2章「夏祭り」



三か月後――。


【グミサイド】


私が暗殺すべきターゲットこと海人――とコーヒーショップで出会ってから、三か月が経った。
私は彼に夏祭りを誘われてからというもの、彼にコンタクトを取り続けた。
理由はもちろん、殺すため。それ以外の理由なんてない。任務達成のためにも、彼とはより親密にならなければいけない。
徐々に距離を縮め、縮めきったところで、殺す。
作戦は順調に進んでいった。携帯電話の番号も、アドレスも、交換した。
コーヒーショップで話すだけじゃなくて、色々な場所に出かけることもよくあった。
要するにデートのようなものだ。そうして行動を起こすうちに、距離は縮まったように思う。
決してカップルというものではないけれど、向こうはどうなんだろうか。本気なんだろうか。
真意はわからない。ましてや殺してしまえば、確かめる術はない。それはもう永久に闇の中だ。

事の決行は、夏祭りの最終日。
それは案外、遠いようで近かった。
その日は、すぐにやってきた。


―――。


7月23日。夏祭り四日目の最終日。

時間は夕時。午後六時前後といったところだ。

「もう、夏か……」

私は駅のホームで待ち合わせしていた。買ったばかりの浴衣を着て。
ふっと空を見上げる。夏の夕方は長い。まだ日は沈まない。
四月の時と比べると、この空も大分表情を変えた。早起きの太陽が東から上って、お昼ごろにはじりじりと地面を照り付けて、やがては西へと沈んでいく。大きな大きな入道雲たちと一緒に、夏の空気を作り上げていた。

こうしてみると、彼に出会ってから結構経ったのだと思う。
三か月なんて、本当にあっという間。色々と密度の濃い三か月だった。
彼に出会ってからというもの、渋谷の109なんか行ったり、水族館に行ったり、映画を見に行ったり。
そのたびに、彼に私という存在を少しずつ打ち明けて。私も、彼という存在を一つずつ知っていって。
相手のことを一つ一つ知っていくのは、戦略のうち。けれどそういった戦略を抜きにしても、お互い知らないところを見つけあうのは、不覚にも少し、楽しかった。
今までにもこういったことは、他のターゲットと何度かあったが、こういった気持ちになったのは今回が初めてだ。
本当なら、こちらの情報は不用意に渡してはいけないのだけど。それに相手は警察官なのだから。
でもどうしてかわからないけれど、この男と一緒だと、大事な情報を少しずつ落としていってしまいそうになる。
私の身の上や、自分が殺し屋であることはさすがに言わなかったけれど。
そんなこんなで、ひと月が過ぎ、ふた月がすぎ、やがてみ月がすぎた。
ほら、あっという間。そうやって時間を過ごしていくうちに、ある程度は、心を許せるような仲にもなっていた。

そしてこの三か月で思ったのは、彼は必然で私に近づいて来たのではないということ。何も特別なことなんてない。ただの偶然だった。
私はひそかに彼を尾行したりもしたこともあったが、特に何かがあるわけでもなかった。
彼と一緒にいる時、誰かほかの人間が監視していたりしないか、周りをチェックしたこともあった。発信機などが服につけられていないかどうかもチェックした。だが、異変は何もなかった。やっぱりただの偶然だったのだ。
気を張り詰めていると、何もかもが疑わしく見えてくる。相手が警察官というだけで、同姓同名の人間が目の前に現れただけで、それとなく必然に見えてしまうからいけない。
世の中にはとんでもない偶然だってあるわけだし、一万分の一でも起こることは起こる。
そう、そしてこれもただの偶然だった。これ以上、彼に特に警戒する必要もないだろう。そういうことで、私の中では片をつけた。
もしかしたらそのせいかもしれない。彼にぽろぽろといろんな話をしてしまったのは。

「あつ……」

片手に持ったうちわを仰ぎながらつぶやく。夕方とはいえ、暑さが引かない。
この暑さが続いたら、浴衣が汗で湿ってしまいそうだ。早く涼しくなってほしいものの、まだまだ夏は始まったばかり。八月にはもっと熱くなることだろう。

