第十章 夢 パート2
ルカが疲労困憊という様子で黄の国の王宮に到達したのはその日の夕暮が近付く頃であった。馬から飛び降りたルカはすぐに衛兵に至急の要件を伝え、リン女王への謁見の取り次ぎを依頼する。
ひどい空気だわ。
王宮に一歩踏み入り、ルカはそんな感想を持った。空気が悪いとは違う。
怨嗟で満ちているわ。
ルカはそう結論を付けた。相当の人間がリンにより処刑されたのだろう。まるで濃い臭気のような気配が王宮内に満ちていたのである。
もう、リンは壊れてしまったの?
そう考えながら、取次ぎを終えた衛兵に礼を言うと、ルカは謁見室へと入室した。玉座に居座るのは、弱々しい少女だった。
「リン女王陛下、この度は火急の要件があって青の国より帰国致しました。」
「どうしたの、そんなに慌てて。」
「単刀直入に申し上げます。青の国のカイト王がこの黄の国へと進軍して参ります。」
ルカがそう告げた時、リンは明らかに不機嫌な表情を見せた。全ての人民を焼き切るような深い憎悪を直に受けながら、ルカはリンの返答を待った。
「許さない。」
リンは、はっきりとそう告げた。そして、言葉を続ける。
「ミクと不倫しただけでは収まらず、とうとうあたしの国まで滅ぼそうというのね。なら、あたしが逆に壊してあげる。ロックバード伯爵!」
「は、こちらに。」
ロックバード伯爵は、明らかにやつれた表情でリンの姿を見た。
「伯爵は王国軍二万を率いて国境の町ザルツブルグに布陣しなさい。青の国の軍を破り、カイトの首をここに持ってきなさい。」
極度の怒りを感じているのだろう。リンは震える声でそう告げた。
「畏まってございます。」
ロックバード伯爵はそう告げると逃げるように謁見室から退出していった。
「ルカ、教えてくれてありがとう。しばらく旅の疲れを癒すといいわ。」
リンはそう告げると、もう飽きた、とばかりにルカに退出を促した。
「これはルカ殿。お久しぶりでございます。」
リンとの会見を終えたルカがひとまず向かったところは現在の内務大臣であるガクポの執務室であった。自分が不在の間に黄の国で一体何が起こったのか、確認しておくべきだと考えたのである。
「私がいない間に何が起こったの?」
「様々なことが。」
ガクポは僅かに瞳を落とすと、そう告げた。
「まず、緑の国に侵攻した理由から教えて。何がリン女王を戦に駆り立てたの?」
「深くは存じ上げませぬ。しかし、遊覧会に戻られた翌日に突然の出兵命令が下りたのです。おそらく、遊覧会にて不都合なことがあったのでは。」
「そう。」
カイト王がミク女王にご執心であったことに気づかれたのだろうか。ルカはそう考えながら、次の質問をガクポに放った。
「・・アキテーヌ伯爵の処刑は?」
「・・それを私に訊ねられますか。」
ガクポは僅かに肩を落とすと、そう告げた。この男にしては珍しいな、と考えながらルカは質問を続ける。
「ガクポも関っているの?」
「そうです。アキテーヌ伯爵に手をかけたのは私です。」
「あなたが・・?」
「ええ。リン女王陛下は緑の国への進軍をお止しようとしたアキテーヌ伯爵を反逆罪と断定し、私に処刑を命じました。私はその命に従い、伯爵を処刑したのです。」
「・・そう。」
慎重になって欲しかったのに。
ルカはそう考えて、思わず吐息を漏らした。アキテーヌ伯爵こそ、黄の国が復活するためには必要不可欠な人材だったのだ。しかし、後悔をしている時間が惜しい。更にルカは言葉を発した。
「最近は略奪行為を働いていると聞いたわ。」
「はい。少し前に国庫が底をつきました。その為です。」
「もう、そんな状態なの・・。略奪を指揮したのは誰?」
「レン殿と、私です。」
「レンが・・?メイコはどうしたの?」
「メイコ殿は緑の国から凱旋されたその日に除隊されました。アキテーヌ伯爵の死に耐えられなかったのでしょう。」
「メイコが?今、どこにいるの?」
嫌な予感がした。
「城下町にお住まいという噂を聞いたことがあります。」
「監視は付けている?」
「いえ、付けておりません。」
「危険だわ。」
ルカはそう言った。
「危険?」
「メイコを野に放つなんて、虎に翼を与えるようなものだわ。青の国の進軍と呼応しての反乱くらい、メイコならやってのけるはず・・。ガクポ、今すぐメイコの自宅に向かいましょう。」
ルカはそう言うと、ガクポを急かすように立ち上がった。
「カイト王からの急報が届きましたわ。青の国は総勢三万の兵で黄の国へと進軍を開始した、とのことです。」
日も落ちた頃、メイコの自宅に戻ってきたグミはメイコに向かってそう言った。
「そう。こちらも準備は整ったわ。いつでも決起できる状態よ。」
