「おまえは破門だ!」
「おばあさま! 待ってくださいおばあさま!」
わたしは門を力の限り叩くが、扉の奥にいるおばあさまは返事を返してくれない。
時刻はすでに夜。はやくしないと深夜になってしまう。
「おばあさま! ごめんなさい! 許して! 許して!」
わたしは扉に耳を当てておばあさまを確かめる。
耳から聞こえたのは、遠ざかる足音。
ああ、行ってしまう……。
わたしは足の力が抜けてへたりこんだ。
石畳から伝わる冷たさが、今のわたしの気持ちだった。
わたしは座ったまま、その杖を目の前に出した。
その杖の先端には、濁った水晶があった。
これは混沌の杖と呼ばれ、禁忌の杖だった。
その杖はわたしの手によく馴染んでいて、もう手放せそうもなかった。
まさかこんなことになるなんて……。
あのときああしとけば……でも今となっては遅い。
それは数時間前のことだ。
わたしはあと少しで召喚士の修行を終えて旅立ちをするところだった。
修行修了するまであと一ヶ月を切っていた。
それで魔が差したのかもしれない。
わたしはおばあさまの覚えもよかった。
召喚士の仕事は、神獣と契約して、世界で猛威を振るう幻獣を撃退すること。
代々受け継がれてきた杖を用いて、神獣を召喚して幻獣を撃退する。
幻獣によって荒れ果てたこの世界に召喚士は重要な役目を負っていた。
それは幼い頃からの夢であって、ようやく杖を手に出来るころあいだった。
優秀な召喚士には、受け継がれてきた杖を譲られる。
普通の召喚士には、神獣と契約するところから始めなければならない。
私はそれで調子に乗っていたかもしれない。
それがパッとしなかったあの娘の不興を買っていたのかもしれない。
あの娘とは今でも親友、そう思いたい。
「ねえイアちゃん、ちょっと耳よりな情報を聞いたんだ」
その娘は黄緑色の髪をしていたショートでいつもラフな格好をしていた。
「あ、グミちゃん。おはよう」
「もうイアちゃん、すでに夜だよ」
え? とわたしは部屋を見回して窓に目を向けると、外はすでにオレンジ色に染まった居た。
いつの間にか我を忘れていたのかもしれない。
いつもこうだ。集中すると、我を忘れてしまう。
「ん、ん~~~~!」
わたしは腕を伸ばして、胸をはった。
ポキポキッと骨が小気味よい音を立てる。
「え、で、なあに?」
わたしはグミちゃんに顔を向けた。
グミちゃんはにこっとする。
今思えば、そのときのグミちゃんの笑顔は夕闇よりも黒い笑顔ったと思う。
でもそのときのわたしは、それに気が付かなかった。
「えーとね、イアちゃん、離れの開かずの間を知ってる?」
開かずの間? ああ、そういえばわたしと同じように住み込みで修行をしているミクちゃんがなんか言ってたっけ。
このおばあさまの館には、開かずの間があると。
……なんのことはない。単なる倉庫だ。
おばあさまはよく危ないから近づくなとか言っていたね。
「それがどうかしたの?」
「そこに、伝説の杖があるんだって!」
伝説の杖。それは、世界が幻獣で荒れたときに、七賢者が使っていた杖。
強力な神獣を使役出来る伝説の杖。
「そんな杖がそんなところにあるわけないよ」
「でも、リンちゃんが見たんだってさ」
え~、リンちゃんも。……本当だろうか。
「ねーねー、わたしたちも見に行こうよ」
「でも」
勉強をしたいし。
「どうせイアちゃんが一番、あたしが二番なんだし、良いじゃない」
わたしとグミちゃんは、一緒にこの流派に入ってから一番と二番を常に争う仲だった。
だからたまには勝たすハンデを与えろ、というわけらしい。
いつも僅かな差だったからなぁ。
「もうわかった」
「やった! ちょうど夜だし、忍び込もうね」
わたしとグミは、外が真っ暗になるのを見計らって、倉庫へ入り込んだ。
そのとき不審に思ったのは、厳重になっていた鍵が壊されていたことだった。
わたしとグミは倉庫の奥へ進み、ついにお目当ての杖を見つけた。
でもそれは、神秘的というよりも、まがまがしいなにかを感じるようなものだった。
「これがそれなの?」
わたしが指差したのは、先端に濁った水晶がある杖だった。
「んー、わかんない」
グミちゃんは今さっきとは打って変わって、興味なさそうにしている。
伝説の杖ならば、こんな禍々しいものじゃない。
それとも使われなかったから、あんなに濁っているの?
