思ってなかったよ!嬉しい!」
グミはほとんど息継ぎなしで一気に言い切ると、ぐりぐりとリンの頬に自身の頬を擦り寄せた。リンもいつも挨拶として受けているスキンシップを、お返しにとばかりにやり返す。仲良しな二人のいつもの光景だった。
「……相変わらず仲良いな」
見慣れた二人のじゃれあいに、レンが後ろでこっそりと呟く。その声を聞いてグミはレンに目を向け、次にリンへ視線を戻し、ほほーう、と何を承知したのか一人何度も頷いた。
「なるほどなるほど、……うち、少しばかりKYやった?」
「へ?」
グミの言葉の飛び幅に、ついていけなかったリンは素で聞き返し、首を横に振ったのはレンだった。
「いや、結構なナイスタイミング」
「へ?」
またまた口から零れたリンの疑問符へのレンの回答は、頭に乗せられた彼の手だった。
「リン、俺ちょっと用事あるから、ここにいろよ」
「え、あ、うん、え?」
リンが勢いに流されて頷いたのを見るや否や、レンは背中を向けて走り出し、あっという間にその背中は人波の中に隠れてしまった。かけようとした言葉は声にならず闇の中へ消えていき、リンは状況を飲み込めず立ち尽くすしか出来なかった。
なんなのよ、もう。むくれるように心の中で呟けば、はふ、と大きな溜息が口から洩れた。
「……へー、おっどろきー……たまげたわ……」
ふと近くから聞こえた呟きにリンがその方を向くと、グミがまるで珍獣を見たような顔でレンが走り去った方向を眺めていた。
「リンちゃん、レン君っていつもあんな感じなん?」
「あんなって?」
問いかけにしばし思考を巡らす。言葉少なに行動するところだろうか、そのくせ人には何も説明しないところか。……うん、いつも通りだ。
しかしグミの聞きたいことはそこではなかった。
「えーと、手。いつもあんな風にリンちゃんの頭に乗せとるん?」
「え、あ、ああ」
一瞬迷い、すぐに納得する。それもいつも通りだ。リンとしては子供扱いをされているようでいささか不満なのだが。
「……ふーん、相も変わらず仲の良いこっちゃ……どないしたん?」
「何が?」
「そんな膨れっ面して」
ぷにぷにと頬を突かれて、初めてリンは自分がひどくむくれていることに気づいた。声もさっきよりトーンが落ちている気がする。
ああ、そうだ。『子供扱い』。さっき思い浮かべた言葉に、リンは治まっていたはずの苛立ちが再びむくりと起き上がるのを感じた。
「ほらほら、どーしたん?何かあったんか?うちで良かったら聞くで?」
よしよしと頭を撫でられつつ、近くにあったベンチに二人並んで座る。誰かが置き去りにしていったのか、近くに転がった空の容器の中からは甘いシロップの香りがした。
ベンチに腰掛けると、ふっと祭りの音が遠くなった。屋台の人波から一歩遠ざかるだけで、まるで誰かの夢を外から見ているような感覚になる。中に居た時には気づかなかった提灯の眩しさや地面に忘れられた割り箸や人波のせわしなさ。ああ、今まで自分はこの中にいたのかと、さっきまでの自分を傍観するような不思議な浮遊感。行き交う人達は皆楽しげで、だからこそ今ここにいない相手の存在を強く意識してしまう。そういえば、どこに行くのかさえ聞けなかった。
はあ、とついた息がリンの全ての感情を表していた。
「何や、元気ないなあ。せっかくおめかししとんのに、美人さんが台無しやで?」
心配の色がはっきりと分かる声に、リンの心が少しだけ軽くなる。今一人じゃなくて良かったとこっそり思った。
「……ほんとに、ほんとに似合ってる?」
「うん、うち冗談は言うても嘘はつかんで?」
その二つがどう違うのかリンにはよく分からなかったが、今の問題はそこではない。
「つか、レン君にも言われたやろ?リンちゃんはもっと自信もつべきや!」
「……『馬子にも衣装』」
「へ?」
グミの口から何とも間抜けな声が漏れる。今場違いな言葉が聞こえたような気が。
リンが顔を上げる。明らかに憤然とした表情で、握り拳を机に叩きつけるような声で叫ぶように言い放った。
「『馬子にも衣装』とか『化けた』とか言われたの!何よそりゃ普段から蹴ったり悪口言ったりしてるけど、その言い方は無いでしょ!あたしは化け物かー!!」
その声の大きさに、近くを歩く人々が何事かとこちらを向く。けれど何より驚いたのは、隣にいたグミだ。
「リ、リンちゃん!どうどう!」
「うがー!!」
周りの視線をひしひしと感じながらグミが必死に彼女を宥めると、気が済んだのだろう、一回叫んだだけで再度ベンチに座り直す。と、リンはそのまま膝に額をくっつけて一つ溜息をついた。
「……リンちゃん、なんや来るまでに色々あったみたいやなあ……」
「……うん、まあね」
言葉を探すように話すグミの声も、俯いたまま答えるリンの声も、違う意味ではあったが今この場において激しく不釣り合いな響きを纏っていた。
はあ、と吐き出した息は夜の空気へ溶けて消えていく。どうやら収まったと思っていた感情は、実は思いのほか心の底で煮えたぎっていたようで。一度出てしまったら後は流れて溢れ出して来るだけだ。形をとるわけでもないのに、故に心に重くだまになって積み重なっていく感情は、リンの思考を鈍く浸食していく。
けれどリンはそれを口にすることを拒む。胸の中の熱い奔流は言葉にならないのではなく、してはならないと分かってしまっていたから。
「……まあ、期待してなかったけどね」
「え、嘘やろ?」
溜息混じりに吐き出した言葉は、しかし即座に切り捨てられた。
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