天使のオブジェが乗っかった時計の針が、午後五時半を示していた。太陽が大きく傾いて、夕方の風が吹き始める頃合いだ。

 ボランダストリートから少しだけ西寄りにある公園で、僕とミクは並んでベンチに腰掛けていた。

「子供たち、帰っちゃいましたね」
「そうだね」

 がらんとした公園を見たミクが言う。さっきまで近くではしゃいでいた子供たちは、薄かった夕焼けが濃くなるにつれ、親に手を引かれて帰っていった。そうなると、歪な楕円形をした公園はめっきり静かになってしまう。遠くから紛れ込んできた消えかけの音符が、それに拍車をかけていた。

 時間潰しに喫茶店でおしゃべりをして、映画を観て、一緒に色々な店を回って、習慣で足を運んだのがこの公園。ここに寄るときは大抵僕一人だったから、連れ合いがいるのは初めてのことになる。

 芝に転々と置かれた遊具たちが、差し込む夕日で影を作っていた。それを見ながら今日のデートが終わりつつあることを自覚する。

「そういえばまだ言ってなかった。突然誘っちゃってごめん。驚いたよね?」

 自分で言うのもなんだけど、と付け足す。ミクは頭を振った。

「気にしないでください。まあ、それは……確かにびっくりはしましたけど」

 こういうのも、いいですね。そう言って、ミクはちょっと遠くを見る目をした。瞳が微かに虚ろな光を宿す。

「……」

 沈黙の中で、僕は思う。これで何度目だろうと。たとえば僕がトイレに行って戻ってきたとき、たとえば僕が飲み物を取りに席を立ったとき。ミクはときどきぼうっと空洞のような瞳で想いを馳せていることがあった。それは映画を観た直後から見られる傾向で、火葬のときと似たように、少女の影を感じさせるものだった。

 映画自体は取り立てて変わったものじゃない。主人公は十代後半の女の子。横行するマフィア絡みの犯罪、その撲滅を目指す知事の父親を持つ彼女は、ある日両親や祖父母、弟、つまり家族全てを殺された。父を邪魔に思ったマフィアが強盗を装って殺害したのだ。一夜にして不幸のどん底に叩き落された少女は復讐を誓う。

 数年後、刑事として家族を殺した犯人、ひいてはマフィアたちを追う彼女は、黒幕の手が警察上部にまで伸びていることを知り、信頼できる相棒とともに独自に捜査を行っていく。しかし、想いを寄せたパートナーであるバディすら凶弾に倒れ。ついに彼女は一線を越えた。

 刑事として捕らえるのではなく、個人としてマフィアを抹殺することを望んだのだ。自分に似た境遇を持つ仲間を集め、周到に準備を整え、幾度もの死線を越えて、ついに彼女は復讐を果たす。マフィアたちが血も涙もない連中ばかりだっただけに、徹底的に暴力的に黒幕たちを蹂躙する様はいっそ天晴れという言葉が似合った。

 とまあ、実に刺激的な内容だった訳だけど、デートで見るにしてはいささか過激すぎはしないかと思う。衝撃的なシーンも多々あっただけに、ミクにはショックが強すぎたのだろうか。

