昼食後、イルの部屋広間では国王・宰相・外務大臣・国防大臣・財務大臣五人による会議が開かれていた。まあ会議と言ってもほとんど形だけで、仕事の話を交えつつの談話会に等しい。
現に、ヴィンセントとアズリを除く三人は日の高い時刻にも関わらず、アルコールを煽っていた。
和やかな会話の中で、レンの脳裏には朝食時の記憶が思い起こされていた。何か企んでいる。今朝のアレンの様子を見ていてそう思った。
けれど、思っただけで何もしなかった。息子がジンに付き合って悪戯をすることなど、今に始まった事じゃない。そしてあの王子様の我儘にアレンが逆らえないのは、レンがイルに逆らえないのと同じ事だ。
その度に親友はジンと共にアレンを叱ってくれた。ハウスウォード時代の養父母からの折檻とは違い、それは愛情の伴ったものだったから、きっとあれも彼らの成長を手助けしているのだろう。
そしてそれを分かっているから、イルも悪戯をする彼らをそこまで怒ったりはしなかった。子供時代に外に出て遊ぶ事は、大人になって否が応でも室内に引き籠る必要がある立場の人間にとって、必要な事なのだから。
アレン。
息子の事を考えると、自然と心が温まる。生まれる前は不安だったけれど、アズリの胎内から出てきた命を見てそんな考えは吹き飛んだ。
不思議だった。初めて会った瞬間に、こんなにも愛しいと思える人間が居るのかと。そんな気持ちになったのが嬉しくて、アレンが一歳になるまではほとんどアズリに世話をさせなかったと思う。
そして物心つく少し前から、レンはアレンに極力近づかないように努めた。理由は簡単で、愛しい息子が自分に似るのが耐えられなかったからだ。外見の事を言っているのではなく、言動やら性格やらが似通ってくのは嫌だった。
今更だが、レンはこの性格でそれなりに苦労して、同時に周りにも苦労させていた。
そんな思いをさせたくなかった。息子には、誰からも愛されるように育って欲しかったのだ。そう言う意味では、もっとアズリに似て来て欲しかった。
そんなレンの願いは全く叶わず、歳を重ねるごとに周囲からは「生き写し」と、イルの息子であるジン共々言われるようになった。
ジンがイルの性格を受け継いだのは、イルの親友としても宰相としても喜ばしい事だった。
人を引き付ける魅力を持った王子は、次期国王としても立派にやっていけるだろう。多少苦労させられているのはやはり机仕事への嫌悪感だが、それも父親のイル程ではない。彼の病的なそれは本人にも言った事だが、幼少時の経験がトラウマになっていた可能性が高い。
そしてアレンは、読書も計算も大好きで得意な子供だった。レンは元より、アズリも明晰な頭脳を持つ母親だ。双方の血を引いて、アレンはやはり図抜けた知能を持っているようだった。
可能な限り息子と関わりを持たないようにしていたレンだが、アレンが六歳になった頃から書斎の本が次々と姿を消して行く事に気がついた。書斎の本棚には一度読んだ本をしか置いていなかったので支障はないものの、歩哨に二十四時間守られている宰相執務室で頻繁に窃盗行為に及べる人物は、非常に限られていた。
アズリは勉強熱心だが、専門分野以外では食わず嫌いが多い。紛失した本は政治学、経済学、医学、薬学等多岐に渡っていた。前者二つはともかくとして、後者は彼女の好みではない。
他に宰相執務室を顔パス出来るのは、四名。あの読書嫌い親子は論外として、ヴィンセントがわざわざレンの本を無断で持って行くわけが無い。
そして、残りは一人。何故こんなに回りくどく考えたかと言うと、歩哨が何者かに脅されているようで、誰が窃盗犯か口を割らなかったのだ。
他の条件を全て破棄したとしても、本数冊のためにそんな事を考えるのは一人だ。
アズリと犯人が寝静まってから、子供部屋に侵入して巧妙に隠されていた本を発見した。妻の腕の中で眠る我が子の頬を撫で、こう呟かずにはいられなかった。
自分の悪行を隠すため、何らかの弱味を握って歩哨の口を塞ぐとは、一般的な十歳児の考え方とは思えない。そしていかにも、自分であればしそうなことだ。
「なんで、こんなに似ちゃうかな」
柔らかい金髪を梳く。白状すると、アレンが寝た後にはこうやって息子の寝顔を眺めるのは日課だ。起きている時に抱きしめてやれればいいが、必要以上の接触でこれ以上似てしまっても困る。
レンが愛しい我が子に触れられるのは、アレンが寝ている時だけだ。
「ごめんね」
何もしてあげられない。親として失格もいい所だ。
「予算は出来たんだろ?」
イルのアズリに対する呼びかけで、現実に引き戻された。
「はい、出来ましたー」
君主からの質問に真剣に答える気は無いのか、財務大臣の注意は本日自ら選んで買ってきた菓子を摂取することにしか向いていない。親友の紅の瞳がこちらに向き、無言で催促されるまま情報を付け足した。
「昨日僕も見たけど、問題無いと思うよ」
アズリは突発的事態には全く対処できないが、日々のルーチンワークの腕は一流だ。何かしらの緊急事態が発生したとしても、ある程度の適切な指示があれば対応できる。
「相変わらず、農業科学研究所に予算を割き過ぎな気がしますけど」
と、ディー。指摘されれば、レンとしても同感だった。
