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【小説】昼休みの計画

 基本はチーズカレーの大盛りだ。
 それに七味をたっぷりかける。ガラムマサラなんてシャレたものがあればその方が合うのかもしれないが牛丼屋にそんなものはない。やたらスパイスをきかせたピリピリするカレーに七味の辛さが加わってホットな感じになる。そして微妙にリゾット風味のチーズ。そんなチーズカレーのことが俺は大好きです。
 だが俺とチーズカレーの甘く熱くちょっぴりマイルドな日々は何の前触れもなく試練に襲われることとなる。ナスカレー。それが敵の名だった。俺とチーズカレーの関係に亀裂をもたらす強力な好敵手(新メニュー)出現である。事態は一気に緊迫の様相を呈してきた。嵐の昼休み。十二時すぎのことだった。
 なんといっても三角関係である。昼メロも真っ青だ。俺は内心の動揺を悟られないよう努めて平静を装いながら一旦メニューを閉じ、そしてまた開いた。敵はやはりいた。どうやら夢や幻覚の線は薄そうだ。俺は一息に麦茶をあおった。
 店内はほどよく空調がきいていて、おもての暑気をはらんだ日差しとは一線を画した快適空間を形成している。時節は初夏である。時刻は昼である。俺は空腹だ。だがそうした諸事情はひとまず置いておく。

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2016/04/17 13:09

【小説】二十歳の夜に

 その炎は川べりの芒(すすき)を焼き払い、馬鈴薯(ばれいしょ)の段々畑を煙にうずめ、赤松の山肌を火の粉に変えて、私の心を黒こげにした。それでヨシユキと目が合うたびに、私の胸は焼きすぎたトーストのような苦みに襲われる。ヨシユキはそのとき私の一つ下で、農学部の二回生で、野球部の球拾いをしていた。
 ひょろ長い体と肩まである黒髪のせいで、普段はグラウンドの隅にある柳とまったく見分けがつかない。近寄ってみてはじめて、睫毛(まつげ)の長いことといつも物憂げな顔をしていることに気がついた。
 マネージャーの高野です、と話しかけても反応はなく、一拍遅れて、あ、とも、は、ともつかない声を出す、そんな男だった。マネージャーの高野です、と話しかけるのにどれほどの勇気がいったかなんて欠片も知らないような顔で、どうも、と気のない返事が続き、それから私たちはキスをした。
 ヨシユキは野球が下手だった。ポジションはショートだったけれど、あまりにも守備ができないせいですぐにレフトに飛ばされ、でもフライが捕れないせいで一週間後にはレフトもクビになり、のちに私と出会うことになる柳の下を定位置とされたのが春の終わる前のことだった。
 それでもヨシユキは野球が好きだった。ヨシユキは毎日、四限の終わる四時過ぎにグラウンドに現れては、みんなのストレッチを手伝ったり機械のセットをしたり、ライトとレフトとファールグラウンドを忙しく駆け回ったりした。

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2016/04/17 13:04

【小説】人の生

 裸の右腕を台に載せる。台にはシーツが敷いてある。白いシーツだ。言ってしまうといかにも味気ないが台はただの台でなく手術台であるのだった。手術台は人一人横たわれるくらいの長さがあるので右腕一本でその全てを支配することはできない。あちらでもこちらでも空虚で胡乱なスペースが白い白いシーツのまま僕を圧迫してくる。落ち着かない。身体は服を着て座っているのに右手だけ裸でこのような扱いを受けるなど拷問に等しい。あるいは迫害と言ってもいい。このように迫害されるくらいならいっそ死にたい。殺せ。俺を殺せ。そう言うと隣の看護師がメスだかなんだかの金属を振り上げて僕の心臓に突き立てるふりをする。けれども僕は動じない。奴らが僕を殺すはずがないのだ。ここは病院なのだ。
 裸の右腕は複数の看護師、この場所を手術室というなら手術スタッフというべきなのかもしれないが、そのような手術着を着た女たちによって縛りつけられる。革のベルトはきつくもなく、かといって僕がどれだけ暴れても緩みそうにないくらいの絶妙さで台と右腕をつないでいる。そういった作業を無表情で遂行する看護師たちの手術着は何故か赤みがかっている。何故だ。と思っていたら赤みがかっているのは布地の色でなく手術灯の色であるらしいことが分かってきて一安心している間に右腕は切り裂かれている。痛くないところをみると麻酔など打たれたらしい。しかしただ黙って切られているのも何なので「あぎゃあ」と言ってみる。幾人かが振り向くが術式に影響はなさそうだ。至極つまらない。
 執刀医らしい爺は眉ひとつ動かさない。眉ひとつ動かさぬまま淡々と腕の中をいじくっては何かつまんだりしている。暇なので右手指をぐねぐね動かしていると看護師に叩かれた。このまま指を動かし続けたら看護師は僕を殺すだろうか。否。殺さないだろう。何故ならここは病院なのだ。ここで人を殺すことは正しくないのだ。
 手術が終わるまでに僕は都合五度ほど叩かれる。きまって頭だ。決して患部を叩いたりはしない。叩かれるたびに僕は「うぎゃあ」「あばあ」「べろしていっ」などと言ってみるが二度目からは誰一人として振り向かない。至極つまらない。最後に儀式のように温水をぶっかけられて手術は終わる。右腕の束縛を解かれる前に執刀医が僕の頭を殴る。不条理。
 なんの病気だったのかと僕は執刀医に訊いてみる。執刀医は僕の頭を軽くはたいて、頭の病気だ、と言う。そうなんですか、と僕は言う。そうなんですか、と僕は言う。頭の中でできたしこりが、君の中を通って腕に流れついたんだ、これがそうだ、と言って執刀医は、僕の目の前に銀色のトレイを置く。トレイには豆粒くらいの肉塊が載っている。つまみあげ眺めていると肉はたやすく潰れてしまう。あ。と思わず声をあげて執刀医を見るが執刀医はいるはずのところにいない。辺りを見回しても執刀医はどこにもいない。助手も看護師も病人もいない。僕は大声を出す。ここは病院なのだ。ここは病院だったのだ。