「ひょっとして僕、映画選びを間違えちゃったのかな?」
「え?」

 本当はケイが選んだという事実はこの際気にしない。もしもミクがあの映画を不快に思ったとしても、あいつが悪いんじゃなくて、あいつを信じた僕が悪いんだから。

「だってほら、映画の後から、少しミクの様子がおかしかったから」

 ミクははっと息を呑む。それから困ったように微笑して、

「いいえ、そういうことじゃないんです。ただ、なんていうか……」

 自分の気持ちを確かめるようにミクは言った。

「私も、もしかしたらああなっていたのかな、って」

 ああなっていた、とはどういう意味だろう。一瞬考えて気付いた。

「それは、映画の主人公みたいに、ってこと?」
「そうです」

 ミクは頷く。

「私の両親がいないことは、前に話しましたよね」
「うん」

 返事をしながら、徐々に僕にはミクの言いたいことが分かってきていた。ミクは独り言のように呟く。

「私の親は、放火で殺されたんです」
「そう……」

 ミクが放火という単語を使ったことに、僕は複雑な思いを抱いた。だって僕は知っている。ミクがその言葉をいまだに信じ切れないでいることを。

 皆まで言わなくても理解できた。ミクは映画の主人公と自分を重ねて見ていたのだ。だからときどき、あんな風にふと考え込んでしまった。

 彼女は両親の死因が自分にあるのではないかと思ったから復讐という行為に及ばなかっただけで、一歩間違ったら映画の中の彼女のように、悪を憎む刑事を目指していたかもしれない。それはそれで立派な一つの生き方だけれど、ともすれば映画の主人公のように足を踏み外しかねないリスクを孕んでいる。

 違いは、歌だろう。

「ああ、そうか」

 呟く。そう思えばこそ、僕は新しい見方に気が付いた。

 歌の存在がミクを救っているとも言えるんじゃないか?

 その考えはすとんと僕の胸に落ち着いた。

 そもそも歌うために家を抜け出したおかげでミクは命拾いしたのだし、事件当時に歌っていたおかげで、憎しみに囚われてしまうこともなかったのだから。

 歌そのものに罪はなく、もちろん両親の死はミクのせいではない。なら、やはりミクは歌ったっていいんだ。僕の心にかかっていた躊躇いという名の薄い霧が晴れていく。

 まさか、ケイはミクの事情を知っていて、彼女が映画の主人公と自分を重ねることや、僕がこういう結論に至ることを予想していたのだろうか。だとしたら、その慧眼には脱帽するばかりだ。我ながらすごい友人をもったな、と思った。

「ミク」

 今日のデートはもう終わりに近い。でも、僕にとっての大一番は今まさにこれからだ。改めて覚悟を決め直し、僕はミクの名前を呼んだ。彼女は僕の声音が変わったのに気付いてか、不思議そうな表情で僕を見た。

「僕の親友が近々演奏会を兼ねたパーティーを開くんだ。内輪の集まりって言ってたから、そんなに大規模なものじゃないんだけどね。僕の曲も、その演奏会に使われる予定だ」
「そうなんですか? すごいじゃないですか!」

 ミクがぱっと顔を輝かせる。本来なら喜ぶべきところだけど、次の言葉に対するミクの反応を予想すると諸手を挙げては喜べない。

「僕は君の歌の持つ力を知ってる」

 ミクの体が雷に打たれたように硬直した。

「ケンジロウさんから聞いたよ。君の両親のことも、君が罪悪感に苦しんでいることもね」

 ミクは見る見るうちに困惑を露にし、ついには泣きそうな表情になってしまった。ちくりと胸が痛む。ああ、そんな顔をしないでくれ。

「その上で僕は言うよ」

 僕は火葬曲を鞄から取り出して、呆然とするミクに差し出す。ミク、と務めて優しく名を呼ぶと、びくりとミクは肩を震わせた。

「君が望みさえすれば、皆は君に協力してくれる。絶対に事故なんて起こさせない。だから……」

 すぅと呼吸を整え、僕は強い意志を込めてその言葉を口にした。

「僕の曲を、歌ってくれないか」

 さながら告白のような僕の言葉に、ミクの瞳が揺れる。明らかに当惑を表して口ごもったミクは、たっぷり一分間迷った後に、

「少し、考えさせてください」

 力ない様子で、そっと楽譜を受け取った。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • オリジナルライセンス

【小説化】火葬曲14

No.D様の火葬曲からイメージを膨らませて小説化しました。よろしくお願いします。

原曲様→https://www.nicovideo.jp/watch/sm6074567

閲覧数:90

投稿日:2023/02/23 19:24:47

文字数:3,000文字

カテゴリ:小説

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