後ろから近づいて、口を塞いで脊髄に刀を突き刺す。喉を掻き切ったほうが確実だが、血飛沫で他に気づかれる危険性があるのでこの状況では却下。
 しかし、見事なもんだ。
 ほとんど作業と化している殺しをしながら、しっかりと視界の端に捉えている義兄の動きを見て、場違いにもイルは感心していた。
 日々鍛錬は怠っていない、怠らせていないとはいえあの小柄な身体でよくやるものだ。本人曰く、二十代半ばから力は付いてきても間接の柔軟性が落ちてるいのが辛い、らしいが。構成員との体格差から言って、口を塞ぐ時はほとんど爪先立ちに近いはずなのだが、そんな体勢でも正確に脊髄を破壊できるものらしい。
 一階の見張り全てが、音も無く死んでいくに十分もかからなかった。
「人質置くとしたら、どこに閉じ込めておく? 腹黒宰相」
「相手の質によるけど、これくらい優秀な兵士が居るなら地下に拘束しとくかな。正直者の王様」
 また頷いて、再び移動開始。ここは建物の見取り図を丸暗記しているであろう、天才義兄について行くに限る。判断は間違っていなかったようで、いかにも地下牢っぽい所にそれ臭い見張りの立った扉を発見した。
 人数こそ一人だが、通路が直線の廊下で身を隠せる場所が無い。そして胸元には、どこまで響くのかは不明なれど、赤い陶器製の笛が引っ下げられていた。
「君が先行して、僕が援護するよ」
「あいつが戦闘態勢に入ってくればいいけどな、増援を真っ先に呼ばれたらどうする?」
「その可能性は否定しないよ。けど、この状況なら多少の危険性は仕方ないね。一階の人員は殲滅しておいたし、増援が来るにしても多少のタイムダグがあると思う。その隙に三十六計を決める」
「……分かった」
 確かに、ここであの部屋を後回しにはできない。覚悟を決めるしかないだろう。
 タイミングを図って廊下に飛び出す。相手は予想していなかった侵入者に一瞬固まったが、すぐに我を取り戻して胸もとの笛に手を伸ばした。
 やっぱり間に合わねえな。そう思った時、背後から風の塊がイルの耳元を掠めた。
「ぎゃあ!」
 親友の正確な投擲によって、今にも笛を拾い上げようとしていた手にはナイフが突き刺さっていた。痛みで動きが停止し、すぐにもう一つの手が持ち上がるがそれを許す程こちらものんびりしていない。
 既に間合いの内だった。走る勢いを全く殺さないまま、全身を使って長剣を薙いだ。飛び散る血を素早く回避し、崩れ落ちる構成員に心の内だけで短く別れを告げた。
「お見事」
「そっちもな。つか、投げるんなら言っとけよ」
 不満を漏らすが、義兄は意地の悪い笑みを返しただけで、死んだ男の懐を探っている。
「んー、やっぱり思ったよりここの指導者は賢い。鍵持ってないや」
「は? どうすんだ?」
 押し殺していた焦燥が簡単に噴き出そうになるが、もう一人は至って冷静に針金を取り出して鍵穴に差し入れた。
「開くのか?」
「ただ金属音を鳴らすためにしてるとでも?」
 性格の悪い返答だ。
「はいはい、頑張ってください。しかし手癖の悪さと言いピッキングと言い、お前とアレンは政治家より犯罪者の方が向いるぞ。多分」
 このまま口を噤むのも癪なので嫌味を言ってやったのだが、レンは嘲るような嗤いを漏らした。
「何を今更。政治と犯罪なんて、元々世間的評価が違うだけで同じようなものだろ」
 自嘲が多分に混じった言葉。しかし全くはっきりきっぱり完全に、同意する気にならない。
「こいつらのしてる事と、俺とお前のしてる事が? 全然別物だ」
「やってる事自体は一緒だよ。ただ利益を得る先が、自分達以外の人間ってだけの話」
「上等だ。それだけ違えば十分だろ。俺達は国民に雇われた勤め人なんだよ。雇い主の利益を考えるのは当然だ」
 がちゃり、今までの引っかかった音とは一線を画す、解錠音が廊下に響いた。扉を開けながら、金髪の大臣は今までとは違う柔らかい声で言う。
「君のその考え方は好きだよ。共感はともかくとしてね」
「そりゃどうも」