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2016/04/17 12:48

【小説】蛙

 雨を眺めるのが好きだ。
 昼であれ夜であれ、ぱたぱたと屋根を打つ音が聞こえると、僕の心は応えるようにさわさわとささめき立つ。それが心地よくて、降り始めのこの瞬間がずっと続いたらいいのに、と思うのだが、なかなかそうはいかない。でもそのあとに訪れる、しとしととした時間も、いかにも雨がここにいますという感じがして心地よいから、やっぱり僕は満足してしまう。
 それで、こうして、今も湿った庭を眺めている。縁側というのは家≪うち≫の中でもなく外でもなく、妙な場所だと思う。開け放した障子から漂う気だるい空気を背中に、外気のしっとりした湿度を額に、いちどきに感じながら、僕はひとつの境界にいる。
 境界に紛れこむものは多い。殊に雨が近くなると、内も外もせわしなく動きだす。自然、境界を行き来するのも多くなる。大勢の駆け足を片耳で聞きながす。はじめの一滴を、僕だけが待っている。
 素通りしないものもある。境界に入ったはいいが、よほど僕が邪魔なのか、あるいは単なる興味からか、蚊やら、甲虫≪かぶとむし≫やら、蟋蟀≪こおろぎ≫やら、猫やら、そうしたものが寄ってくる。おかげで僕は雨音ばかり聞いてもいられない。

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2016/04/17 12:40

【小説】アスカさんのこと

「下の名前は飛ぶ鳥で」とアスカさんは言ったけれど、僕は彼女の名前を残らずカタカナで書ききったのち出席簿を後ろへ回した。
 アスカさんは気づかない。僕を信用しきっているのだ。僕はこんなちょっとした悪戯にだっていつもばれた時の言い訳を考えているのに、それが披露されたことは幸か不幸か一度もない。彼女が鞄に手を伸ばす。
 アスカさんはおもむろに本を開いた。三人掛けの長机は真ん中に彼女、左に僕が配備され、右の椅子にはチョコレート色のトートバッグが鎮座していた。はるか前方にある長大な黒板には「東西のサブカルチャーと性差」という見出しがうっすらと読めた。
 アスカさんは視力があまり良くないそうだ。それで遠近法の体現みたいな机の配列やその先にある黒板に対して、彼女はいつも完璧に無視をきめこんでいる。僕はもちろん彼女の目のことも彼女が僕のとなりに座ることも知っているし、彼女は彼女で彼女の抗議を僕が受け付けないことを知っている。だから今日も彼女は僕の隣で本を読む。「前の席あいてますよ」スピーカーが講師の声を伝えた。二つ後ろの最後列で遅刻の男子学生が空席を捜していた。黒板に小さな文字が増えていた。
 アスカさんと僕は週に一回、この「比較文化論B」で顔を合わせる。広くて古い講義室に空席の目立つ、全学共通科目の中でもあまり人気のない講義だった。僕は開講から二週目で視線に気付き、三週目で尾行に気付き、四週目で執念に気付き、五週目で逃げられないことに気付いたのだった。「ずっと前から気になってたの」と言った彼女は一年生だったし、窓の外には遅咲きの桜が残っていたし、講義室の壁掛けカレンダーには前期の日数がたっぷり残っていた。僕は三年生で全学共通科目をとっていたけどそのことで彼女から憐憫の情をかけられる筋合いはないはずだった。とりあえず僕の記憶のかぎりは。

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2016/04/17 12:35

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