6.
「ごめんなさい。そう言っていただけるのはすごく嬉しいです。でも……ダメなんです。
……え?
いえ、そういうわけじゃありません。私は誰かと付き合っているわけではないですし、今も、きっとこれからも一人です。
自分がどんな人間なのか、てんちょ……本橋、さん……は、ご存じありません。それが……そもそもの大きな理由の一つです。
……いえ、でもそれは、決定的な理由ではないんです。
確かに、知らないならこれから知っていけばいい、というのはその通りかもしれません。
ですが、私は……恐らく、も……本橋さんが考えている以上の問題を抱えているんです。――いえ、抱えていた、と言うべきなのかもしれません。
本橋さんだから断っているというわけではありません。むしろ……貴方とそういった関係を築けるのなら、どれだけいいかと思います。問題があるのは、貴方ではなく、私の方なんです。
……。
……そうですね。
確かに、説明しなければ、本橋さんも納得できないですよね。
けど――。
……。
はい。そうです。
あまり……簡単に人に話せる過去じゃなくて。
……それでも、知りたいですか?
誰にも……話さないって、約束してくれますか?
……。
……。
……。
……わかりました。
……ふー。
……。
私……。
私、私――。
自分の子どもを、殺したんです。
……。
……。
……。
保護責任者……遺棄致死罪、と言われました。
それで、五年間刑務所にいたんです。
あのときの私は、精神的な余裕なんてまったくなくて……。私、あんなことになるなんて思ってもなかったのに……。
……。
……。
……すみません、取り乱して。
そうですね。
たぶん……初めから話をしないと、なんでそんなことになったのかなんてわからないですよね。
でも、初めからとなると……私が生まれる前から話をしないといけなくなるんでしょうか。
すごく長い話になりますけど、いいですか?
……そうですか。わかりました。
ここまできたら、貴方に全部話します。
その上で……判断してもらえたらいいと思います。
きっと、きっと……。
私の選択も、わかってもらえると思いますから。
……。
初めから……そうですね。
私の母と、その前夫の話からしないといけないんでしょうね。
なぜそこから話をしないといけないのかって?
それは、聞いていただければわかると思います。
それがすべての発端と言っても……過言ではないので。
……。
では、続けましょうか。
私の母は、結婚相手だった前夫から、執拗なDV――ドメスティック・バイオレンスと言うんでしたっけ――を受けていました。
母が耐えかねて実家に逃げても、追いかけてきて引きずってでも連れて帰り、来る日も来る日も暴力を振るったんだそうです。
結婚して一年が過ぎ、これ以上は本当に命に関わると、母はもう何度目かの家出をしました。
もう二度と追ってこれないように、連絡手段も、これまでの家族や友人のつながりも捨てて、自分のことを誰も知らない遠くの街へ移り住んで。
それは、大方のところでうまくいきました。
二、三年後には、新しい男性と――私の父と――関係を築けるようになるほどに。
しかし、必死の思いで逃げ出してきた母が、離婚手続きなどしているはずがありません。
けれど今さら前夫に連絡を取ることなどできません。そうすれば、前夫は手にした手がかりを元にまた追いかけてくるでしょうから。
私の父が主導して、離婚調停を家庭裁判所に申し立てたそうです。
それでも揉めに揉めて、離婚が成立したのはそれから四年も経ってからのことでした。
私が生まれたのは、離婚成立から八ヶ月後のことだったそうです。
私が生まれて、母は出生届を出しにいきました。
ごく当たり前のことですよね。
母の名前と父の名前が記された、私の出生届。
けれど役所は、その出生届を受理しませんでした。
父親の欄に書かなければならない名前は、前夫の名前だと言って。
三百日問題って、知ってますか?
……そうですよね。普通、知っていたりはしませんよね。
民法っていうもので決まっているんだそうです。
離婚後三百日の間に生まれた子どもは、民法上、戸籍上の父親は前夫とする、と。
母は、前夫とはもう八年近く会っていませんでした。離婚調停の際も、また暴力が振るわれることを極端に恐れていて、直接顔を会わせることがないようにしていたそうです。そして、その期間母を支えていたのは父だったんです。
役所で不受理となったとき、母は職員に前夫は関係ない、と言ったそうです。
……なんと言われたと思います?
『不倫なんかするからこんなことになるんですよ』って言われたそうです。今じゃそんなことを言ってくる人なんていないんでしょうけど……。二十七年前は、そうじゃなかったんでしょうね。
確かに、書類上では離婚が成立したのが遅く、不倫という扱いになってしまうのかもしれません。
けれど、母はそこまでして責められなければならなかったでしょうか?
……。
……結局、母は私の出生届を出すことができませんでした。
仮に出生届に前夫の名前を載せるにも、本人の署名が必要になります。二度と関わりたくない相手と連絡を取ることなど、母にはできませんでした。調停の際の前夫の態度は、出生届には協力せず、舞い込んだ新たな手がかりを元に追いかけてくるとしか考えられないものだったそうですから。
父もどうにかしようとしたようですが、結局どうにもならなかったそうです。
私は……結局、無戸籍となりました。
日本の法律上、存在しない人間だったんです。
そして、そのことで母と父の関係も悪化し……二人は、結婚することなく別れてしまいました。
私は、父と会った記憶が数回しかありません。
離婚調停の協力までしてくれた父が、どうしてそこまで仲違いしてしまったのか、それ以上のことを私は知りません。母も話してはくれませんでした。
母はことあるごとに、私に「あんたさえいなければ」と口にしていました。
私がいなければ父と仲違いすることもなく、結婚して一緒にいられたはずなのに、と。
……私のせい。確かにそうなんだなって思います。
……。
え……?
