UV-WARS
第二部「初音ミク」
第一章「ハジメテのオト」
その2「彼の作ったボーカロイドたち」
彼女、初音ミクは、毎朝5時半に起きる。
彼女は、自分の部屋のベッドを下りると、パジャマを脱いで、いつもの衣装に着替えた。と言っても、CGなので着替えは一瞬で終わる。
そして、寝室のドアを開け、リビングに進んだ。
入ったリビングの正面がガラスをはめ殺しにした大きな窓になっていた。
その向こうに、彼のベッドがあって、彼はティーシャツにトランクスという、非常にラフな格好で、まだ眠り続けていた。
「マスター、時間ですよ」
そうミクに声をかけられ、彼は朝がきたことを知った。
が、すぐには起き上がらず、今日一日のスケジュールを思いだし、彼女、ミクが焦れるのを待った。
「マスター、起きて下さい。朝ですよ」
彼は、彼女、ミクが次に何をするか予想した。
暫く、沈黙が続いた。彼は微かに不安を覚えた。
凛と張った声でミクが言った。
「就寝時の体温と現在の体温に著しい差を確認しました。よって、『狸寝入り』と判断しました。今すぐ起きなければ、マスターの恥ずかしい写真をブログで公開します」
彼はたまらず、跳ね起きて、モニターの前で正座した。
「や、やあ、おはよう、ミク」
見破られた手前、挨拶はぎこちなかった。
モニターの中でミクはニッコリと微笑んで言った。
「おはようございます、マスター」
〔なんだか、末恐ろしいな〕
ミクの笑顔が天使のものなのか、それとも悪魔か、考えかけて彼の背筋は少し寒くなった。
〔あ、でも、ちょっと涼しくなっていいかも〕
薄いレースのカーテンが掛かった窓の向こうは、よく晴れた青い空と青い海が広がっていた。沖の方にぽつんと白いクルーザーが浮かんでいた。典型的な夏の風景だった。
彼は頭を切り替えて、カレンダーを見た。
大学二年生の彼は、先日誕生日を向かえ、めでたく二十歳になった。
といっても、大っぴらに酒が飲めるようになったこと以外、大して得した気分にはなれなかった。
梅雨明けとともに、彼の通う大学は夏休みに入った。閉めきった室内に、外からセミの声が微かに染み込んできた。
室内はエアコンが効いていて汗が出ることはなかったが、暑さも染み込んでいるような気がした。
「マスター、今日の予定ですか?」
ミクがスケジュール帳を持って立っていた、画面の中で。
彼は少し考えて言った。
「今日は、何もないはず…」
「はい。でも」
「でも?」
「でも、昨日、テトさんが…」
ミクがその名前を出したことで、彼は年上の従姉の顔を思い出した。
その年上の従姉は、三十を過ぎているはずなのに、女子高生に見えるほど若さと美貌を誇っていた。
その従姉は、昨日の夕食を片付けた後、帰り際に意味深なことを言い残していた。
「明日、いいことがあるから、必ず家にいること! いいわね?」
〔ああ、あのことか〕
しかし、従姉が言うような「いいこと」とは真逆の出来事が待っているような気がしたてきた。
〔昨日も焦げたカレーライスを食べさせられたしな。今日は、大学でも行って講義の課題のレポートを片付けるとするか〕
彼は手近にあったジーンズを履き、腕時計をはめると部屋を出ようとした。
「マスター、どちらへ?」
画面の中でミクが少し不安そうにしていた。
「朝飯の後、大学。レポート、片付けてくる」
画面の中のミクに手を振ると、彼女は笑顔で手を振り返してきた。
彼は部屋を出ると、階段を下りて、玄関を通り過ぎ、突き当たりで右に曲がって、台所に入った。
そのまま冷蔵庫までは一直線だった。
冷蔵庫のドアを開け、中からマーガリンと食パンの残りを取り出す一連の動作が創作ダンスのように決まったところで、女性の声がした。
「また、トースト?」
テーブルの上のモニターの中で、六人兄弟の長女、メイコが彼をじっと見ていた。
「いいだろ? 早く食べないと、カビる…」
六枚切りの食パンを二枚、オーブントースターに放り込むとタイマーはピッタリ二分にセットした。
「たまには、ご飯と納豆、生卵に味噌汁、日本の朝食にしなさい。腹に脂肪が付くわよ」
「はいはい」
曖昧な返事に、メイコは表情を曇らせた。
「じゃあ、マーガリンだけじゃなくて、ブルーベリージャムか、ピーナッツバターを塗りなさい」
