第五章 帰還と反撃

 王宮の入り口に一番近い応接間。
 イル、ヴィンセント、ディーの三人と、どうしてもここに居ると言って聞かないジンが無言のまま待機していた。セシリアは完全な恐慌状態に陥ったアズリを部屋で宥めてくれている。
 急いで最寄りの屯所に行って、数名の兵士にジンを預けて残りを率いて戻ったものの、やはり時遅く拠点はもぬけの殻だった。王宮に戻って動ける兵士全員を使ってその周囲を捜索するも、未だに朗報は入ってこない。
 ジンは最初必死に涙を堪えて、身体を震わせてそれでもイルの隣にちゃんと座っていた。イルも王宮に戻って来てすぐは自分の感情を抑えるのに精いっぱいで、息子を構う余裕が無かった。
 しかし時間とともにようやく頭が回り始めると、非があるとはいえ悪意の無かったジンを抱き寄せてやれた。紅髪の王子はそこで我慢できなくなり、今は声を殺しつつも嗚咽を漏らしていた。
「イル、何か飲みますか?」
 大食漢の王が半日飲まず食わずたったので、さすがに心配になったらしくディーが声をかけてきた。
「コーヒー」
 相手も見もしないで、それでも返答できただけましになっただろう。
 ディーが席を立った時、扉が破裂しそうな勢いで開いた。そこに金髪の少年を確認して、思わず膝に縋っていた息子を突き飛ばす勢いで立ち上がった。ジンも扉の音で飛び跳ねていなかったら、それこそ怪我をさせていたかもしれない。
「アレン!」
「陛下!」
「状況を報告しろ、ダヴィード護衛官」
 半泣きのアレンを抱き上げた所で、ヴィンセントの冷静な声が響く。
「は! マリルとの単独調査の結果、敵の移動先を突き止め宰相閣下及びアレン様の救出に成功。屯所までお二方をお連れしましたが、宰相閣下は屯所の兵を率いて拠点制圧に向かわれました。宰相閣下から要請でございますが、拠点に部隊をお出しするようにとのことです。以上です」
 報告を聞いて、アレンを降ろして頭を撫でた。
「怖かったろ。もう大丈夫だからな」
 金髪の少年がそれに反応する前に、長剣を持って部屋の出口に向かうと、その前には『父』仁王立ちしていた。
「おっさん、俺が行く」
 意外な事に、優しき武人は素直に道を開けてくれた。そして廊下に待機していた、憲兵隊総隊長に告げた。
「どうせ止めても無駄だろう。キール総隊長、セル親衛隊隊長に精鋭を連れて陛下に随行させろ」
「ありがとな」
「今度こそ全員無事で戻ってこい」
 背中を叩かれ、目を合わせたまましっかりと頷いた。
「もちろんだ」
 そのまま部屋を出ようとすると、アレンの叫び声に引きとめられた。
「陛下、待って!」
 混乱してるからとも思ったがどうにも尋常じゃないように聞こえ、迷ったものの顔だけで振り返る。親友の息子が、震える手で外套を掴んでいた。身体ごと向き直り、しゃがんで視線を合わせた。
「どうした? 父さんはすぐに帰ってくるぞ」
「違う、父様は怪我してるんだ。だから敵の居る場所に行っちゃだめだ!」
 怪我。今まで一切考慮してなかったその単語に目を細め、ダヴィードを見上げる。恐る恐る、というふうに護衛官が口を開いた。
「しっかりと見ていないので確かな事は申し上げられませんが、左目に重傷を負っているようでした」
 瞬間的に理性が沸騰し、護衛官の胸倉をつかんで怒鳴りつけた。
「どうして止めなかった!」
「お止しようとしました! しかし、全く聞く耳を持って頂けなかったんです」
「イル」
 ディーに腕を掴まれ、首を横に振る。再び失いかけた理性が舞い戻り、八つ当たりしてしまった相手に心底悪いと思った。アレンが今無事にここにいるのも、彼とその相棒のお陰だと言うのに。
「悪かった、ダヴィード」
 あの親友は、部下の言う事を素直に聞く奴じゃない。怪我を押してでも即時制圧するべきだと判断したのなら、その場にイルかヴィンセントでも居ない限り止めるのは不可能だ。
「いえ、お急ぎください」
 今度は異国から来た護衛官に促され、駆け足で厩に向かった。
 とっぷり日も暮れ、月明かりを頼りに親衛隊を連れて現場に到着した時には、既に決着は付いているようだった。正面玄関に歩哨として立っている憲兵は、イルを見て誇らしげに敬礼した。
「ご苦労様です、陛下」
「そっちも夜遅くまで大変だったな。宰相は?」
 冷静さはほぼ完璧に取り戻せていたものの、やはり一にも二にも親友の安否が気になった。兵士が答えようと口を開いた瞬間、人のものとも獣のものとも判断が付かない絶叫が建物内から響き渡った。
「……元気そうだな」
「捕縛した全員を最上階に集めて、その、尋問を行っているようです」
