錆びついた門を潜った先、狭い中庭を囲んで、その小さな屋敷は建っていた。
外壁の半分を蔦が覆っている。
庭も建物も、最低限の手入れはされているようだが、どこか寂れた印象を漂わせていた。

「ここは・・・」

先を行く王女が振り返った。

「母の生家よ。私が生まれた場所でもあるわ」
「誰も住んでいないのですか?」
「今はね。母の縁者には、もっと別の場所に広い領地を与えたわ。王城からは遠い田舎だけれど豊かな土地よ」

勝手知ったる様子で、中庭の花壇の中へ入っていく。
周囲には季節の草花も咲いていたが、中央の花壇に植えられているのは、たった一種類の薔薇だった。
本来、もっと季節の早い種類なのだろう。花は少なく、棘のある枝ばかりが目立つ。
盛りを過ぎて咲き残った花のひとつを、彼女は丁寧な手つきで手折った。
摘み取った一輪の薔薇を手に、少女は自嘲じみた笑みを浮かべて、求婚者の青年を見上げた。

「はっきり言って良いわよ。みすぼらしいでしょう。私の母は、父の后の中でも、最も身分が低かった。貴族なんて名前だけの、没落しかかった下級貴族よ。この国で一番上等な絹のドレスを纏って、ご馳走を食べている私が、こんな寂れたみすぼらしい場所で生まれたの。笑うかしら?」
「・・・いいえ」
「みんな、口ではそう言うわね。でも、本心なんてわからないわ」

溜息のように呟き、中庭を抜ける細い小路を辿り、屋敷へと向かう。
先ほどの兵士から受け取った鍵で扉を開け、彼女は迷わず屋敷の奥へと進んだ。

たどり着いた扉の先は、女性のものだろう部屋だった。
中央に置かれたベッドと壁際の慎ましい鏡台、窓際に木製の書き物机と椅子、小さな部屋の中にはそれだけだった。
書き物机の上にぽつんと置かれた花瓶に、手にしていた花を挿し、王女は小さな木の椅子に腰を下ろした。
しばらく無言で己が飾った花を眺める。

「・・・今日、私がここに来たことは他言無用よ。もちろんレンにも」
「彼にもですか?」

背後から静かな声が尋ねた。

「レンはいちいち心配しすぎるのよ。余計な気を回されても面白くないわ」
「本当に素直な方ですね」

くすりと小さく笑う声に、少女は振り返って、相手を睨みつけた。

「あなたって、実はとっても嫌味なんじゃないかと思うわ」
「本気で、そう言っていますのに」

困ったように眉を下げ、彼は視線を動かした。
花瓶の隣に飾られた、小さな額の中の女性に目を落とす。

「お優しそうな方ですね」
「そこはまず、お美しい方ですねっていうのよ。ついでに、私の美貌はお母様譲りですね、ともつけるべきね」

つんと顔を上げた少女に、彼は微笑んだ。

「お優しい方ではなかったのですか?」
「優しかったわ、とても。でも、馬鹿な人だった。どんなに蔑ろにされても、誰を憎むこともしない人だったわ」

乾いた声で、彼女は答えた。

「・・・でも、そんな母君を愛していらっしゃるのでしょう?」
「何よそれは」
「母君が選んでくれた花だから、薔薇がお好きだと言ったでしょう。貴女が薔薇に捧げる愛情は、母君への愛情ではありませんか?」
「薔薇は薔薇よ。きれいだから好きなだけよ」

少女が目を逸らした。

「お母様は愛してるわ。でも別に、普通よ・・・」
「母親を愛していると素直に口に出して言えることは、貴女がそれだけ確かな愛情を受けたことの証でしょう。貴女はここで愛されて育ち、貴女も今なお母君に花という形の愛情を捧げている。それは誇らしく思って良いことです。階級がどうであれ、貴女は母君を何ら恥じることはない」
「・・・そんなの、きれいごとだわ」

