緑の国王都から東に存在する広大な森は、一際目立つ巨木の名にあやかって千年樹の森と呼ばれている。
 森の中にある村には緑の国で最も歴史が古く、また、緑の国の王族が代々通う事でも有名な学校があった。

「え! それ本当!?」
 目の前に座る友人の大声のせいで教室に残っていた生徒の注目を集める事になってしまい、グミは呆れ交じりに注意する。
「声大きい。そんなに驚くような事かな」
 この国の王女であり、妙に小さなもめ事を起こすミクと、他の人とは違う色の髪を持つハクと一緒にいるだけで普段から目立っている。他の人に聞かれて困る話ではないが、色々と面倒なので余計な関心を引きたくない。
 ミクがごめん、と謝った後、ハクが話しかけてくる。
「もう決まっているの? その話」
 声の大きさは先程のミクに比べてかなり小さいが、驚きが隠せない口調だった。
 うん、そうと頷き、グミは教室内を見渡す。自分達の話にさほど興味も無ければ部屋に残る理由も無いらしく、他の生徒は既にいなくなっていた。
 勉強会と称して教室の一画で机を囲んで約二十分。遅かれ早かれ、この二人には言っておかなくてはいけない事。隠していても仕方が無い。
「二か月後の今頃にはもういないかな」
 雰囲気を重くしないよう簡潔に告げても、ミクとハクの表情は少々曇っている。それなりに動揺させてしまう事は分かっていたとはいえ、心が締め付けられる感覚がする。
 二人揃って暗い顔になる必要は無いと頭の隅で冷静に考えてしまうのは、自分の中ではとっくに決まっていた事だからだろうか。