細かいことを言うと思えるかもしれないが、メイコは彼の食生活を管理している、彼が開発したユーティリティの一つだった。
「あと、オムレツでも卵焼きでもいいけど、ミックスベジタブルを混ぜて焼いて。スープは、海藻スープがいいわね」
無視してもいいが、その後機嫌を直すまでが時間のロスになるので、無言でボールを出し卵を割った。
冷凍庫の中からミックスベジタブルを取りだし適量をその中に混ぜた。
ヤカンに水を入れ火に掛け、フライパンを取りだし火に掛けサラダ油を垂らした。
フライパンに先ほどかき混ぜた卵をあける。ボールが空になったらすぐにフライパンを持って軽く揺する。揺すり続けるうちに卵の形は半月状に整ってくる。
フライパンの手前から奥に卵を滑らせ、手首に力を入れると、タイミングが合えば卵焼きはオムレツに変わる。
今日はうまくひっくり返らなかった。
彼はそのまま皿に卵焼きを盛った。
「ん、急いでる?」
メイコは片目を瞑って聞いてきた。
「ちょっと、ね」
ちょうどオーブントースターのベルが鳴った。
彼は薄く焼き跡の着いたパンを取りだした。
それを大きめの皿に移し、テーブルにつくと、彼はマーガリンを塗り始めた。
「ニュース、見る?」
彼は黙って頷いた。
メイコの姿がモニターから消え、ニュースの一覧表が現れた。
政治家の汚職に、芸能人のスキャンダル、台風接近と、特に目を引くものはなかった。
「ないな」
彼の一言で一覧表は消え、メイコが現れた。
「ヴォーカロイド関連のニュースは?」
「ありがとうさん。見るよ」
ヴォーカロイドというソフトが定着して随分になる。
それは、バーチャルアイドルというより、シンセサイザー、キーボードの変形という扱いでライブ会場やテレビの生放送に出ることが多くなった。
初音ミクの発売から数年後、ヤマハはキーボードとヴォーカロイドを合体させた楽器を発表した。
左手でメロディーを弾き、右手で五十音を選択する楽器は、最初は弾きこなすのは無理と思われていた。
いつの世にも天才は現れるもので、初めて動画共有サイトに現れた彼女は「80メートルP」と名乗り、ヴォーカロイド・キーボードを思いのまま操った。
そのサイトの生放送では、キーボードで自在にしゃべらせた。やがて、彼女はテレビで取り上げられるようになり、ドラマの主題歌を「演奏」するようになった。
一方で、AR技術の発展で、着ぐるみの利用が減って、キネクトとMMDによる仮想キャラクターがテレビの画面の中で動いていた。画期的なのはCGキャラクターとの合成にグリーンマットやブルーバックが不用になったことだった。
初音ミクを端緒として一見、オタクの遊びにしか見えなかった技術やツールがメディアにゆっくりと浸透していた。
ニュースはそういった技術の発展と音楽的なものが混じっていた。曰く。
「(お好きなP名を当てはめてください)のアルバムが、オリコン週刊チャートで1位を獲得か。映画が当たったからな」
映画は過去に同じPが音楽を担当したアニメ映画のリメイクだったが、シナリオの大幅な変更と、元アイドルの声優と主題歌歌手の起用で、賛否両論だった。
だが、公開前に海外のコンクールに出品したところ、ハリウッドの大作映画を押さえて、準優勝を果たして、評価が急上昇した。
「大手3Dソフトメーカーが、PMD入出力に対応。MMDと完全に互換」
あらゆる3DソフトがMMDとの互換性を盛り込んでいく中で、最後に残った大手ソフトメーカーが、台頭してきたMMD陣営に膝を屈したようにも見えた。実のところは、コンシューマー向けのツールの開発に手間取っただけだったらしい。
「第三十X回MMD杯開幕」
このMMD杯は長い間名誉だけが与えられる無償のコンテストだった。
某コンビニチェーンが協賛してから、優勝者には一千万円の賞金と部門賞には百万円が送られるようになった。
部門の一つに「CM」が常設され、某コンビニチェーンのCMがテーマになっていた。この部門は優勝しなくても、優れた作品がそのままテレビや映画館で上映された。
MMD杯を通じてCM作家として3人がデビューし、今でもMMDを使ってCMを制作する者もいれば、映像作家になった者もいた。
閑話休題。
彼は食事を終えるとリビングに向かった。
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