UVーWARS
第三部「紫苑ヨワ編」
第一章「ヨワ、アイドルになる決意をする」

 その16「家族会議」

 その父の表情をわたしは大昔に見たことがあった。二回。忘れられなかった。
 一回目は小学校一年生のとき、無断で電車に乗って遠くまで行って警察に保護されたとき。
 二回目は、四年生のとき、怒られて家出して、なかなか家に帰らなかったとき。
 父はオーバーなくらい、顔を真っ青にして、わたしに駆け寄った。そして、今にも泣き出しそうな顔をしてわたしを抱きしめた。
 いつもは、物静かで、感情がなかなか出てこない父の目に涙を見たとき、わたしは、親を泣かせることができる大人になったのだと思った。
 今、目の前にいる父は同じ顔をしていた。
 この時のわたしは父の気持ちを知らずに、「いやだ。こんなところで泣かないでよ」と、無邪気に考えていた。
 わたしに駆け寄ってきた父は真剣な顔で、有無を言わさない迫力で言った。
「すぐに家に帰ろう」
「はい」
 父はわたしの手を引いて歩き出した。
 ユフさんやネルちゃんに最後の挨拶をと、思ったが、それどころではない雰囲気だった。
 父はまっすぐ歩き出した。
〔怒ってる。間違いなく、怒ってる〕
〔どうして?〕
〔黙ってバイトをしたからだろうか〕
〔いや、これはボランティアであって、と言ってパパが納得してくれるかな…〕
〔それとも、うちって、芸能活動禁止だったかなあ〕
 いろいろ考えているうちに、家に帰ってきた。
〔早いなあ。どうしてこんな時だけ家に着くのが早いんだろう〕
 父は無言で玄関のドアを開け、靴を脱いで上がった。
 わたしは、普通に「ただいま」と言った。
「お帰りなさい、って、パパといっしょだったの?」
 ママはキッチンから顔を出して言った。夕食の準備で、いつものエプロンをしていた。
「うん、駅でいっしょになった…」
 さっきの父の顔が忘れられない。なんだか、胸に突き刺さる感じがする。
 でも、わたしは間違ったことはしていない。困っているユフさんを助けたかった。困っている人たちを放っておけなかったんだ。
「ヨワ、着替える前に、こっちに来なさい」
 いつもの父の声じゃなかった。低くて迫力があった。
 父に続いてリビングに入った。
 父はいつもの窓側の一人用のソファーに座った。わたしは、ミニテーブルを挟んで反対側の三人掛けのソファーのまん中に座った。
「五十鈴(いすず)」
 父が珍しく母を名前で呼んだ。
「ママ」
 呼び直した。
 母がエプロンを少し濡らしてやって来た。晩御飯の準備中だったのに、って思ってる。
「なあに?」
 母は廊下側のソファー、父の隣に座った。母はわたしと父を交互に見た。
 怒ってる父をまっすぐ見られなくて、わたしはテーブルの上と母を見ていた。
「ヨワ、あそこで何をしていたか、言いなさい」
 そら、来た。でも、まだ父は叱ってる訳じゃない。父はわりといきなり怒鳴るようなことはしない。いつもならちゃんと話を聞いてくれるはずだ。
 でも、今日は何だかいつもと父の様子が違う。少し焦ってる。
「人助け。ボランティア」
 少し素直になれない自分自身にちょっとドキドキした。
「主観じゃなく、何があったか、言いなさい」
 母の目も厳しくなった。
 なるべく正直に話すつもりだった。
「学校の帰り、駅の臨時のステージで、ミニコンサートがあって、見ていたら、歌手のお姉さんにアイスクリームがぶつけられて、お姉さんが困ってるみたいだったから、お姉さんが着替えるまでの間を繋ぐため、ステージに立って踊りました」
 うん、嘘ではない、な。多分。
 母が息を飲んだ。言いかけた言葉を飲み込んだようにも見えた。
 父の表情は複雑だった。困ってるようにも見えた。
「それにしても、聞きたいことはたくさんあるぞ。いいか?」
「はい」
「おまえは、ボランティアだと言ったな?」
「はい」
「その人たちは、お金に困っているのか?」
「うーん、どうだろう。わかんない」
「その人たちは、ちゃんと働いている人たちか?」
 しょうもない質問。少し、父のことが嫌いになる。
「そんなの当たり前じゃん」
 口がちょっと乱暴になってきた。
「こういう見方がある。その人たちはちゃんとお給料をもらっているが、お前はただで働かされた」
「だから、ボランティアだって」
「それは、お前のモノの見方だ。他の人のじゃない」
「でも、…」
「まだ、あるぞ。お前は、ステージに立った、と言ったな。いつ、オーディションを受けた?」
「オーディションなんて無いよ。飛び入りだもん」
「ということは、ステージに立つのは、初めてじゃないな?」
〔パパって、鋭い。ここで「初めて」って言ったら、嘘を吐いたことになるのかな〕
「通りがかりの中学生をステージに上げるのは、冒険というより、無謀を通り越して莫迦としか言い様がない」
 言わなくてよかった、みたい。
「ステージに立つのは何回目だ?」
〔どうしよう。本当のことを言わないと駄目かな〕
 少し躊躇ってたら、兄の声がした。
「2回目だよな」
 兄が帰ってきた。リビングの入り口でこちらを覗いていた。
