「ルカ、ねぇ、帰ってないの?」
ウチはすがる思いでドアを叩く。彼女がどうか帰ってきていますようにと。
築三十年のアパートの一室、一○一号室がルカの自宅だった。
チャイムが壊れているから、ドアを叩いて来訪を知らせるしかないのだ。
「ルカ、ねぇルカ……!」
何度呼びかけても返事は帰ってこない。その度に不安が募る。
まだ仕事が終わっていないのか。いや、それは多分ない。
時刻はもう夜の十一時。いくら忙しい仕事といっても、もう終わっていたっておかしくない時間だ。
でなければ出張?……まさか。先日北海道と青森のライブを終えて帰って来たばかりのはずだ。
彼女は一体今どこに?あぁもう、こう言う時携帯があれば。
その時、初老の男性が隣のドアから出てきた。不思議そうな眼でこちらを見つめる。
あまりに騒がしいものだから、何事かと思って出てきたのだろう。
「巡音さんならまだ帰ってないと思うよ、あの子はいつも帰りが遅いからね」
「そうですか……」
でも十一時になっても帰らないなんてどうかしてる。途中で事故にでもあってしまったんじゃないかと不謹慎な事を想像してしまい、それを思いっきり振りはらった。
「大丈夫さ、遅いのはいつもの事だから。多分どっかで飲んでるんじゃないか?」
それならそれでいいのだけど。しかし手紙の文字や内容の違和感はやっぱり消し去る事は出来ない。
アパートを後にして、ウチはあてどもなく走った。
なんだろうこの焦燥感は。とにかく急いでルカを見つけなければいけない気がした。
都会は夜になっても眠る事を知らないようで、そこは光で満ちていた。夜なのにまるで昼間の様な明るさで街を照らす。
ぐれた若者たちがその町中を歩いている。若者にとってはまだ遊び足りないようで、まだまだこれからといった感じだ。
どこを行っても若者、若者、若者だらけ。都会という事もあって、人数も半端じゃない。
その中からルカを見つけ出すのは至難の技に思えた。大体この街中にはいないかもしれないのに。
それでもウチは若者やカップルの間をくぐりぬけ、ルカの姿を探す。
ウチはすみずみまで彼女の姿を探したが、やがて走ったり歩いたりしている内に足が疲れてきた……。せめて原付きか車があれば……。早いうちに免許取っておくんだった。
今更そんな後悔をしても遅くて、ウチは息も絶え絶えに夜の街中を走り抜ける。
子供のころから慣れ親しんできたこの街が、実はこんなに広かったんだという事を、思い知った。
広すぎてまるで迷路のようだ。同じような所を行ったり来たりして、そろそろ精神的にもつかれてきた頃、少し休憩がてらにコンビニへと立ち寄った。
「もう……どこ行っちゃったんだよ」
店で購入したから揚げを、口の中で咀嚼しながらウチはつぶやく。
そうして空を見上げた。今日は新月のようで、月は出ていない。おまけに星の一つすらも見えなかった。ただただ真っ黒な夜空が真上にどこまでも広がっているだけ。
そんな空を見上げると、ふと昔に戻った気分になる。
こうして空を見上げるのなんて何年ぶりだろう。ギタリストとして仕事をするようになってから、毎日毎日忙しくて、空を見る余裕なんてなかった。
最初の一年は所属する所もなく、フリーで活動していた。路上で適当に曲を演奏するだけ。
アルバイトしながらの活動だったし、生活も苦しかった。
二年目で事務所の人に拾われた。ここから徐々に稼いでいくようになって、バイトもやめた。しなくても生活はやっていけるからだ。まぁ、そんなに贅沢をしなければの話だったけれど。
そして四年目には晴れてメジャーデビュー。
思えば短かった気もするし、長かった気もする。楽器を始めたころの自分と比べたら大違い。
自分で言うのもなんだけれど、ホントによくここまで成長したものだ。ちょっとくらい自画自賛しても怒られはしない。
から揚げ最後の一口をウチはごくんと飲み込んだ。
次に「んがぐぐ」と言葉にならない声を出す。某アニメの真似だ。昔からの癖で、から揚げを食べた後は必ずこれをやらないと気が済まない。
ルカにはよく怒られたものだ。「ちゃんと最後まで噛んで食べなさい」って。
……懐かしいな。
あぁ、そうだ。そういえば学校帰りはいつもここに立ち寄っていたんだっけ。ウチはから揚げ、ルカは決まってポテトを買っていた。
ポテトを少しずつかじるルカの姿が、今でも目に浮かぶようだった。
あぁ、懐かしい。あの頃の何もかもが。
だけど今は感慨に浸っている場合じゃない、あと一分休憩をしたら彼女を探さなければ。
そう思った瞬間、そのを彼女が目の前を横切った気がした。
長く揺れるストレートの髪。高身長ですらっとした身体。顔はよく見えなかったが、ウチは思わずその人に向って、「ルカ?」と叫んでいた。
ウチの声に反応して、その人は足を止め、くるりと振り向いた。
それは確かにルカだった。顔も高校のころより随分大人びてはいたが、判別出来た。
「グミ……?」
呆気にとられた表情で、ウチを見つめるルカ。
それが四年ぶりの再会だった。
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