……そうですね。私にどうにかできた問題ではないかもしれません。けれど――。
けれど、私の存在がそれを引き起こしたというのは、否定しようがないんですよ。
だから、私のせいなんです。
私の、せい……。
……。
……。
……。
すみません。
少し……時間をください。
……。
……。
……。
いえ。……いえ、大丈夫です。
……はい。大丈夫ですから。
それで……。
……。
無戸籍だった私は、学校に通うことなく育ちました。
はい。そうです。
無戸籍だったせいで就学案内も届かず、そもそも小学校にも中学校にも、入学できなかったんです。
ちゃんと調べれば、学校に問い合わせてみていれば、実際には通うことができたそうです。……そう、教わりました。
けれど……私がそれを知っているはずがありません。
母は、私のことをうとましく思っていて、私になにかしてくれることなどありませんでした。
ええと、こういうのをなんと言うんでしたっけ。
……。
ああ。
そう。それです。
ネグレクトっていうやつだったんです。
日本語だと育児放棄って言うんですか?
そっちの方が言葉通りの意味で、わかりやすいですね。
私、今は朝から夕方までのシフトにしてもらっていますけど、仕事の後、夜間中学に通っているんです。
中学校どころか小学校も卒業していないので、小学校の内容から勉強しているんですけど。
来年くらいにやっと中卒だって言えるようになって、できるなら高卒資格を取るためにもっと勉強しないと、っていうくらいで。
だから、私の場合、最終学歴なんてなにもないんです。中卒ですらなくて……そういうのを詳しく聞いてくるところだとそもそも働かせてもらえません。
話が……それましたね。
小学校も中学校も行かないまま私は育ちました。
無戸籍なので身分証明ができません。銀行口座やクレジットカード、パスポートどころか、携帯電話も持てないしちょっとしたお店の会員証も作れません。保険証もないので、歯医者や病院に行ったこともありませんでした。
……というか、学校や病院といった施設の存在すら知らなかったんです。
そして、無戸籍だったせいで児童相談所なんかの行政施設も、私のことを知らないままでした。母からどれだけ虐待を受けても、それは発覚しなかったんです。
家に閉じ込められていた私は、テレビだけが唯一の情報源でした。そこで形作られた私の中の“普通”が、いわゆる一般常識とかけ離れていることを思い知らされたのも最近です。
だから、今でも……誰かと話をするのは苦手で。
自分がいかに“普通のことを知らないか”を思い知らされてしまうので。
……それで。
それで、十八のとき……初めて妊娠しました。
体調の変化や大きくなるお腹に、私は自分がなにかの病気になったのだと思いました。
その頃付き合っていた人にその事を話すと、ただ「堕ろせ」と言って、それ以降会ってくれなくなりました。
妊娠さえ理解していなかった私が彼にかけた最後の言葉は「おろす? なにを?」でした。
自分ではなにが起きたのかわけがわからなくて、ただ母に怒られると思って必死に隠しました。
母に露見して、それが“妊娠”というものだと知ったとき、すでに二十二週を過ぎていました。
妊娠から二十二週を過ぎると、人工中絶はできません。そもそも、検診のためのお金すら持っていなかったのですから、そんなこと関係なかったのかもしれませんけど。
二十二週以降に人工中絶を行うと、堕胎罪という罪になるんだそうです。
でもそれは……結局、問題にはなりませんでした。その子は、死産になってしまいましたから。
私が栄養失調気味だったことも無関係ではなかったんでしょう。
急な陣痛で、家で泣き叫んだ私を見かねて母が救急車を呼びました。その搬送先の病院で、心臓が止まっている赤ちゃんを産んだんです。
……どう言ったらいいんでしょう。
このときの気持ちは……うまく言えません。
ただ、悲しくはなかったんです。
なにか、なにかに――打ちひしがれたような気持ちにはなったんですけど、それだけで。
それが――悲しさを感じなかった自分が、恐ろしくて。
命が一つ、生まれて……消えたっていうのに、私は、なんて薄情なんだって。
そして……自分に戸籍が無いんだって知ったのも、このときでした。
それまでは無戸籍なのも知らなくて、学校に行ってないのがどれだけおかしなことなのかも理解していませんでした。
けれど、病院も母も、なんら手を打ってはくれませんでした。私も、なにをどうすればいいかわからないままで。
……。
そして、翌年に――新しい男性との子を妊娠しました。
そのときは、もう家を出て母のところを離れていて、彼の家に住まわせてもらっていました。
妊娠して死産を経験するまで、母は私のことをほとんど無視していました。それが、それ以来、母は私をあからさまに拒絶するようになっていました。
私がなにを言っても、母の答えは「お前の意見なんか聞いてない」でした。
母の考えが変わってしまったのは、金銭的負担だったのか、それとも私の死産だったのか……原因はわかりませんが。
とにかく、家にいられなかった私は、しばらく夜の繁華街を渡り歩いていました。
居場所がなくなってしまった家の代わりを探して。
そこで出会ったその人の家に泊まっていたんです。
その人は、私が教育を受けていないことや、とんでもない常識知らずであることを問題にはしませんでした。当時の私にとって、それはなによりも重要なことでした。
自分の倍くらいの年齢だったことや、暴力の伴う“行為”の強要なんて、当時の私には些細なことでした。
私を受け入れてくれるなら、相手のそういったことは当然受け入れなきゃいけないんだと、そう思っていたんです。
……本当に、バカな話ですよね。
そのせいで妊娠することになったのに。
十九才で二度目の妊娠だなんて。
……。
でも、このときはまだ知りませんでした。
それ以上の問題が、私の前に立ち塞がっていることに」
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