「剛、知ってたのか!」
 父の表情は驚きの中に驚きを加えた風だった。
「別に、初めてみたいだったから、見逃してあげたんだけど、ダメだったかな?」
「剛、おまえ、『知ってて』…」
 兄は肩を竦めた。
「まさか、二回目があるとは、思わなかったよ」
 父の目がつり上がった。
「知ってることはそれだけか」
「はい、父さん」
「じゃ、もういい。部屋にいろ」
〔え、嘘〕
 初めて父が兄を追いやるのを見た。いつもなら博識の兄の助言を求めることが普通だったのに。
 兄は離れ際、綺麗なウィンクをわたしに見せた。頑張れ、と言ってるようだった。
 兄の階段を上がる音が聞こえてきた。
 父の咳払いが一つ、聞こえた。
「ヨワ、お前がどう思おうが、お前はとある会社の手助けをした」
 頷くしかないけど、今はうなずきたくない。
「それが会社である以上、契約のない労働自体違法だし、児童福祉法に違反する恐れもある」
 母の目も厳しかった。
「ヨワ、私は父親として、お前を守らねばならない。不当にお前の能力が搾取され利用されたのなら訴えなければならない」
 少し、父の顔が柔らかくなった。そして、泣き顔になった。
「何より、お前は生徒会長だろう。他の生徒の模範となるべきお前が、…」
 生徒会長の任期は先月まででした、と言いたかったけど、今の父の雰囲気は壊さない方がいい気がして口を閉じた。
 父は片手で目頭を押さえて、元の厳しい顔に戻った。
「明日、学校に行く。一緒に、校長先生に謝りに行こう」
 うん、そこまではしょうがない。
 ばれちゃった以上、先に謝っておく方が心証はいいかもしれない。
 でも、なにか釈然としない。わたしは本当に悪いことをしたんだろうか。
「ヨワ」
 父の顔はお怒りモードに戻っていた。
「お前の中では正しいことをしたと思っているだろう」
 父の目が攻撃的な光を帯びてきた。
「その『正しい』こととやらを、聞かせてもらおうか」
 父のその言い方がすでに言う気を奪っていた。私を論破する気が満々だった。
 でも、言わなきゃ、前に進めない気がした。
「最初はお願いされたの、テトさんに」
 父は私が話し終わまで待つつもりのようだった。私は続けた。
 今の芸能界にアイドルがいないことを、ボーカロイドはアイドルであってアイドルではないことを、そして、テトさんはアイドルを昔のように身近な存在にしたいことを。
 父はまだ口を挟んだりしなかった。
 私はユフさんのことを話した。類い稀な歌声に魅了されたことを、ユフさんはパニック症候群でアイスクリームをぶつけられただけで歌えなくなってしまうことを、そのユフさんの歌をみんなに聞かせるためステージに立ったことを。
 父は長いため息を吐いた。
 そんなに深いため息じゃ、わたしの方が心配になる。男の人がため息を吐くと、髪の毛が薄くなるって聞いたことがある。
「それで、ヨワは、どうしたい?」
 まだ父の目は厳しかった。ここは慎重に答えないと。
「どうって?」
「おまえがボランティアだというなら、それもいい」
 父の声が隠って聞こえた。
 いつもならきっぱりとダメ出しするはずなのに。
「その前に、お前は受験生だということを忘れるな。いくら成績が良くて選び放題だからといって、怠け者を合格させてくれるほど甘い高校はないぞ。それに、推薦入試や特待生という選択もあったのに全部無視したな」
 父は本当によく知っている。
「どこか、行く高校を決めているのか?」
 ここは言わなきゃ。
「UTAU学園」
「ウタウ?」
 母は思い出したようだった。
「ああ、あれね」
「おまえ、知ってたのか?」
 母の顔が父に向いてからわたしに戻った。
「授業料も寮費も、食費も無料。いいお話だとは思ったわ。でも…」
 母の視線も鋭くなった。
「お母さんに相談がなかったのは、残念だわ。それに、あなた、この間の進路調査のとき、公立の高校の名前を書いてたわね?」
「それは、…」
 謝らなきゃ。
「ごめんなさい。そのときは、まだ、決めてなかったの。ごめんなさい」
 でも、ここからは本番だ。後には引けない。
「でも、やっと、やりたいことが決まったの」
 唐突、過ぎたかな。父も母も困った顔をしていた。
「何? やりたいことって」
 口調は優しいけど、母の表情は複雑で、わたしを応援したいのか、そうでないのか、読めなかった。
「アイドルは、ボーカロイドだけのものじゃない。みんながなれるんだって、証明したいの」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい

UV-WARS・ヨワ編#016「家族会議」

構想だけは壮大な小説(もどき)の投稿を開始しました。
 シリーズ名を『UV-WARS』と言います。
 これは、「紫苑ヨワ」の物語。

 他に、「初音ミク」「重音テト」「歌幡メイジ」の物語があります。

閲覧数:31

投稿日:2018/02/23 18:09:10

文字数:3,993文字

カテゴリ:小説

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