第七章

 青の国の小さな港町。その、小さな教会から、真っ白な長い髪をなびかせて、一人の娘が現れた。
 物憂げな表情で、海沿いをそぞろ歩く。
 黄色の国に祖国が滅ぼされたと聞いたのは、ついこの間のこと。同時に、この国の王が姿を消した。そのすぐ後に、黄色の国で革命が起き、悪ノ娘が死んだと聞いた。
 あの二人、私の一番大事な人と、彼女の大事な青の王は、無事に戦火を逃れただろうか。自分から縁を切った私に、その答えを知る術はない。
 祖国が滅ぼされたと聞いても、何の感慨も浮かばなかった。彼女にとって大事な記憶は、ぜんぶ緑の娘のこと。『生きていてごめんなさい』とくりかえすしかなかったあの国のために、思うことは何もない。
 もちろん、ミクのためなら話は別だ。ミクはあの国で、想い人と一緒に、幸せになれるはずだった。その場所が壊された。
 でも、憎むべき人はもういない。悪ノ娘は死んでしまった。
 考えに耽っていた白い娘は、ふと、目を凝らした。
(桟橋で、誰か倒れている?)
 駆け寄ると、それは、質素な身なりの少年――いや、少女だった。
 心優しい娘は、いやに軽いその少女を抱きかかえた。
 少女の口が、微かに動く。白い娘は、はっと耳を済ませた。
 それは彼女にとって、あまりにもなじみのある言葉。
「ごめん、なさい……」



(ここは……?)
 目を覚ますと、天井近くにある窓から、白い光が射し込むのが見えた。
 むりやり身体に力を込めて、何とか起き上がってみる。
 そこは、石造りの小さな部屋だった。素朴だけれど、清潔で気持ちの良い部屋だ。
 木のドアを開けて、一人の娘が入ってきた。娘の長い白い髪が、日射しに輝く。
 白い娘は、ふわりと笑った。
「あら、目が覚めたみたいね。よかった」
「ここは……? えっと、まず、どこの国……?」
 白い娘は、少女の寝台に腰を下ろした。
「青の国の、小さな港町よ。ここは、この町の教会」
 青の国、と、少女は口の中でくりかえす。
「私の名前はハク。あなたは?」
 少女は一瞬瞠目して、鋭い胸の痛みに耐えた。
「〝レン〟」



第八章

「レンー? なんだ、こんなとこにいたの」
 ひとり海辺に佇む少女に、ハクは駆け寄った。少女は夢から覚めたように、白の娘の顔を見つめる。
「ねえハク、この海で願い事が叶うって、本当?」
「ああ、そんな言い伝えもあるわね」
 ハクは、少女に寄り添って水平線を見つめた。
「願いを書いた羊皮紙を、ガラスの小瓶に入れて海に流せば、いつの日か、想いが実るんですって」
「それ、本当?」
 少女は、ハクのスカートの裾を握る。
「どうかしらねえ。羊皮紙と、小瓶が欲しい?」
 少女はこっくりと頷いた。ハクは少女に微笑みかける。
「いいわ、探してきてあげる」



 それから三日後、少女は羊皮紙と小瓶を手に入れた。その晩、満月が頭上に輝く頃、少女はひとり、懺悔室に入った。
 明るい月影を頼りに、文字を綴ろうとすると、右手が震えた。
 決して叶わぬ願いを形にするのが、どれほど難しいことか、知る。
(きみに会いたいよ)
 でも、その想いを綴ることは、どうしてもできない。
 悩んで悩んで、結局、別のことを書いた。
〈もしも生まれ変われるならば、きみが幸せになれますように〉
 そして、その幸せを今度こそ邪魔しないために、私は二度と生まれたくない。
 羊皮紙を丁寧に二つに折って、瓶に入れ、口にコルクをきっちり嵌めた。月明かりに浮かび上がる小瓶を見つめて、少女は息をつく。
 想いが、ひとりでに口から零れた。
「ごめんなさい……。私のせいで、きみが悪ノ娘と呼ばれて、殺されて」
 ぐっと、何かがのどに詰まるような感じがする。
「ごめんなさい――私が死ぬべきだったのに」