 左様でございますか。でも尋問って、尋問って? 一気に気が抜けたが、あまりに義兄らしいと言えばらしい行動に負抜けた笑い声が漏れた。
「陛下、御自らご苦労様です」
 背後からの声に振り返ると、酒やらつまみやらが満載した買い物袋を抱えた兵士が立っていた。イル達と同じく悲鳴を耳にしていたらしく、足が震えている。その縋るような目が何を望んでいるかを正確に酌み取って、無言のまま買い物袋を受け取ってやった。
「ここは俺と親衛隊が変わるから、憲兵隊は屯所に引き上げて普段の時間通りに巡回してくれ。他の奴にも伝えろよ」
「ありがとうございます!」
 兵士は地獄に仏を見たと言う顔で感謝され、そして踊りださんばかりの勢いで他に伝令に向かった。まあ気持ちは分からなくもないのだが、少々情けなさ過ぎる気もしなくはない。
 荷物を抱えて憲兵隊を追い払いながら、随所に親衛隊を歩哨として配置しつつ最上階に到着した。途中、酒とつまみだけだと思っていた袋の中に包帯と消毒薬を発見し、消え去ったはずの心配が頭をもたげてくる。
 断続的に聞こえてくる絶叫。そのうちのいくつかが、イルの耳に断末魔として処理された。普段は胸が悪くなる音だが、今回に限って言えば妙に心地良い。
 憎しみは、簡単に人を狂わせる。久しぶりにこの事実を思いだした。
 扉を開けた瞬間、濃い血の匂いが鼻をついた。十数人の構成員が、家具の脚を叩き切って造られたらしい太い杭で身体の至る所を貫かれ、部屋の壁と床に縫いとめられていた。イルの感覚では、あれくらい大きな傷がつけば簡単に失血死すると思うのだが、医学知識を持っているレンに言わせれば、場所によってはその限りではないのかもしれない。
「乗ってるなあ、親友」
 ここに来るまで足音も気配も消していないから、とっくに気が付いていたのだろう。手に持っていた杭を置いて振り返り、左目を覆っていた包帯をむしるように取り去って、イルの抱えている袋から消毒薬を散りだして顔にぶっかけ始めた。
 気を利かせて包帯を放ってやると、器用に巻きながらようやく親友は口を開いた。
「イル、親衛隊を連れて来てくれたんだ。アレンは無事だよね?」
 疑問符は付いているが、ほとんど確信に近い響きがある。それを裏切らずに頷いた。
「ああ、ほとんど怪我らしい怪我もしてなかったよ。お前こそどうなんだ?」
 左目を指差すと、包帯を結びながら腹立たしい程普段通りの声で言う。
「少し鏡で確認しただけだけど、視力の回復は絶望的だね。それ以外はほとんど無傷だよ」
 書類仕事にも少し影響でるかなあ? と呑気に呟きながら、再び杭を手にとって一人の構成員に投げつける親友を見ながら、しばらくは声が出なかった。太股を貫かれた男から掠れた悲鳴が上がるが、ほとんど耳に入ってこない。
「本当に、治らねえのか?」
 まただ。また己を守るため、誰かが犠牲になった。しかもよりによって、大切な義兄に修復不可能な傷を負わせてしまった。
 立場を考えなければ、あの場はイルが残るべきだった。下から支えるにしても、長身の己の方が小柄なレンよりやりやすかったはずだ。それなのに、王という身分がそれをさせなかった。
 誰かを助けたいと願った結果にこの場所にいるはずなのに、どうしてこうもうまくいかないのか。
 苛々と息を吐くと、義兄はイルの肩にポンと手を置いて視線を合わせた。
「イル、僕は満足してるよ。君と僕らの息子、この三人を危機から救えたんだから」
「ああ、分かってる」
 けれど、その代償は大き過ぎる。内心で呟くが、それを読みとったようにレンは穏やかに笑う。
「安いものだよ。目の一つで済んだんだからさ」
「そんなことあるか!」
 思わず叫んだ。そんな態度が相手を困らせるのは分かっているが、この納得しきった態度は余計にイルの無力感を掻き立てさせた。
 それでも義兄は、物分かりの悪い義弟に言い聞かせてくれた。
「そうかな? 君は僕とアレンとジン、三人の命と左目を交換しろと言われれば絶対に躊躇わないし、その後僕に同じ事を言うと思うけど? 大したものじゃないってね」
 違う? と問いかけられ、答えられなかった。
「十年前だったら、仕事がきつくて辛かったかもしれないんだけどね、今は本当に問題無いよ」
 勲章みたいなものだ。そう言いながら微笑まれて、ようやくイルは頷いた。その態度に安心したのか、レンは買い物袋から酒を取り出して煽る。その為に用意していたらしい椅子二脚と机を並べて、つまみを綺麗に並べた。
 そして当然のように席を勧められた。普段ならこんな苦悶と命乞いの叫びが渦巻く空間で、いくらなんでも酒盛りは考えられない。が、さっきも言った通り今回は例外だ。
