UV-WARS
第三部「紫苑ヨワ編」
第一章「ヨワ、アイドルになる決意をする」
その33「帰りは初音ミクのラッピング電車で」
叔父さんは結局、わたしの案内などいらなかったのだ。今、アイドルと呼ばれる存在が、どんな扱いを受けているか、わたしに見せたかったのだ。
店を出たあと、叔父さんは迷うことなく、秋葉原駅に着いた。
乗り込んだ山手線は比較的空いていた。
池袋駅で降りて、私鉄に乗り換えた。私鉄の駅の中に小さな喫茶店があって、叔父さんはそこに入った。
「歩き回って、疲れたろう? ちょっと休んでいこう」
疲れたのは叔父さんの方では、と言いたかった。わたしを説得するためにあちこち連れ回して、徒労に終わったら、骨折り損ではないだろうか。
入ってすぐ左手の二人用テーブルに叔父さんは腰を下ろした。
自動的にわたしは向い側に座った。
「何、飲む?」
ちょっと緊張して喉が渇いた。
「…トマトジュース」
そう言うと、叔父さんは自分のホットコーヒーと一緒に注文した。
店と外を仕切るのは一枚のガラスで、外の人の流れは足早で絶えなかった。今は小脇に包装されたもの、時期的にクリスマスプレゼントだろう、を抱えた人が多い。
外のそうした時期的な浮わついた騒がしさに比べて喫茶店の中は静かだった。
頼んだ飲み物もそっと差し出された。
ウェイトレスさん、と思ってみると、男の人、ウェイターさんだった。
「まず」
と、叔父さんは話を切り出した。
「最初の小さなビルは、ヨワと少し関係があってね」
興味ないように、トマトジュースに口を着けた。
「ヨワのお父さんとお母さんが最初に出逢ったところなのさ」
お父さんとお母さんのファーストコンタクトは、秋葉原ですか。そうですか。
叔父さんは溜息を洩らした。
「ヨワちゃんにそんな顔されると、叔父さんは寂しいなあ」
本当に寂しそうな顔だった。
「叔父さんの家には子供がいないから、ヨワちゃんは一人娘みたいなもんなんだよ。だから」
叔父さんは持っていたセカンドバッグを、がさがさと探し出した。
「だから、ヨワちゃんの希望は出来るだけ叶えてあげたい、って思ってる。あ、あった」
叔父さんは封筒を差し出した。
それは地味な、長3形の封筒だった。
「開けて見てくれる?」
中身は、メモ帳、じゃなくて、預金通帳だった。判子とセットになっていた。
通帳の名前は「紫苑ヨワ」、わたしだ。印鑑も「紫苑」だ。
これは、わたしの意志をお金で変えようということだろうか。
だとしたら、それはとても気持ちの悪いことだった。
気持ちが悪くて、通帳の残高を確認する気にならなかった。
異質な気持ち悪さだった。船に酔うとか、美味しくない料理や、嫌いな昆虫とか、目に見えるものではなく、胸やけのする空気を吸った感じだった。
少し、寒気を感じて、身体が震えた。
わたしは目を瞑って、顔を伏せた。
「ヨワちゃん、アイドルになりたいの?」
この状況で、叔父さんから切り出した。
「なれると、思ってるの?」
叔父さんの口調は優しい。否定的な空気も感じられない。
でも、顔を上げられなかった。
「わからない」
ちょっと声が小さかった。
「え?」
やっぱり聞き返された。
「わかりません」
少しだけ声を大きく出来た。
ちょっと沈黙があった。
叔父さんはコーヒーを一口啜った。
「そうだよね」
叔父さんが外の景色に顔を向けたのが分かった。
「さっき、見た通り、アイドルは、一部のマニアだけが使う言葉になってる。叔父さんが知ってるアイドルは、テレビの向こうにいるけど、応援したくなるような存在だった」
叔父さんは溜息を洩らした。
「だが、今、テレビに映っているのは人間離れしたタレントばかりになってしまった。それなりに楽しいが、応援したくなるほどじゃあない」
叔父さんの目がわたしを捕らえた。
背すじがピンと伸びた。
「どういうアイドルになりたいの?」
「それも、ちょっと、ボンヤリとしているけど、これから考えていこうって、思ってます」
叔父さんは、もう何度目だろう、盛大に溜息を洩らした。
「努力したら、きっと、なりたい自分になれる、それを証明したい、です」
今はうまく言えないけど、わたしの精一杯の言葉を言えた。
そうか、と叔父さんは小さく呟いたようだった。それから、叔父さんは立ち上がって、会計を済ませて、店を出た。
タイミングよく、家に帰る電車はすぐにホームに入って来た。カラフルな電車だった。その意味を知って、戸惑った。
電車は、初音ミクでラッピングされていた。
叔父さんは、目の前で開いたドアに入らず、隣の車両に乗り込んだ。
中は、初音ミク一色だった。よく見ると他にもボーカロイドはいるのだが、中吊り広告は全て初音ミクのポスターだった。他のボーカロイドは、窓や天井、壁に貼り付けられていた。
そんな車両なのに、通勤用の長椅子ではなく、二人掛けの椅子が進行方向に整然と並んでいた。
叔父さんは、わたしを窓際に座らせて、隣の通路側に腰を下ろした。
「壮観だねえ」
やっぱり、わかってて、車両を選んだんだ。
連結部分の窓の向こうは普通の中吊り広告だった。
こうなると、叔父さんが次に何を言おうとしているか、想像できてしまう。
「ボーカロイドに勝つつもりかい?」
ほら、来た。
でも、そう言うと思って、用意していた答えを返した。
「何で勝負するのか、わかりませんけど。でも、何かで勝って、ボーカロイドより優位に立つより、目標を達成して多くの人に知って欲しい、と思います」
叔父さんの意外そうな顔がちょっとムッとしてしまうけど、顔には出さない。
「そうか。何か、考えているんだね?」
「まだ二つくらいしか思い付かないんですけど」
「ええ? 二つも? それは、すごいじゃないか!」
叔父さんの仕草はオーバーで、声も大きくて、ちょっと恥ずかしくなった。
他の座っている人は、一様に知らん顔で、少しだけホッとした。
ドアが閉まって電車が動き出した。
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