「まあ、そこは少し減らしてもいいかもしれませんけど」
「他に使うところあるのか?」
貯蓄は十分にあるし、他の用が無いのであれば無理して削る必要もない。
「斥候部隊を増強したいのだが、余りが出るなら回してくれないか?」
しかし、国防大臣が使う場所を挙げた。
「赤の国との関係も悪化してきてるし、ここは軍費に充てるのが妥当かも」
国の再建当初からの努力がようやく実り始め、最近緑の国との国交はかなり改善されてきた。が、それに反比例して緑の国の同盟国である赤の国とは、緊張が高まってきている。
「先月も、外交官が一人死んだな」
臣民を殺されたむかつきを思いだいたのか、イルの声は酷く重い。
「あちらさんの正式発表では、反政府組織によるテロ行為に巻き込まれたことになってるけど」
イルの強い意志もあったので、その外交官の事件には黄の国としても裏から表から調査を入れはしたのだ。しかし、外国内で目立つ動きを取れなかったとはいえ、ヴィンセントが手塩にかけて育てた憲兵も、レンがノウハウを叩き込んだ諜報員も証拠を掴めなかった。
「嘘でしょうね。緑の国と黄の国の友好条約調印への、せめてもの反発のつもりなのでしょう」
レンとディーの反応は極めて冷めたものだった。
「今の王になってから、また少し過激になったな」
ヴィンセントも同意を示す。
「勘弁してくれよ」
平和主義の陛下が、また重い溜息をつく。
「戦争にはならないと思うよ? そんなことしたら益々孤立するだけだしね。ただ、今は友好条約調印前の大事な時期だから、あっちも調子に乗って揺さぶってくるんだと思う」
今は外交関係での問題を極力避けたい。それも相手は理解しているから、こちらが強く反応できない事を良い事に嫌がらせをしてくるのだ。このまま言えば親友に怒られるので、敢えて口には出さないが。
人一人の命を消すことは、嫌がらせとは言わねえ、と。
「警戒するべきは表立った武力抗争ではなく、条約無効を取り付けるための裏工作でしょうね」
「同感だ。テロの警戒には先月から人員をそれなりに割いて、疑わしい建物や入国者の立ち入り検査も始めている」
ヴィンセントの万全の対策に、それならそう心配する事もないと思った瞬間、憲兵隊総隊長と資料管理官が来たと前室に居るセシリアから声がかかった。会議中なのだが、どうにも至急報告する必要があるらしい。
入室を許可すると、青い顔をした二人の軍人が入って来た。
「何かあったか?」
「はい、誠に申し上げにくいのですが、資料室の鍵とその奥の特別管理棚の鍵を、紛失しました」
軍人として有るまじき失態に、この国を動かしている四人の大臣と国王の視線が容赦無く降り注いだ事は言うまでも無い。
「それで? 肝心の資料はどうなったんです?」
絶対零度の問いかけが外務大臣から発せられ、部屋の温度が下がって行く感覚すら覚える。こんなに下らない失態が耳に入ったのは久しぶりだった。
「特別棚の、数件の未処理案件が入ったファイルが一つ盗まれました」
「一つだけ?」
テロというには少な過ぎる被害に、思わず問い返した。
「はい、そしてこちらも申し上げにくいのですが、管理官と話したところ鍵を盗んだ犯人と言うのが」
俯きながらも、総隊長はちらりとレンに目線を上げた。そこまでされれば嫌でも分かる。
「アレン?」
「はい、管理官も私もアレン様と接触を持った後に鍵の紛失に気がつきました」
「いつもの悪戯、か?」
言いながらも、イルは今一つ腑に落ちない様だった。それにはレンも同感だ。彼らは今まで様々な悪戯を引き起こしているが、それには一つ一つ意図があった。その目的は非現実的な子供の願望なのだが、ジンもアレンも決してただ他人を困らせるために誰かを欺いたりはしない。
彼ら二人、特にジンにとっては少なくとも決行途中では、悪い事をしているという意識は無いのだ。その二人が犯罪組織の資料を、こんなに手の込んだ方法で盗んだということは――
「何か、すげえ嫌な予感がしてきた」
理屈じゃないのかもしれないが、親友も同じ結論に達したらしい。
「レン、行くぞ」
「え、何処に?」
嫌な予感はレンも同じだが、だからと言って彼らがどこの犯罪組織に特攻に行ったのかは分からない。しかし、この王様にそんなものは必要ないらしく、愛剣を持ってもう部屋を出ようとしていた。
「いいから来い」
「はいはい」
抵抗したところで引きずられるだけだ。大人しく従いつつ、部屋の隅に立てかけておいた細剣を腰に吊り下げる。
「捜索隊を出すか?」
ヴィンセントに問いかけられるが、首を横に振る。
「それは、まだ時期尚早だよ。何か分かったら知らせるから、ここか部屋に居て欲しいな」
嫌な予感は、はっきり言ってもう確信に近い。しかし仮にあの二人が無謀な潜入の末捕まっていたとしても、相手によっては身分がばれていないとも限らない。身の安全を考えた時、ただの悪餓鬼と思われている方がいいのか、それとも利用価値のある子供と気が付かれた方がいいのかも、やはり相手とその目的次第なのだが。
「分かった」
武人が頷くのを確認してから、イルに付き従って廊下に出た。
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