 何処までも可愛げがないと思いつつ二人して中に入ると、紅髪と金髪の少年が別々の牢に入れられていた。顔を上げた彼らの目に、明確な希望が灯る。
「父さん!」「父様!」
「静かに。他の奴らに気が付かれる」
 悲鳴に近い声を出す二人をレンが宥める。傍目からすると冷静なままに聞こえるかもしれないが、イルには彼の極大の安堵が手に見て取れた。もちろんイル本人も息子達の無事な姿を見て、全身の力が抜けそうなくらいだ。
「今鍵開けるからね」
 そう言ってまずジンの牢屋に向かうのは、親としてどうなのだろう。アレンから始めとけよ。
 そんな内心の声が聞こえたかは分からないが、レンは服からもう一つ針金を出してイルに放って寄越した。
「俺、鍵使わないで錠前は開けられないんだけどな?」
 何を考えているか分からなかったが、親友が口を開く前に牢の中から甲高い声を響く。
「陛下、ぼくできるよ」
「あ―、成程な。ほれ」
 牢屋の前で針金を手渡すと、アレンは先端を整えて慎重に鍵穴に差し込んでいった。その目には涙が溜まっているが、必死に堪えているのだろう。
 声をかけてやりたいのは山々だが、相手が作業中である以上邪魔になっては元も子もない。そんな事を考えつつただ眺めていると、ジンの解錠が終わったらしく無言のまま息子がひっついてきた。
「父さん、ごめんなさい」
「それは後でだ。皆心配してるんだからな」
 自分と同じ紅髪を撫でてやると、ジンは何度も頷いた。一方まだ拘束されている金髪の少年は焦っているらしく必死に針金を動かしているが、不意に横からレンがアレンの手ごと針金を持った。そして軽く捻ると、錠前はあっけなく外れた。
「ありがとう、父様」
 アレンが少しだけ嬉しそうに礼を言うが、レンは無表情のまま頷いただけだった。そこから出口とは逆方向に向かったと思うと、視線を上げて半地下に取り付けられた窓を示した。
「イル、ここから出よう。壊すから手伝って」
「おう」
 息子達を置いて、親友と共に窓を取って窓枠を外す。辛うじて、イルでも通れるくらいの大きさになった。息子達を呼ぼうと振り返ろうとした時、ジンが声を上げた。
「父さん、人が来た!」
 レンと顔を見合わせる。
「イル、先に上がって。僕が二人を抱き上げるから」
 足止めならイルが残るべきだが、義兄の目には宰相としての覚悟がある。討論している暇も無く、仕方なく従って一番初めに外に出た。
「ジン、早く!」
 傍らに居るアレンの入れ知恵だろうが、入口につっかえ棒を噛ませていたジンをレンが呼びかけ、駆けつけてきた紅髪の少年を抱えて窓に上げる。子供にしては大柄とはいえまだまだ細い腕を掴んで引き揚げていると、事態に気がついた構成員のご到着のようで罵詈雑言が扉から聞こえ始めていた。
 程なくして扉を木槌で叩く轟音が始まり、レンがアレンを抱き上げた直後につっかえ棒が遂にへし折れて赤の国テロリストが傾れ込んできた。
「アレン!」
 イルがアレンの腕を捕まえる寸前、その内の一人がレンの後頭部に警棒らしきものを打ちつけた。
「父様!」
 支えを失って落下したアレンの悲鳴が響き渡る。
「おい、イル=ネルソンだ! 外にも人をやれ! 半分は場所を移す準備をしろ!」
 恐らくこの組織の首謀者であろう男の声に、冷静な判断力が辛うじて戻ってくる。倒れた親友とそれに縋るアレンを見て、それでもこのまま四人で捕まるわけにはいかなかった。
「ジン、走るぞ! 馬が置いてある場所だ!」
「でも」
「いいから行くぞ! 二人は後で必ず助ける!」
 自分にも言い聞かせるように息子に怒鳴りつけ、その手を引いて駆け抜けて馬に二人で飛び乗って走らせた。

ライセンス

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悪ノ父親(3-2

閲覧数:199

投稿日:2011/04/06 07:51:05

文字数:3,190文字

カテゴリ:小説

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