 友人達と別れ、一人村を出て働きに出る事を。

「てっきり進学すると思ってた」
 予想外と言った表情と口調でミクに言われ、確かにそうかもとグミは思う。
 進学するのは義務では無く任意とはいえ、この学校に通っている者はほぼ全員がそのまま進学する事を選ぶ。ミクやハクのように勉学に励み、また、学費を払える余裕のある家庭に生まれた生徒が多い為だ。
 グミのように国の制度を利用している者もいるが、それでも勉強を重ねる為に進学する者の方が多い。
 気持ちが無い訳じゃないよとグミは苦笑し、でもね、と続ける
「あたしの頭じゃこれ以上は無理」
 今現在でもかなりギリギリの成績で、それこそ下から数えた方が早い。このまま進学をしても追いつける自信が全く無い。
 学ぶ事そのものは嫌いでは無く、むしろ好きな方に入る。だがやり方がおかしいのか、そもそも自分には学校での勉強が向いていないのか、どうも上手くいかない。ミクやハクに教えて貰った時は公式などをなんとか理解する事が出来るので、おそらくは集団で勉強する事が向いていないのだろう。
 人には向き不向きがある。と言う言葉はこの事を指すと痛感した。どんなに頑張っても努力しても、出来ないものは出来ない、無理なものは無理。それを落ちこぼれなりに理解出来ただけでも、ここに通って勉強をした時間は無駄では無かったと思う。
 雇ってくれる所があったのは運が良かったと言うしかない。この村でいくつか働き口を探していくつも当たっては見たものの、全て不採用だった。
「働ける所は決まったから、そこでなんとかやって行くよ」
 先がどうなるか分からないけど。グミはそう言ってとりあえず話を区切る。
「そっか……。まあグミなら大丈夫でしょ。多分」
「多分は余計」
 ミクの根拠の無い言葉を聞き付け、笑いながら言い返す。冗談でも本気でも、そう言ってくれるのは嬉しかった。
「どこで働くの?」
 ずっと黙っていたハクが尋ねる。赤い目がうっすら潤んでいたが、グミは気が付かなかった事にする。
 何だか言いにくいなと胸を痛めたが、答えない訳にもいかない。
「ここからずっと東に行った、国境近くの港町」
「港町?」
 ハクはオウム返しに疑問を口にする。確かに東に行けば町がある。しかしその町は緑の国と黄の国を分ける川から少し離れた場所に位置していて、海には面していなかったはずだ。
「そこからもっと北に行った所。黄の国東の果てとか、国外れって言われている港町だよ」
 地図があれば良かったのにと内心でぼやきつつ、グミは緑の国を出る事、港町の領主の屋敷で働く事を伝える。
「少し前から住み込みで働ける人を探していたんだって」
 故郷から大分離れるが大丈夫か、この家で暮らす事になるが問題は無いか等を聞かれ、質問に素直に応えていたらその場で採用が決まった。
「こっちが心配になるくらいあっさりだったな……」
 領主の男性は凛々しくて近寄りがたいと言うのが第一印象だったが、話をしている内に地位のある人にしては随分親しみやすい人だと分かった。
 想像と現実の差が激しい事にさほど驚かなかったのは、多くの人が考える『王女』のイメージとは程遠いミクと接していたお陰だろう。おしとやか、上品、かわいい。世間が考える『お姫様』とは全然違うお姫様がいるのだから、柔らかい雰囲気の領主がいてもおかしく無い、と。
 まあ、あの領主が人好きの性格をしているのは、また別の理由があるからだと思うが。
 港町の事を考えていたせいか、あの町に着いた時の記憶が鮮明に浮かんで来る。内陸の森で育ち、話や絵でしか知らなかった海を初めて見た時は、こんなにも綺麗な景色があるのかと感動し、海岸で立ち尽くしていた。
「そうだ。そこでハクと同じ髪と目をした男の人がいたよ」
 何か一つ面白い話題でも出そう。そんな軽い気分でグミは話す。
「私と同じ? 珍しい」
 まさか自分と共通点のある人がいるとは思わなかったとハクは返す。明るい話を振られて気分が変わったらしく、潤んでいた目には好奇心の光が宿っている。
 ミクと揃って一度頷き、グミはやや興奮した口調で言う。
「最初はハクの親戚かと思った。でも違うよね?」
 念の為に確認すると、ハクは当然のように頷き、親戚の話なんて聞いた事が無いと答える。
「白髪赤目の人、他にもいるんだ……」
 ハクは息を吐き、驚きと感動が混ざり合った口調で呟く。
「白髪じゃなくて銀髪でしょ。確かに珍しいよね」
 さり気なく友人の言葉を訂正しつつ、グミはミクに同意を求める。
「ずっと昔は銀髪の人も多かったらしいけど……」
 ミクは小さな頃に父から聞いた話を思い出す。大昔には銀色の髪をした人間は珍しくは無く、むしろ今の緑の国では当たり前になっている、草や葉と同じ色をした人間の方が少なかったらしい。
 いつの頃からか夜空を静かに照らす月と同じ髪を持つ者は減り、今では緑の国だけでなく、黄の国や青の自治領でもあまり見かけない。
 銀髪の人間は体が弱く、気候の変動に対応出来ずに滅びてしまった。あるいは異端の烙印を押されて排斥されたとも言われているが、古すぎる話なので真相は不明である。
ハクの髪の色については、多分遠い先祖に銀髪を持った人がいて、その特徴が何代にも渡ってから現れた先祖帰りではないかと以前三人で話していた。そうでなければ、緑の髪を持つ両親から銀髪の子どもが生まれるのは考えられない。
 逸れてしまった話題を戻そうと、グミは港町で会った男性の印象を話す。
「見た目は怖いけど親切な人だった」
 憲兵の割には随分ガラが悪かったが、領主の家はどこかと聞いたら分かりやすく教えてくれた。人は見かけによらないとは良く言ったものである。
「親切な憲兵さんの話も良いけど、グミ」
 名指しで呼ばれ、グミはハクに視線を向ける。話がつまらなかったのか、それとも髪については触れて欲しく無かったのだろうか。もし嫌な思いをさせたなら謝らなきゃと考えていると、ハクは意外と言えば意外な事を聞いてきた。
「港町の領主ってどんな人だった?」
 髪の事よりもそっちかとグミは安堵と呆れが混ざった気分になる。取り越し苦労で済んだのは良いが、何だか複雑だ。
「それ私も気になる!」
 ミクも興味津津で乗って来る。心配云々より、ただの好奇心の方を強く感じる。大して面白い事でも無いと思うのだが。
 しかし、黙っていても二人が引き下がる事をしないのは火を見るより明らかだ。口に出してはいないが、早く教えろと目で語っている。
「どんな人と言われてもなぁ……」
 グミはどう答えれば良いのかと困惑して呟き、領主の印象を思ったまま口にする事に決めた。悪い人には見えなかったし、話がおかしな方に行く事は無いだろう。
「長い紫の髪をしている、背が高い男の人。結構かっこ好かったよ」
 二人が知りたいのは一体何なのか。それを聞いておけば良かったと激しく後悔する事になる。
「へぇ……。そんなにかっこ好かったんだ……」
 ニヤついた表情で意味深に言ったハクの台詞を聞き、一人緊張状態に入る。
 しまった、藪蛇!
 気が付いた時にはもう遅い。
「町を治める領主と奉公の少女。身分が違う二人はいつしか惹かれ合い、愛し合う仲に!」
 数秒前の自分に注意をしてやりたいとグミは頭を抱えたくなった。こんな美味しいネタをハクが放っておく訳が無い。
 さっきの仕返しかと考えていると、ミクが輝く笑顔で楽しそうに話を繋げる。
「しかし周りはそれを許しはせず、二人は駆け落ちを決意する事に!」
 ねーよ。
 即座に容赦無く突っ込もうとしたが、強引にその言葉を押し留める。
 言い方が悪いから、ではない。妄想を膨らませて暴走した会話をする二人には何を言っても無駄だからだ。今までの経験でそれは嫌という程分かっている。会話の嵐が静まるまで何もしないのが一番良い。
大体、領主にはグミより年下の息子がいる。自分の子どもとさして変わらない年頃の子どもに手を出すなんて事はしないだろう。
 父親の領主曰く、その息子を表す言葉は
「明鏡止水。もしくは昼行燈」
 らしい。親がこんな事を言うのもおかしいが、他にしっくり来る言葉が無いと笑っていた。
 息子の顔こそ見ていないが、きびきびとした印象の父親と似ていない事は間違いなさそうである。
 身分違いの恋は燃えるだの、男女の幼馴染って良いよねだの、ミクとハクは本で良くある設定や状況について熱く語っている。
 妙に暑い空気を肌で感じつつ顔を横に向け、グミは長く深い溜息をついた。
「駄目だこいつら……早くなんとかしないと……」