 懺悔室の外で、ハクはぎゅっと自分の腕を握りしめた。
 部屋の中からは、少女の低い声が漏れ聞こえてくる。
 夜中に少女が起きだす気配を感じて、心配になってついて来てしまった。
(あれは、どういう意味?)
 『きみ』とは一体誰だろう? そう、この部屋にいる少女――のうのうと生き延びた王女の代わりに殺されたひと。
 では、ずっと介抱してきたこの少女は、あの娘(こ)の幸せをぶち壊した張本人なのだ。
 目の前が、真っ暗になる。



第九章

 次の日も太陽の下で、少女は海を見つめていた。ガラスの小瓶は、まだ寝台の下に隠してある。
 願いをこめた小瓶を流すのは、月夜の方が似合う気がして。
 夜が明けてからようやく部屋に戻ったことに、ハクも気づいているはずなのに、彼女は何も言わなかった。今朝から、どうもぎこちない。
(たぶん、知っちゃったんだろうな)
 大した感慨も込めずに、思う。
 あのひとは不器用だから、考えていることが筒抜けなのだ。全部、顔に出る。
 だが、それでもいいような気がした。
 だって、私ばかりこんな風に助けられて、いいはずがないのだから。


 満月から少し欠けた月が真上に来る頃、少女は教会を抜け出して、桟橋に立っていた。
 さっきまで握りしめていた小瓶は、もう、あんなに遠くにある。
 背後から足音が近づくのを聞きながら、波間に見え隠れする光を目で追った。
 意識を集中させれば、忍び寄るハクの、息遣いまで聞こえそうだ。
(まったく、不器用なんだから)
 こっちは、とっくに気づいてるのよ。
(さあ早く)
 少女は目を瞑る。大切な少年の姿が浮かんでくる。
(ごめんなさい)
 せっかく助けてもらった命だけど、やっぱり私は、生きていちゃいけないんだよ。
『〝レン〟!』


 少女が起きだす気配を、ハクはナイフを握りしめてひたすら待っていた。
 刃を握る手が、小刻みに震える。少女が教会を出て行ってしまっても、なかなか後を追うことができない。
 もう一度意志を固めるには、しばしの時が必要だった。ハクは、ようやく立ち上がる。
(ミク、あなたの幸せの仇を取ります)
 少女は、何かを待つように、桟橋にじっと佇んでいた。
 その背中の小ささに、再び心が揺らぐ。でももう、後には引けないのだ。
 唇を噛みしめて、ナイフを両手で振り上げたその刹那――
『〝レン〟!』
「え?」
「〝リン〟?!」
 不意に響いた声に戸惑ったのと、少女がふりむいたのが同時だった。
(今のは、何?)
 少女を守るように両腕を広げた少年の――幻、だったの?
 白の娘の手から、ナイフが滑り落ちる。一度桟橋で跳ねたナイフは、暗い海に飛び込んで見えなくなった。
「〝リン〟! 〝リン〟!!」
 少女はあたりを見回す。海辺には、少女と娘のふたりきり。
 少女は桟橋にしゃがみこんだ。その足もとに、幾つも雫が落ちる。
「……〝リン〟に会いたいよ……」
 ハクは何度もためらった末に、少女の肩に、そっと手を伸ばした。


