その日だけで一万と五千円という大金が簡単に飛んでいった。全てがお土産代やらなんやらに消えていった。あのミクという女は一体どういう金銭感覚を持っているのだ。
毎回毎回こんなに金を使われたら破産どころでは済まない。そのうち闇金融から金を借りさせられて、法外な利子を取り立てられるのではないかとさえ思ってしまう。
家の自室ですっかり空っぽになってしまった財布を見つめながら、神威は溜息をついた。
あの女はダメだ。やはり一発殴ってやらなければ気が済まない。ただ、それがどうしても出来ない。
別に彼女はさして怖くない、殴る事は簡単だ。けれどミクの後ろについている物騒な輩が怖いのだ。殴ったら何をされるか分かったものではないのだから。というか、殺される。
神威はふとさっきの出来事を思い出した。
デートと言えないデートが終わってミクと別れる時の事だ。
彼女は浅草の駅前でおもむろに携帯電話を取り出し、誰かに電話をかけたかと思ったら、約2分程で目の前に大きな車が現れた。
そのドアがガタリと重い音を立てて自動的に開いた。運転席の方からは黒いスーツを着こんだ男が現れた。ただ、黒いサングラスはかけていなかった。そして隆々としたその腕の筋肉はスーツの上からでも確認でき、おまけに身長は一八〇センチ程はあるのではないかと思えるほどの大男だった。まともにやりあったらまず敵わない。その気迫に、神威は思わず気圧されてしまった。
その男は、お迎えにあがりましたと言わんばかりに無言でミクを中に招き入れる。
神威が圧倒的な気迫に圧されている一方でミクは平然としていて、その男に礼を言って車の中に入っていった。
ミクが車の中に入ると、そのドアは開いた時と同じように自動で閉まる。
窓が遮光ガラスとなっているために中の様子などは全く分からない。
その窓が少しだけ開いた。そこからミクの顔があらわになる。
「今日は楽しかった。ありがと」とミクはこちらににこやかな笑みを見せた。
その瞬間に別の誰かの視線をふと感じ、顔をあげたらスーツの男と目が合った。鋭い眼光が身に突き刺さった。
蛇に睨まれた蛙というのはこう言う事を言うのだろうか。
目と目が合ってしまった瞬間に、背中に冷たい水でも流された気がした。寒気というか悪寒と言った方が正しいか。ともかくそういったものが背筋をピンと凍らせた。
その男は酷く冷たい目をしていた。人の目と言えるようなものじゃなかった。
仁徳を捨てた人間の目か、あるいは義眼のような作り物かのどちらかだ。温度も血も涙もそこに宿っていなくて、ただ冷徹な視線を静かに注ぐばかりだった。
ただ目があっただけだったのに、男の冷たいその目はしばらく忘れられなかったのだ。
ミク自体は何も怖くない。ただあの殺意に満ち溢れた目をした連中が後ろに何人ついているのだろうと考えると不用意に手は出せなかった。
さっきの光景を見てもなお完全には信じ切れていないのだが、彼女の言った事は本当なのか。
父親が暴力団関係者で、しかもその座のトップだなんて。あながち嘘でもない気はする。
でもそれが本当だとするなら俺はどうやって抗えばいい。どうやってこの悪夢を抜け出せる?
それとも抗えずに、このまま奴の奴隷を続けていくほかないのか。いいやそんなのまっぴらだ。
どこかで縁を切らなくては。
自分一人では強大な力には打ち勝てない。別に勝たなくてもいいが、どこかで強引にでも縁を切らなくてはいけないのだ。それには誰かの助けが必要だった。
でも一体、誰が自分を助けてくれる?
そう思った瞬間に、脳裏にはリリィの顔が真っ先に浮かんだ。
そうだ、リリィだけにはその真実を知ってもらいたい。彼女に事実を話したかった。
自分一人ではどうしてもこの状況を打開できそうにないのだ。
連絡を取るには電話でもメールでもよかったが、出来れば会って話がしたかった。
ふとポケットの中から携帯を取り出し、メール作成画面を開く。
「会って話がしたい」と打とうとしたが、指がそこで止まってしまった。
会って話がしたい……なんてどの面下げて言えばいいのだろう?三日前に痛烈な別れを切り出したと思ったら今度は手の平返したように「会って話がしたい」だって?そんなのおふざけもいいとこだ。
相手の気持ちになって考えてみろ。いくら温厚で心優しいリリィでも怒るだろう。
リリィは、多少のわがままくらいなら嫌な顔もせず快く聞いてくれる優しい奴だ。
でもさすがにこれは……。いや、彼女なら話せば分かってくれるだろうか。
神威は迷いながらも、メールを打つのだった。
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kurogaki
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