 時は同じく、黄の国外れの港町にて。
 海に突き出た釣り用の桟橋に並んで座り、二人の少年が海に釣り糸を垂らしていた。
 一人は金の髪を後頭部で短く結んでいて、もう一人は淡い緑の短い髪を持っている。それぞれ釣竿を海へ向け、体の脇に置いてある金属性のバケツには水と釣り上げた魚が入っている。
「ふえっきし!」
 金髪の少年が派手なくしゃみを上げ、緑の髪の少年が軽い口調で声をかけた。
「どした、レン。風邪か?」
 あー。と意味無く言いながら片手で鼻を押さえ、レンは少し年上の友人に返事をする。
「かな? だったら嫌だな。……あ、クオ。釣り糸引いてる」
 レンは鼻から手を離し、クオの釣り糸の先にある浮きを指差す。
「マジか」
 クオが海へ視線を向けると、確かに浮きがひょこひょこと動いている。慣れた動作で魚を釣り上げ、針を外してバケツに魚を入れる。
 新しい餌を針に付けながら、クオは思い出したようにレンに問いかける。
「この前、お前の家で働きたい人が来るとか言ってたけど、どうなったんだ?」
 何の事かを瞬時に思い出せずレンは目を細める。数秒変な沈黙が落ち、クオが釣竿を振って糸を垂らした頃、ああ、と気の無い声を出した。
「あの事か。義父さんがあっさり採用決めてたよ」
 親一人、子一人で過ごして来た家に全く知らない人が入るのだから、少しは動揺なり驚くなりするのかと思いきや、レンは普段と全く変わらない話し方である。
「不安とかねぇの?」
 引っ越し程大事では無いかもしれないが、生活の環境が変わるのは事実だ。小さな頃緑の国からこの町に来る前、好奇心と不安で心が押しつぶされそうになったのをクオは覚えている。
「無くは無いけど」
 レンは前置きをして、特別何でもない様子で断言する。
「養父さんの人を見る目は確かだし」
 激しくも鋭くも無い、むしろ穏やかさが際立つ声色から窺えるのは、信頼。
 クオは確かにと納得して頷き、からかい半分で言う。
「ま、万が一問題がある人でも、札付きの不良だった俺の兄ちゃんを更生させたガクポさんなら大丈夫だろ」
 昔はこの町で知らない者がいない程の暴れ者だったデルは、今や住人の平和と日常を守る立派な憲兵である。
 憲兵になる前、毎日誰かと喧嘩して帰って来ていた頃は、全てを拒むような刺刺しい雰囲気を纏っていた。弟のクオが理由を尋ねても、「お前には関係ねぇよ」の一言のみ。家族から見ても相当荒れていて、子どもが怖がるのも納得の風貌だった。
 しかし、レンは小さな頃からデルに懐いていた。今でもそれは変わらないが、クオにはどうしても分からない事がある。
「性格真逆なのに、何で兄ちゃんとレンって仲良いんだろうな……?」
 本当に何故。
 釣りをしながら船を漕ぐレンには、クオの呟きは届いていなかった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

むかしむかしの物語 外伝その4 幸せのかたち 前編

 今更? とか、終わりじゃなかったのかよ! と自分でもツッコミを入れたくなりますが。

 番外編第四弾。緑の国にいた頃のグミのお話。
 天然トラブルメーカーのミクと暴走乙女のハク、この二人にはツッコミ役必須です。
 ボケキャラが多いぞこの話……。

 元々本編で登場だったのに、結局出せなかったクオを出せて良かったです。
 
 本編は下から
 むかしむかしの物語 王女と召使 全24話
 http://piapro.jp/content/qohroo9ecrs92lb6

閲覧数:252

投稿日:2011/08/03 19:13:40

文字数:5,377文字

カテゴリ:小説

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