穏やかな青年の言葉に、けれどリンの表情は逆に険しいものとなった。
まるで怒りに似た瞳が、挑戦的に青年を睨みつける。

「自分が、母親の身分のことで高い家柄が自慢の貴族連中に陰口を叩かれても、あなたは今と同じことが言えるの?公子様」

事も無く、青い髪の公子は答えた。

「言えますよ。実際、言ってきましたからね」
「え・・・?」

「私の母はね、貴族ですらありませんでしたよ」

目を見開いた少女を見下ろし、彼は静かな笑みを浮かべた。

「母は国を持たない旅芸人の娘でした。一座と共に国から国へと渡り歩き、ボカリアへ流れてきたのを、父がたまたま城下で見初め、ずいぶん強引に召し上げたと聞きます」

遠い過去を思うように、光差す窓の外を見つめる。

「現大公に公式の后はいません。あまりに身分が違い過ぎて、とても認められなかった。貴族でも、そしてボカリアの国民ですらない、卑賤とされる流れ者の娘ですから。実のところ、私達も幼い頃は父の子として公式には認められていなかったんです。母と共に、周囲から隠されるようにして育ちました。今もなお、母だけは王族の一員として認められていません」

淡々とした口調で語り、彼は言葉を切った。
深い蒼い瞳がリンを見つめる。

「軽蔑しますか?公子と呼ばれていても、実際のところ、私は身分すら持たない賤民の子です」

先ほどのやり取りを真似るように問いかけ、彼はいたずらっぽく笑ってみせた。

「それでも父は母だけを愛して、他の后はひとりも迎えなかった。当然、他に後を継げるものもなく、周囲が折れる形で私達は嫡子として認められました。父のそういう姿を見ていますから、私はあまり身分というものを気にしたことはありません」

穏やかな声には紛れもなく両親への敬愛と誇らしさが篭もっていた。
青年の横顔を、リンは羨むように見つめた。

「・・・あなたのお母様は幸せな方ね」
「どうでしょうか・・・突然、貴族社会に連れて来られた母には、父の他、頼るものもいなかった。いくら父が庇ったとしても、母は母なりの苦労や葛藤があったと思います。決して不幸なだけではなかったと思いますし、辛い顔など見せたことはありませんでしたが、短命な人でした」
「亡くなられたのは、いつ?」
「もう10年も前のことです。私が11歳の時でした」
「・・・私は10歳だったわ」

物憂げに、彼女は写真立ての中の面影を見つめた。

「父にとって、母は沢山いる女の一人に過ぎなかった。もともとお身体の弱い方だったけど・・・。でも、父がちゃんと母を守ってくれてたら、もしかしたら今だって・・・」

言葉の途切れた少女に、公子が苦笑した。

「大公が型破りな方なのですよ。誰もがあの人のようにはなれないでしょう。私自身も、父と同じようには振舞えない・・・」
「そうね、あなただって、国や政治のために求婚できる人だもの」
「耳が痛いですね」

皮肉げに揶揄する少女の言葉に、青年の苦笑が深まった。まるで痛みをこらえているような、自嘲気味な笑みだった。

遠く、窓の向こうに続く空へと眼差しを投げかけ、渇望する声音で彼は呟いた。

「それでも私は、母だけを愛し、それを周囲に対しても貫いた父を尊敬していますし、母を望んで得られたあの人が羨ましいと思います。心の底から」




ライセンス

  • 非営利目的に限ります
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「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【第13話】後編

オリジナル設定、絶好調オンパレードです。
そりゃねぇよ言われそうな捏造っぷり。親世代、名前もキャラもないのに・・・(笑)

年内、もう一回更新できるかな~、出来ないかな~~。
第14話へ続きます~。
http://piapro.jp/content/kxc8nfgu6861f90l

閲覧数:1,311

投稿日:2009/01/03 21:45:38

文字数:2,882文字

カテゴリ:小説

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