「あ、……ごめんイアちゃん」
「ん? どうしたの?」
「ちょっとごめんね、トイレ行ってくる」
「もう」
「……杖に絶対触らないほうがいいよ。絶対だよ!」
グミちゃんはまたも、
「絶対に触らないほうがいいよ! あたしたちには扱えない杖だからね!」
そういってグミちゃんは倉庫から出て行った。
「…………」
触ってくれといわんばかりの前振り。
でも……。
グミちゃんが居なくなったから気が付いたけれど、わたしは心の奥底で、その杖に惹かれている自分に気が付いていた。
この杖がただものではない杖だということはわかっている。
でも、図鑑で見た伝説の杖――七属性の杖ではないこともわかっている。
いったいなんなのこの杖は?
その水晶を見ていると手が勝手に動いて……。
必死に心の中のおばあさまに言い訳をしているわたしが居て。
「あ」
わたしは出来心からそれを取ってしまった。
その瞬間、周囲の時間が止まった。
わたしは勢いで倒れて、尻餅をついた。
その杖はわたしの目の前で浮かび上がって、光を発した。
「おぬしか、わしを呼んだのわ」
それはなんとも不愉快感を呼ぶ声だった。
「あ、あなたはだれ?」
「……小娘か。顕現する!」
杖からすこし顔を出してきたそれは、なんとも言いがたい奇妙なモノだった。
顔が無数にあるような、それともあるような、奇妙なモノだった。
「我、ナイアルラトホテップ。混沌をもたらすものよ」
こんな神獣、見たことない。
混沌をもたらす!?
「おぬしの名前は?」
答えなきゃいけない気がした。
「わたしの名前はイア」
「よい名前だ」
褒められた!?
「これからおぬしがどういう人生を歩むか、楽しみにしておこう」
え?
すると、周りの異空間が瞬時に消えて、杖がわたしの手に吸い取られるよう飛んできた。
それは手によく馴染んでいて、力が湧いてくるものだった。
ドタドタドタッと倉庫の入り口からたくさんの人が入ってくる。
「あ、グミちゃん! え、おばあさま?」
おばあさまの目は怒っていて、
「こんのバカ弟子が! 破門じゃあああ」
そのとき、取り返しのつかないことをしたんだと、わたしは思い至った。
バシッと響き渡る音。
頬が厚くて痛くて、でもそれ以上におばあさまの信頼を裏切ったことの方がつらかった。
ミクちゃんやリンちゃんや、その他みんなが心配する顔。
グミちゃんは無表情な顔をして。
わたしはこの杖がなんなのかを教えてもらえぬまま、おばあさまに腕を掴まれながら玄関を連れてかれて、わたしは破門された。
悲しくて泣いているところに、ドサッとなにかが落される音がした。
もしかしてグミちゃん?
でも、門を開けて立っているのはミクちゃんだった。
「イアちゃん、大丈夫?」
わたしは涙を振り払ってから、うんと頷く。
「これ、イアちゃんの荷物、まとめといたから」
「ありがと、ミクちゃん」
「その……」
「別にいいの……でもこれからどうしよう」
ミクちゃんは事情をわかってくれた、もうそれで良い。
「ここから街はあっち。もしかしたらあっちにいけばなんとかなるかもしれない」
ミクちゃんが言うのは、都会にある召喚士の修練場ならば、まだ可能性があるかもしれないということだ。
でも、この杖じゃ……。
それに、その都会の前には、廃墟の町がある。
ミクちゃんが心配そうにわたしを見ている。
ううん、駄目ね。弱気になってちゃ。
わたしは意を決して立ち上がって、荷物を肩にかけた。
「ありがとミクちゃん。わたし行くね」
「どういたしまして。……また会おうね」
「うん」
世界の荒廃を考えたら、わたしの一連の出来事なんて、くだらない些細なこと。
それよりは、こんなところでくじけてないで召喚士になったほうが、有意義だ。
わたしはこの修練場を後にして、廃墟の町を通り、都会へ向かうことを決意した。
このまま終わってなどいられないのだ。
「廃墟の町、……どこがそうなのよ」
わたしは森を出てしばらく平原を歩くと、遠くに町が見えてきた。
その町は、大きな灰色の壁の建物が複数建っていて、それ以外にも小さい灰色の建物が建っていた。
でも、町に近づくにしたがって、それは廃墟と呼べるにふさわしいものだった。
まるで活気がないのだ。
召喚士の端くれたるもの、常に魔力に気を配っている。
しかしその町は、どこか生気が抜けていて。
「あ、来たあああああ」
わたしはこの町を通るべきか悩んでいるところへ、少年の大きな声が響いてきた。
町とは打って変わって、この子には活気がある。
遠くから、子供たちが駆けてくる音。
「おねえちゃああああん。待ってくれ」
ドタドタドタと6人の子供たちが来た。
「なあ、お姉ちゃん、召喚士なんだろ! 頼む。この町を助けてくれないか」
その目は真剣な目をしていて、切羽詰っているようだった。
「僕が、僕がいけないんだああああ」
「ちょっとショウタ、落ちついて。あたしメイ。お姉ちゃんは?」
ショウタとメイちゃんね。
「わたしはイア。召喚士……かな」
いいよね、おばあさま?
