「なんで、なんでそれ」
彼は震える声で、彼女にたずねました。彼女は、背の二倍はある高さの金網を軽く掴みながら、歌っていました。彼には、彼女の表情がわかりません。ただ、泣いていないことはわかりました。
「ねぇ、なんで歌ってんの?」
歌い続ける彼女に、彼は一歩近付いて、またたずねました。彼女の耳にはイヤホンが差し込まれていました。でも自分の声が彼女に届いていることを、彼は知っていました。
「君を忘れて、楽になりました」
「違うッ!」
彼女はそこでやっと、振り返りました。西日に照らされて、彼女の姿は赤く染まっていました。
「振り返る君も、笑っていたの」
歌声が消え、あたりは静かになりました。彼は彼女を睨むように見つめていました。彼女は対称的に、優しげな目で彼を見つめていました。
「ごめんね。歌いに来るまで、待ってるつもりだったんだけど」
申し訳なさそうに、彼女は言いました。耳からイヤホンを外し、カーディガンのポケットにしまいました。
「その歌」
彼はさっきとは打って変わって、眉を下げ、泣きそうな顔でうつむきつぶやきました。
「どこで知ったの」
「どこだろ。覚えてないや。でもすぐにわかったよ、この歌は、君のだって」
「こんな歌、いっぱいあるよ。わかるわけないし、だいたい見つかるわけ……」
「でもわかったよ。見つけたよ。だって、合ってるでしょ?」
彼は何も言えずに、しゃがんでしまいました。
「初めて聴いた時、びっくりした。鳥肌も立った。そりゃ、聴き終わって思ったよ。そんなはずない、きっと考えすぎなんだって。でも、どうしても諦めきれなかった。だから、来たの。ここに」
彼女はまた金網に触れ、広がる町並みを見下ろしました。夕暮れに染まる家々は、あの日と大差なく彼女の目に映りました。
「確かめたかった。それだけなの。ごめんね」
「これ、なんの曲かわかった?」
しゃがんだまま、丸くなって彼は問いかけました。彼女は少し困ったような、迷っているような顔で言いました。
「……私たちの話かなって。自意識過剰かな」
「そう。そうだよ。ずっと引きずって、曲に吐き出して、それを君の見えないところに放り投げて。結局見つかって。ほんと、馬鹿みたいだ」
彼女は彼の前まで歩き、同じようにしゃがみこみました。
「私、あの歌を何回も何回も聴いてね。綺麗な曲だなと思ったの。何回聴いても、透き通っていて、少しひんやりしていて、君の手から生まれるのに、何度も納得した」
彼女は彼の白く冷たい手を取り、握りました。
「綺麗な、思い出になってるんだなって。もしかしたら、この曲を作って思い出になったのかなって」
「そんなことない。まだずっと、僕は」
「私だけ、なんだか囚われてるままな気がして」
「だから、君だけじゃなくて」
「ずっと泣いてちゃダメだなって思った。君の前では、泣いてばかりだったから」
「ねえ、聞いてよ」
「確かめたかった。だから、それだけ、なの」
彼女は彼の手を離し、立ち上がりました。
「バイバイ」
「待って」
歩き出そうとする彼女の手を、今度は彼が掴みました。
「君の、話を聞かないところが嫌いだ」
立ち上がった彼の顔を、彼女は見ませんでした。彼の視線から逃げるように、ふらふらと足元を見ていました。
「勝手に、何も知らせずに現れるところが嫌いだ。曲を見つけて、僕のだってわかっても連絡してこないところが嫌いだ。自分だけが引きずってるんだと思い込んでいるところが嫌いだ。僕が歌いに行くなんて、なんで覚えてんの。あの歌が強がりだって、なんでわからないの。綺麗事にしたかっただけなんだよ。気付いてたんでしょう、それなのに、君はまた何も聞かずに居なくなっちゃうの」
「私は弱いから、甘いから」
振り絞るように出した声は、彼にかき消されました。
「僕だって弱いよ!甘いよ!」
風が吹いて、彼女は彼の顔を驚いたように見ました。
「ずっと、好きだってわかってよ……」
涙が、彼の頬を伝っていました。
「好きじゃなきゃ、あんな歌書けないよ。弱いから、歌だけ作って君には伝えられなかったんだよ。甘いから、もしかしたらなんて変な期待をして、放り投げたんだよ。……結局、こうやって君は来てくれたけど」
彼女は、眉を下げ、笑っていました。楽しそうに、嬉しそうに、少し得意そうに、笑っていました。笑いながら、涙をこぼしました。
「やっと、君も泣いてくれた」
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ご意見・ご感想
高畑まこと
ご意見・ご感想
4作品とも、拝読しました。
恥ずかしながら、原曲は存じませんで、これから泣きにいってきます。
話の通りが無理がなく、書き慣れてらっしゃるのかと思いました。電車の中でも泣きそうで(^^;
次作もお待ちしてます(´∇`*)
2013/06/11 18:49:08