ちなみに、浴衣を着ているのは彼の指示だ。いつもの恰好じゃ味気ないから、夏祭りの日はお互い浴衣にしようかと言ってきた。
浴衣なんて着たこともなかったし、当然持っているわけもなかったが、この間彼と一緒に買いに行った。
特にこだわりもなかったので、適当に選ぼうとしたら、もう少し柄を選んでみれば?と彼に言われた。
浴衣の柄には様々なものがあり、それぞれ意味合いが込められているそうだ。
例えば、牡丹の花柄は「幸福」、ツバメの柄は「幸せや恋を運ぶ」、梅柄は「忍耐力」の象徴。
色々な柄があったが、私が今着ているのは、撫子(なでしこ)の模様が入った浴衣だ。
撫子の花は、優雅、美しさ、そして笑顔をあげよう。という意味らしい。
笑顔をあげよう、か……。実際には、そんなことできもしない。どうやって笑わせたらいいのかわからない。
そんな私がこんなもの、着ていていいのだろうか。私は自嘲気味に笑った。そうして、またぱたぱたとうちわを仰ぐ。
少しすると、後ろから声が聞こえた。「おーい」という彼の声が。

「よーっす。待った?」

彼もまた、浴衣を着ていた。男物だからだろうか、一切浴衣には模様は入っていない。紺色をベースにした、無地の浴衣。それがなかなか渋かった。

「待ってないよ。今きたとこ」

それは本当は嘘だけど。
少し早めに来て、考え事をしていたのだ。まぁ、その考え事というのは、仕事についてのことなのだけど。

私はこの男を、本当に殺してもいいのか?それについてだけ、考えていた。
何をいまさら、と言われるのも当然。
正直、私の中でも迷いが生じていたから、最後の最後まで、暗殺予定の夏祭りの日まで答えを出せなかった。
本来なら迷うこともないその問いに、どうやって答えを出すべきか、私は迷っていた。

殺すべきか、殺さぬべきか……それが問題だ。

依頼を受けたのならば、任務を完遂するのが私の仕事。ターゲットへの感情移入は仕事の妨げになってしまう。
だから、仲良くなりすぎてはいけない。それは鉄則のはずなのに……。
不覚だが、私は海人という男に少し近づきすぎてしまった。
私は、この男を殺したくない。……なぜ?具体的に問われると、わからない。しいて言うならこの男は、たまにキザだけど、少し良い奴だと思ってしまったから。
けれど、任務を完遂しなければ、依頼主にどやされる。それだけじゃない、あの悪趣味な野郎にも知られたら、今度こそどうなるかわからない。
ただ殺されるだけならまだいい。だが、きっとあの悪趣味サンタはそうしない。
私をいたぶって、いたぶって、いたぶってから殺すのだ。
多分、最初に指を一本ずつおられるだろう。そのあとのことは、想像したくない。拷問が進むたび、自分の原形をとどめていない姿を思い浮かべるのは、嫌だから。
そうならないためにも、私は彼を殺さなくてはいけない。

「……浴衣、よく似合ってるね。可愛い」

彼は私の考えていることなどつゆ知らず、そんなことを口にする。
まさか目の前の相手を殺すか殺さないかで迷っているなんて、誰も思いもしないだろう。

「可愛いって、そんなことないよ」

可愛いなんて言われたのは初めてだった。
人を何人も殺してきたような人間だ。そんなやつが可愛いはずない。
それなのに、可愛いっていわれると少し恥ずかしい気持ちになる。あぁ、なんなんだ、このむず痒いような気分は。

「可愛いよ。ホントに似合ってる」

そう言って、彼は私の頭をなでた。
周りから見ると、さながら付き合っているカップルのように思われてしまうだろう。
決してそんなものじゃないのに。もとより呪われた運命だ。私は幸せになってはいけない。
しかも誰かに愛されるなんて、もってのほか。人並みの幸せなんて、私にはまぶしすぎる。

「似合ってなんか――」
「似合ってるって。もっと自信持ちなよ」
「う……」

そんな風に、しかも笑顔で言われてしまうと、なんだか返す言葉も見つからない。
可愛いなんてやたら言われたら、恥ずかしくて顔を直視することもできない。そんな私の様を見て、彼は言う。

