UV-WARS
第二部「初音ミク」
第一章「ハジメテのオト」
その14「ミクだけじゃないよね」
日が沈み始めた頃、テトは桃を促して帰り支度を始めた。
「じゃ、車、借りるよ」
テトはセカンドバックを掴むと、モニターの前のテッドの頭を押した。
「?」
テッドは振り向いた時テトの憮然とした表情にはっとしながらその視線の先が桃を指しているのに気付いた。
テトがやんわりした口調で語りかけてきた。
「まさか、彼女をこのまま帰したりは、しないよ、ね?」
テトの言わんとするところを察して、テッドは廊下に消えた桃の後を追いかけた。
桃は玄関でサンダルを履きかけていた。現れたテッドに気付くと手を止めて背筋を伸ばした。
「素麺の差し入れ」
テッドの言葉を桃は意外そうな表情で受け止めた。
「ありがとう。おいしかったよ」
テッドは笑顔を作った。ちゃんと笑えているか、ひきつっていないか、自信はなかった。女の子を見送るのも、女の子にお礼を言うのも久しぶりのことだったのだ。
「よかった」
桃の笑顔は少し眩しかった。
桃はサンダルの紐を整えると、テトがやって来たのを見て、会釈をした。
「お待たせ」
テトはパンプスを突っ掛けるように履くと外に出た。
桃の喉がごくりと鳴った、ような気がしてテッドの視線がテトから桃に戻った。
桃の表情はやや強ばっていた。
「今度、何か作って、持ってきてもいいですか?」
「差し入れのこと?」
「駄目、ですか?」
「とんでもない! 大歓迎だよ」
やっと桃の強ばった表情が溶けた。
「ホント? よかった…」
一礼して、桃は玄関を出た。
「また、明日」
ドアを閉めながら、顔を真っ直ぐにテッドに向け、桃はそう言った。
ドアが閉まって暫く、テッドはその場で立ち尽くしていた。なぜだか開くはずのない玄関が今にも開きそうな気がした。
〔次にドアを開けて入って来るのは、彼女かテト姉か〕
テッドはそんな予想をしている自分自身に少し驚いていた。
「マスター、出かけますか?」
モニターの中のカイトが声をかけた。
はっとモニターを振り返ると、カイトが物欲しそうにテッドを見ていた。
「いや」
残念そうなカイトの表情にテッドは首を傾げた。
「カイト、ひょっとして、お前も…?」
照れ隠しにカイトは笑った。
「ははっ、オレも、本当に、アイスが食べてみたくて…」
「おまえも、ボディーが、ほしいのか…」
「オレだけじゃないよ。みんな、そう。ルカも、リンも、レンも…」
「みんな、か」
「うん」
「考えておくよ」
テッドはやっと一歩、リビングに向かって踏み出した。
洗面所の前を通り過ぎようとしたら、ルカが声をかけてきた。
「マスター、洗剤は?」
襟首を引かれたような気がして、テッドは洗面所に踏み込んだ。
モニターを覗きこんでテッドは、「おっ」と声を出した。
モニターの中のルカは、いつもの服装だったが、頭にテンガロンハットが載っていた。
〔ルカ、おまえもか!〕
大昔のローマ帝国皇帝カエサルが死ぬ間際のセリフをもじってみたが、受けなさそうなので、テッドは心の中にしまった。
「ル、ルカ、似合ってるよ」
ルカのテッドへの一瞥は冷たかった。
ルカはくるりと背を向けブラウザを開いて、ショッピングサイトの服飾コーナーを見始めた。
「その帽子…」
ルカは再度くるりと振り返った。
「そう?」
振り向いたとき、帽子がハンチング帽に変わった。
「い、いいね。少し斜に被ると、もっといいよ」
「そう」
ルカは帽子の鍔を摘まんで少し右に回した。
「どお?」
ルカは自信たっぷりに笑顔を向けた。
「カッコいい! さすが、ルカ」
だが、自慢の笑顔はそれほど長く続かなかった。
ため息を吐いたルカは、一気に歳をとったように暗い顔になった。
「はあ」
「ど、どうした、ルカ?」
「MMDのアクセサリーや小物は豊富にあるけど、ショッピングサイトほどの品揃えじゃあ、ないのよね」
「それは…。そうだね…」
「光線の加減で見え方も違うし…」
ルカは俯く前にちらっとテッドを見た。
「やっぱり、試着しないと、ね?」
最後の「ね」のところで、ルカは潤んだ目でテッドを捉えた。
一瞬、テッドは蜘蛛の巣に絡め獲られた自分を想像した。
モニターの中のルカは次第に大きくなってきた。ルカがにじり寄ってきていた。
「外に出られたら、マスターに…」
「俺に?」
画面がルカの顔で一杯になった。その頬がほんのり桜色に染まっていた。
「ミクよりも、気持ちいいこと、してあげられるんだけど」
ルカの艶のあるピンクの唇がアップになった。
ルカは腰を上げたのか、モニターは唇から顎、首、襟元を映し出し、広く開いた胸元で止まった。
テッドは息を飲んだ。
〔さ、さすがだ、ルカ。色っぽい〕
モニターに近付き過ぎたルカがMMDモデルの内部を見せたため、テッドは我に返ることができた。
「要するに、ル、ルカも、ボディーが欲しいんだね」
モニターは再びルカの胸の谷間のアップに切り替わったが、今度はテッドは冷静になれた。
テッドの言葉のトーンを察してか、微かに舌打ちしたような音が聞こえた。
〔おいおい〕
今のは何だ、とツッコミたかったが、モニターの中のルカの笑顔が綺麗な花をバックにしていたため、テッドは口をつぐんだ。
〔花を背負ってる時は、ツッコミ禁止だったな〕
「マスター」
ルカの笑顔は冒しがたい聖女の微笑だった、先ほどの舌打ちがなければ。
「何だい?」
「贅沢は言いません。いつか、わたしにもボディーを下さいな」
「あ、ああ、わかったよ」
ルカは左を指差した。
釣られてテッドは左にある鏡を見た。
「マスター、ミクが呼んでますよ」
テッドは思わず振り返った。
「ありがとう、ルカ」
そう言い残してテッドは廊下に出た。
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