 椅子に座って酒を煽り始めると、ほぼ敵全員が生きるか死ぬかの苦痛を味わっている中、大した傷も無く椅子にしっかりと固定されている男が目に入った。
 何故無傷なのだろう。確かイルの記憶が正しければ、こいつは――
「カルロ=バージリア、赤の国ではかなり名の通った傭兵部隊の頭だよ。国のお偉いさんとも専属契約を結んでるって噂だね」
 視線に気がついたらしく、レンが解説を加える。この記憶力が化け物級の義兄とは違って世界のテロリストの名前を知らないイルは、ただこの灰色頭が逃走する間際に偉そうに指示していたと思っただけなのだが。
「へえ、なんで無傷なんだ?」
 言った瞬間、訊かなければ良かったと後悔した。禍々しい笑みを浮かべながら、親友はまず縫いとめられている構成員を示し始めた。
「あっちの左に居るのは、僕の後頭部を殴ってくれた馬鹿。その隣がここに運ぶまでに僕の前髪を掴んで、腹に拳をお見舞いしてくれた人。逆側に居るのが、アレンに触って刃物を首に当ててた愚か者。その手前が、尋問の時に僕の左腕を捻ってた奴」
 どうやら自分や息子に手を出した人物は、細かいものでも全て覚えていたらしい。
「他はともかく、なんでお前を殴った奴が分かるんだ? 完全に死角からだっただろ」
「愚問だよ。他の人に訊いたに決まってるじゃない。君は見えてたはずだよね。『これ』であってる?」
 黄の国最高峰の拷問吏を殴ってしまった容疑者らしい、辛うじて人の面影が残る物体に目をやるが、顔っぽいところが半分くらいしかない。
「本気で訊いてんのか?」
「まさか。別にどっちでもいいし」
 あーそーかい。鼻を鳴らしてつまみを口に放り込んでいると、親友はついに灰色長髪の男を指差した。
「そしてこいつ、カルロ=バージリアが僕の目を潰してくれた男」
 目立った外傷は無いものの、カルロは完全に怯えきっている。イルに何かを必死に訴えようとしているらしいが、口に布を詰め込まれていて発声できないらしい。
「なんで口塞いでんだ?」
 こいつにだけはほんの僅かの仏心も湧かないが、イルの知る限り義兄が尋問相手を話せなくしているところは見た事が無い。言うまでも無く、本末転倒だからだ。
「いやあ、あまりにも素直に何でも話してくれるものだから、今何かしようって気にならないだけ。それに彼と『お話』するには、絶好の小道具があるみたいだからその到着を待ってるんだよね。少し時間がかかるから、尋問は王宮ですることになるんだけど」
「何だよ、それ」
 カルロに目を向けるレンの声は、むしろ穏やかで慈愛に満ちていた。
「居るんだってさ、彼にも」
 そこで言葉を切って、イルに顔だけで振り返る。
「まさか」
「うん、息子が、ね」
 心底楽しそうに嗤う親友を見て、頭を抱えてしまった。いや、うん、気持ちは分からなくもないけれが。そして常に他人から受けた屈辱は百倍以上にして返しているレンとしては当然かもしれないが、それってどうなのだろう?
 そして同時に灰色頭の小動物っぷりにも納得がいく。目の前で部下を解体されて、実の息子がこの拷問吏の毒牙にかかると知れれば、それを避けるためなら何だって話すだろう。
 今までの動きからしても優秀な男なのだろうし、レンの今までの所業もある程度は調べが付いているはずだ。この至高の天才加虐主義者に敗北した者達の、悪夢も逃げ出すような結末も含めて。
「子供には止めてやれば?」
 何度も言うが、気持ちは分かる。しかし何の落ち度もない人間を、だた親子だからという理由で地獄に付き落とすのは、どう考えても褒められた事ではない。相手が子供と言える年齢なら尚更の事。
「その決断を出すのは少し早いよ。僕の勘が正しければ、マリルが帰ってくれば君もカルロ=バージリアの息子を尋問すること、賛成してくれると思うんだけどな」
 どういう意味だ。そう訊きたかったが、訊ねた所で結果を待てと言われる事は分かり切っていたので、敢えて何も言わなかった。
「ふうん? ならマリルを待つとするか」
 灰色頭の薄青色の瞳が、絶望に染まる。その左目を潰してやりたい衝動に駆られるが、もちろんそれはレンに譲るのが当然だろう。もっとも、この真正の加虐主義者がそれだけで済ますわけが無いと思うが。
 断末魔と血の饗宴は一晩中続いた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

悪ノ父親(5-1

閲覧数:229

投稿日:2011/04/06 07:56:41

文字数:5,647文字

カテゴリ:小説

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