「革命軍の総勢は?」
「今のところ二千ね。除隊した赤騎士団を中心にメンバーを募ったわ。決起の際に市民の蜂起を促して・・おそらく数万は集まるんじゃないかしら?」
「今の黄の国の総兵力はどのくらいなのです?」
「詳しくは分からない。でも、おそらく二万から三万のはずよ。その内の二万くらいは青の国の対応で出兵するでしょうから、残るのは多くて一万じゃないかしら。この中から少しでも私たちに味方してくれる兵が現れれば反乱は成功したも同然ね。」
「メイコ殿、反乱ではございません。革命でございます。」
グミは拗ねるようにそう言ったが、その言葉に対してメイコは寂しげに笑いながらこう言った。
「私にとっては反乱よ。黄の国の国民を救うという大義名分があるとはいえ、かつて忠誠を誓った君主に楯突くことには変わらないのだから。」
「そうですが・・。」
グミが更に反論を唱えようとした時である。メイコの自宅の扉がノックされた。
「赤。」
メイコがそう告げる。簡単な暗号だ。
「緑。」
扉の外から、男性の声が聞こえた。赤はメイコ、緑はグミ。つまり、二人を代表者と仰ぐ反乱軍の暗号である。
「入って。」
メイコがそう言うと、体格の良い男性が入室してきた。赤騎士団の元副隊長であった男である。
「メイコ様、お知らせがございます。」
「どうしたの?」
「今、王宮からルカ殿とガクポ殿が十数名の兵を連れて、こちらに向かっているという情報が入りました。」
「ルカ殿が?帰国されていたのね。ばれたのかな?」
メイコは余裕という表情でグミにそう訊ねた。
「まだ発覚してはいないでしょうが、ルカ様ならその程度は推測されると思います。」
「一応検問ってことかな。とりあえず、ここにいると都合が悪そうね。」
「では、私の魔術で逃れましょう。」
「お願い。」
メイコがそう言った時である。
再び、自宅の扉が叩かれた。大げさな、殺意を感じさせる音が自宅に響く。続いて、ハスキーな男性の声が響いた。
「私は黄の国王立軍ガクポ!メイコ殿、いらっしゃればお返事をされよ!」
「参ったな、ガクポ殿相手じゃ突破できない。」
メイコは僅かに苦笑すると、グミに笑いかけた。
一つ頷いたグミは、何事かを呟く。
その瞬間、メイコの自宅にいた三人の姿が忽然と消えた。
「返事をなされぬか!ならば。」
ガクポはそう言うと、倭刀を抜き放った。一瞬で木造の扉が切り裂かれる。その扉を足蹴りにしたガクポは、後に続く兵士と共にメイコの自宅へと飛び込んだ。
しかし。
「誰もいない?まさか・・。」
抜き身にした倭刀を油断なく構えながら、ガクポはそう呻いた。先程まで確実に複数の人の気配があった。それがどうして・・。
「魔術を使用したみたいね。」
兵士達の後から入室したルカが、ガクポに向かってそう告げた。
「魔術を?」
「ええ。おそらくワープの魔法ね。魔術を使った気配を感じるわ。」
「一体誰が。メイコ殿は魔術を使えないはず。」
「ワープの魔法は高位魔法よ。これだけの術者は相当限られるはず。」
少なくとも、私の知っている限りでこの魔術を使える人間は、一人しか思い浮かばない。
グミ。
あなたも、ミク女王の仇を取る気なの?
あなたとメイコで、黄の国を滅亡させるつもりなの?
かつての教え子に裏切られたような感覚を味わいながら、ルカは思わず呻いた。とにかく、ここにいない以上、他を当たるしかない。
「とにかく、ここから逃げたということはやましいことがあるということだわ。ガクポ、国境に向かわない兵士を総動員してメイコを捜索して。青の国と呼応するつもりなら、残された時間は僅かしかないわ。すぐに動かして頂戴。」
僅かに青ざめていることを自覚しながら、ルカはガクポに向かってそう言った。
「レン殿、儂がいない間、黄の国をよく頼む。」
翌日、進軍準備を終えたロックバード伯爵は見送りに訪れたレンに向かってそう告げた。
「はい。すぐにお戻りください。でないと・・。」
そこから先をレンは言わなかった。今の黄の国には青の国と対抗できるだけの国力がない。ロックバード伯爵が破れた段階で黄の国は滅亡する。レンにはそのことを十分に理解していたのである。
「分かっておる。儂も歴戦の騎士と言われた人間だ。青二才に好きなようにさせんよ。」
ロックバード伯爵は無理に、という様子で笑顔を告げると、軽く片手を上げて、全軍に進発を指示した。その後ろ姿を見つめながら、レンはふと、こう考えた。
もうすぐ、この国も終わるかもしれない。
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