「頼みがある。付いてきてくれ」
返事を待たずに、わたしの手は掴まれて、裏路地に入っていく。
誰にも見つからないように進んだわたしたちは、一つ大きな建物にたどり着いた。
その建物には工事中と書いてあり、その途中で放棄されたものらしかった。
数階のぼって、ショウタたちは指先でそれを指し示す。
その先には、大きな祭壇があった。
「この町は、ぼくのせいで……」
「ショウタ」
メイが言うには、ショウタは召喚士の一家であったらしい。
それはそれはもう仲睦まじい家族であって。
お父さんとお母さんは召喚士らしかった。
しかしあるとき、おかあさんが召喚の事故を起こしてから、お父さんがおかしくなったらしい。
いいえ、ショウタくんがおかしくしたとか。
ショウタくんは泣き続け、泣き続けて、あるときお父さんが慰めてこう言ったらしい。
「悲しみの無い世界を作る」
それから、この町の大人たちや大半の子供の活気が無くなったらしい。
かろうじてこの6人は難を逃れたみたい。
他にも難を逃れた子供たちはいるかもしれないが、今把握できるのはこの6人。
「お姉ちゃん、お父さんを止めて欲しい」
あの祭壇は、お父さんが壊れた日から、出現したようだ。
でも、わたしは召喚士になったばかり、そんなわたしが現役の召喚士に勝てる要素なんて。
わたしが難しい顔をすると、ショウタくんやメイちゃんが、しょぼくれてしまった。
わたしは杖を見る。
すると、杖が振動して、わたしたちの前に浮き上がった。
「顕現す」
轟音を立てて、ナイアルラトホテップが外に出てきた。
ショウタくんたちが驚愕している。
「こんな神獣、見たことない!」
「お、お姉ちゃん、なにこいつ」
メイちゃんたちが震えている。
「我、ナイアルラトホテプ。聞いたぞ、おぬしたちの願いを」
「ナイアルラトホテップ! 勝手に出ないで」
ショウタくんたちが目を輝かしはじめた。
「お姉ちゃん、止めてくれるの!」
「変な名前」
「失礼な。……事情は察した。イアよ。この者たちを助けてやろうではないか」
でも……わたしなんかが。
「なに、心配することはない。見たところ、格下だ」
「やったー!」
「ただし、そこの少年、条件がある」
威圧を秘めたその言葉に、和気藹々とした空気が一瞬で凍った。
「代償は、おぬしの父親の召喚士の能力と、おぬしの能力だ」
え、どういうこと?
「イアよ。なぜ召喚士が世界に居て、それでも荒廃が止められないのかわかるか?」
「それってどういう……」
そんな話、聞いたことない。
「……少年よ。そのときの覚悟、楽しみにしておるぞ」
その言葉を最後に、杖は静かになって、わたしの手に収まっていた。
「ショウタ……」
メイちゃんがショウタを心配そうに見つめている。
「ううん、心配ないよ。ぼくの決意は変わらない」
ナイアルラトホテプが要求したのは、召喚士の夢を捨てる覚悟だった。
ショウタの決意は変わらないというが、わたしの胸はすこしちくりと痛んでいた。
つづく
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