 月が沈むまでの間に、少女は少しずつ、これまでのことを話した。
 双子の弟の存在。
 五つになってから、城に引き取られたこと。
 赤い娘の言葉。
 必然的な革命。
 入れ替わり。
 三時の処刑。
 何も考えずに飛び乗った船。
 太陽が頭上に上るまでの間に、娘は少しずつ、これまでのことを話した。
 白い髪のせいで、ずっと仲間外れだったこと。
 千年樹のそばで出会った、美しい緑の髪の娘。
 ふたりで村を飛び出して、商家の使用人になった。
 ある日訪れた、青い国の王。
 ふたりの恋。
 いたたまれなくて、邪魔したくなくて、国を出たこと。
「私、その二人を知ってる」
 少女の言葉に、でしょうね、と、ハクは頷いた。少女は、緑の国に少年を思い出した、あの日のことを思い出す。
(私が殺せと命じたけれど)
 きみは、きっとそんなことできなかった。
 少女は決意を込めてハクを見つめた。
「きっと、ふたりはこの国にいるわ。私は、ふたりに謝らなくては――私、旅に出る。きっとふたりを見つけてみせる」
「私も一緒に行く。……もう一度、ミクに会いたい」
 その日の昼、少女と娘は教会を旅立った。



第十章

 そして、半年の月日が過ぎる。


 少女と娘が出会った港町に、よく似た海辺の町だった。
「この街にも、いないのかなあ……」
 思わず少女の口から弱音が零れた。ハクは、少女の口に手をあてる。
「そういうことを言わないの」
「ハクっ?!」
 突然の声に、ふたりはぎょっとしてふりむいた。
 目をみひらいて立ちすくむ、若い娘。
 青みがかった緑の髪が、風に舞い上がる。
「ミク……? ミクなの?!」
 緑の娘は、ハクの胸に飛び込んだ。白昼の通りの真ん中で、娘はぽろぽろ泣きだした。
「会いたかったよお……」
 抱きしめ合うふたりの向こうに、一人の青年が立っている。青い髪の青年に、少女は深く頭を下げた。



「どーしてこうなったのかなあ……?」
 少女は片頬に、引きつった笑いを浮かべた。
 ようやくふたりを見つけてから一月。いつの間にか、すっかり四人暮らしに慣れてしまった。
 文句を言える、身分ではないけれど。
 ふたりに対して、少女はなんの弁解もしなかった。ただ、詫びた。どんな理由があっても、してはならないことだったから。
 それなのに次の朝から、ミクもカイトも、何事もなかったかのように話しかけてきた。今ではほとんど妹扱いだ。最近それにも慣れてきて、だいぶ屈託なく話せるようになった。それはそれで「かわいくなくなった」と嘆かれたけれど。
 ハクがふたりに、何か話したのかもしれなかった。
「レンー、焼けた?」
 ミクが台所に顔を出す。
「な、なんとか」
 少女は少し後ろめたそうに、焼きあがったブリオッシュをさし出した。
「あはっ、ちょっと潰れてる」
「う、うるさいわねっ」
 ハクも台所にやってきた。
「ふふ、レンもだいぶ上手になったね」
「何よその含み笑いは!」
 純粋に褒められているとわかっていても、つい気恥かしくて突っかかってしまう。
「じゃあ、先に持ってくよ? 紅茶よろしくね」
 二人が連れ立って台所を出て、少女はひとり残される。
 そういう、合間の時間にふっと、少年の姿がよみがえる。失くしてしまった心の半分は還ってこない。
 少女はため息をついて、ティーカップを手に取った。



「レン」
 静かな声に、少女ははっとふりむいた。
 満月の明るい闇に、青い髪が溶け込んでいる。
「暇さえあれば、ここにいるんだね。そんなに海が好きなのかい」
 少女はゆるゆると首をふる。その足もとを、波が洗った。
「いつか……」
 涙ならもうじゅうぶん流したのに、それでも、きみを想うと視界が歪んでしまうよ。
「海にかけた願い事が、叶うのを待ってるの」


 毎晩月を見上げては、きみのことを想います。
 海に流した私の願いが、叶う日は来るのでしょうか。
 あの時一瞬届いた声は、いったい……。

ライセンス

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悪ノ娘 -Original Happy End- 【第七章~第十章】

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投稿日:2015/12/18 01:33:30

文字数:4,471文字

カテゴリ:小説

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