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『初音ミク』は物語から逃れられない

 『初音ミク』は物語から逃れられない
 これを読んでいるあなたはどこかで、「初音ミクは特定の物語を持たないキャラクターである。」といった類の言葉を耳にしたことがな いだろうか? 「初音ミクはたった一つの物語を持たないがゆえに二次創作され続け、凄まじいムーブメントを作ることに成功したのだ」 と。まあ、それに対する異論は僕にはない。発売元であるクリプトンが必要以上に規定しなかったからこそ初音ミクは魅力的な キャラクターに育ったのだろう。けれど、そういった論の中で僕はこんな言葉を聞いたことがあるのだ。
「初音ミクは物語から独立したキャラクターである。」
 おそらく、初音ミクに関する議論に詳しい方ならその通りだと頷いてしまうだろう。「初音ミクは物語に規定されないキャラクターであ る」と。すでに多くの人々に支持された考え方だ。でも、僕はあえてこの考えに反論してみたい。「初音ミクは物語から独立し てはいないのだ」と。多くの方は僕の言っていることが矛盾していると思うだろう。さっきお前は異論がないと言ったじゃないかと。ま あ、一見そう思われても仕方がない。でも、少し考えてみてほしい。さっき僕は、「初音ミクは公式であるクリプトンによって 絶対的な『たった一つの物語』を授けられなかった」とは言った。一般的に言われていることで、それゆえにボーカロイドムー ブメントが成長したのだということに異論はない。それは確かだ。しかし、「公式によって物語を授けられなかったこと」はイコール「初 音ミクが物語から独立したキャラクターである」ことを意味するのだろうか? 果たして本当に、「初音ミクは物語から自由になった」と 言えるのか? 断言する、絶対にそんなことはない。むしろ『初音ミク』は物語の上にしか存在し得ないのだ。
 さて、お前の言っていることはワケが分からないと言われる前に少しだけ簡潔に整理しよう。僕の主張を要約するとこうだ。まず、「公 式による規定と物語による規定はまったく別物である」ということ。混乱する人がいるだろうから次の主張はまた後で述べよう。ま ずはその違いからだ。公式による規定と物語による規定、僕は多くの方がこの二つを混同して考えているように思うのだ。まあ、仕方のな いことだとも思っている。従来、「キャラクター」とは制作者が作ったたった一つの作品の内に留まる存在だった。それもそのはずで、そ もそも「キャラクター」とはまず、制作者が作った物語のために存在したのだ。とても陳腐な例で申し訳ないが、ある作家が居て、彼 は勧善懲悪を賞賛する話が書きたいとしよう。「キャラクター」はまずその話の中の役割を帯びた人物として生まれるのだ。この例の場合 まず称えられるべき勇者と責められるべき魔王という配役が考えられる。作者の意図する話のために、勇者は読者に好感が持たれる設定が 与えられ、尊敬されるように動く。魔王はその逆と考えてもらえれば結構だ。このように本来「キャラクター」とは、まず先に物語があ り、その上で作者の意図するもののための行動をするために生まれる存在だったのだ。このようなキャラクターの起源から考えると、今 でこそ当たり前に思えるが、『たった一つの物語』の範疇を飛び越えて活躍する『初音ミク』のようなキャラクターは、先立つ物語が存在 しない「キャラクター」というのはもの凄く異常なのだ。誕生し得ないとすら言える。しかし現実に『初音ミク』は誕生し、僕 らの前でその生き生きとした活動を見せつけている。その意味で『初音ミク』は確かに革命児だ。それ故に、あなたはこう思ってしまっているのではないか? 「初音ミクは物語の束縛から逃れたキャラクター」なのだと。誤解の原因はここにある。混同するのも当然だろう。そもそも「物語による規定」などと云う考え方が今までなかったのだ。きっと必要なかったのだろう。「物語は公式が与えるもの」以外の何者でも無かったのだから。

おりひな英一さん

おりひな英一さん

2010/05/24 02:02

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