「グミちゃん、なんか丸くなったね、性格が。前はもうちょっと気高かったのにな」

海人は私を撫でながら、笑った。

「デレたの?」
「んなわけあるかっ!!」
「はは、照れてるー」
「照れてない!」

なおも、ははは、と笑い続ける彼。駄目だ。完全にいいように扱われてる。
最初は反発していたが、今ではこうして頭をなでられることに対しても、抵抗を覚えなくなっていた。

「グミちゃんって俺の部下みてーだなあ。撫でた時の反応、すごいわかりやすいよ」
「うっさい!……って、部下?」
「そ、自分でいうとナルシストみたいになるから言いにくいんだけどさ。俺のことを色々な意味で慕ってくれる女の子の部下がいるんだ。まだ新人でさ、学生気分が抜けてないドジなやつだけど」
「……それで?」
「その子、なぜだか知らないけれど、俺のことが好きみたいなんだよ。まぁ……いろんな意味で。上司としてだったり、一人の男性としてだったり……あぁ、なんか改めて言うとすげぇナルシストだな俺」

一人の……男性として?

「つまり、好かれてるってこと?」
「そゆこと。一回マジで告白された」

はは、と苦笑いをする彼。
そう、なのか。まぁ、当然といえば当然なのかもしれない。海人は顔はいいし、なんたって公務員で、稼ぎはいいし。
寄ってくる女性が一人二人いたところで、別に驚くことではないのかもしれない。
けれど、なぜだか少し、心の中がもやもやとした。

「でも……ちょっと危なっかしい子だけどね。目的のためなら手段は選ばないみたいで。ちょっと前の話だけど、その時なんか、婚姻届けに俺の名前書かれてて、実印まで押されてたんだぜ?俺は書いた記憶もハンコ押した記憶もないのに」

実印を奪って婚姻届け書くって……。それは……ヤンデレというやつか?メンヘラなのか?

「まぁ、それは俺の勘違いで、実印は盗まれたわけじゃなかったんだけどさ。婚姻届けもよくよく考えたらコピーだったし」
「そんな子が警察にいていいの?」
「うん。まぁ突っ込んだら負けってことで。突っ込んでたらキリがないぜ」

いやいや、だからってそんな簡単に受け流せる問題でもないと思うんだけど。

「……それでさ、ちょっと茶目っ気のある子でさ、こう撫でるとさ、わかりやすいくらい照れるんだよ。今のグミちゃんと同じ感じ。分かりやすい」

……。はい、完全なるプレイボーイですね、わかります。

「全く、仕事は優秀なのになー……って、うわわ!」
「さ、そろそろ行こ。早くいかないと場所とられちゃうから」
「あ、あぁ」

海人の口から他の女性のことを聞くのは初めてだった。
なぜだか、私はそれを聞いたとたんに、何か嫌な感じが体の中を走りめぐってくる。
自分でもなぜこんな気分になるのか、わからなかった。
それを断ち切るが故に、彼の手を取って、半ば強引に手を取って歩き出していた。

「途中で何か買ってかないか?」
「だめ。直行」

つかつかつかと、下駄で一直線に歩いていく。嫌な感じを断ち切るように。

「えー。そんな拗ねるなよー。まぁ拗ねてるところも可愛いけど」

どきっ。

「あ、赤くなった」

あぁもう、なんで不意打ちでこういうことを言ってくるかな、この男は!

「赤くなってなんか……」
「ううん、赤いよ。あと、誤解しないでほしいんだけど、その部下とは別に何でもないから」
「……そうなの?」
「うん、マジ。個人的にかわいいとか思ったことない。告白されても断ったし。あいつは恋愛対象以前の話だよ。……まぁ部下として心配はするけどさ」
「……そっか」

ほっ。心の中で胸をなでおろす。
なんだ、そうだったのか。よかった。
って……どうして?私は……どうして安心してる?
別に、彼が誰と付き合おうが知ったことじゃない。けれど……私は変な気分になった。
我ながら語彙力のなさに腹が立つけど、彼が彼女のことを話した時、なにか嫌な気持ちになった。
考えてもわからない。こんな感情を持ったのは……初めてだ。

「じゃ、行こうかそろそろ」
「……うん」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ラストバレット。2-1

閲覧数:80

投稿日:2014/08/13 00:02:24

文字数:5,084文字

カテゴリ:小説

クリップボードにコピーしました