注意書き
これは、拙作『ロミオとシンデレラ』の外伝です。
カイト視点で、外伝その十九【上手くいかない】の後の話になります。
したがって、それまでの話を読んでから、読んでください。
【アカイの想い人】
六月に入ったばかりの土曜日、僕は例によって、母さんから「これ、食べきれないからマイコのところにでもおすそ分けしてきて」と、渡されたゼリーを抱えて、マイト兄さんのところにやって来ていた。
マイト兄さんのところは土曜も仕事があるから、めーちゃんはいるはずだ。この前借りたDVD、できることなら手渡しで返して、直接感想を言えるといいな。そんなことを考えながら、僕は道を歩いていた。マイト兄さんの家まで、あと少し。
「よう、カイト!」
聞こえてきた声に、僕は固まった。……マイト兄さんの家の前に、アカイがいる。
「……アカイ、何してるの?」
「そういうお前は?」
僕は、ゼリーを入れた紙袋を見せた。
「母さんが、食べきれないから持って行けって」
「お前、食わないの?」
「僕、アイスは好きだけどゼリーはあんまり……」
アイスなら幾らでもいけるんだけど、アイスってあまりくれる人いないんだよね。ガイトは和菓子しか食べないし。
「あ~、そういやそうだったな。確かガイトの奴はカゲ兄と同じで和菓子派だったし」
そんなことを言って、一人で頷いているアカイ。ちなみにこんなことを言っているアカイは辛党で、甘い物は好まない。余談だけど、僕は以前、アカイが作ったカレーを食べて、その場で昏倒しかけたことがあったりする。ハバネロが大量に入っていたんだけど、どうしてアカイはあんなもの食べて平気なんだろう……。そういやあの時「アイス入れて中和していい?」って訊いたらどつかれたんだよね。何もそこまでしなくてもいいと思うんだけど。
「で、アカイは?」
アカイは何も答えず、マイト兄さんの家のインターホンを押した。あの~。いや、用件は想像ついてますけど……。内心で、僕はため息をつく。アカイを見ると、何かぶつぶつ言っていた。……口説き文句のトレーニングでもしているのかな。
「は~い」
女の人の声――ちなみに、めーちゃんではない。めーちゃんの声ならどんな時でも聞き分けられる自信あるし――がして、ドアが開いた。
出てきたのは、めーちゃんより一つか二つくらい下の、髪の長い女の子だった。……マイト兄さんのスタッフにこんな子いたっけ? でも、どこかで会ったような気も……。
女の子はこっちを見るなり凍り付いて、いきなりドアを閉めようとした……え?
僕がびっくりしているその傍で、いきなりアカイが足をドアの隙間に突っ込んだ。当然だけど、ドアはそれ以上閉まらない。あの~、アカイ。相当痛いんじゃないの、それ……。
「何するんですかいきなり!」
「フット・イン・ザ・ドア・テクニックって奴だ。どうだ、参ったか!」
えーと……アカイ、何やってるんだろう……。ていうかその言葉、そういう意味だっけ……? 僕が首を傾げているその傍で、アカイと女の子はもめ始めた。
「そういっつもいっつも邪険にしなくてもいいじゃん!」
「帰って下さい!」
「手土産だって持って来たし~。ほら」
アカイが手に持っていた、横文字が印刷されたお洒落な紙袋を差し出した。多分、どこか有名な洋菓子屋さんなんだろう。辛党のアカイでも、こういう時は甘いものを買ってくるらしい。
「それだけ置いて、帰って下さい!」
「え~そんなのひどいよ。せめて中に入れてくれよ。一緒にお茶でも……」
「あの……アカイ、何やってんの?」
というかこの子、誰?
「中に入れてくれるよう交渉してるんだよ」
アカイがそう答えた時だった。足音がして、上から誰か降りてきた。
「ねえ何やって……アカイ君?」
あ、めーちゃんだ。あれ……アカイを見て引きつっている。アカイ、何かやらかしたんだろうか。
「俺だけじゃなくて、カイトもいるぜ。というわけで中に入れてくれ。俺はチーズケーキ、カイトはゼリーのお土産つきだし」
アカイがそう答えるその傍で、女の子はばっとドアから離れると、脱兎のごとく二階へと駆け上がって行った。一体何が起きてるんだろう。
「ああっ、また逃げられたあっ!」
地団太を踏み出すアカイ。……ちなみに二階はマイト兄さんの仕事場なので、基本的に僕やアカイは入らないことにしている。中で誰かが服でも脱いでたら厄介だし。
「アカイ君、いい加減諦めてもらえないかしら?」
めーちゃんがため息をついている。アカイが気色ばんだ。
「なんでそんなこと言うんだよ」
「だって……見たでしょ? 脈無いわよ」
「ろくに話もできないんだから仕方がないじゃん。俺だっていきなりデートしてくれとは言ってない。まずはお友達からって言ってんのに!」
混乱している僕の目の前で、アカイとめーちゃんはそんな話を始めた。
「だから、お友達は今募集していないの」
「横暴だあ!」
「なんと言われようとこの件に関してはお断り」
「どう考えても横暴! カイト、お前もなんか言え!」
アカイが突然、僕の首根っこを引っつかんだ。僕は思わず、間の抜けた声をあげてしまう。
「え?」
「このミス・ガーディアンに何か言えって言ってんだよ!」
「言うって……何を?」
何が起きているのかもよくわからないのに、一体何を言えばいいんだろう?
「俺はいい男だとか、絶対いい彼氏になるとか!」
「えーっと……」
なんでそんなこと、言わなくちゃならないんだろう。僕が口ごもっていると、アカイは怒り出した。
「お前本当に使えねえな!」
アカイ……僕は傷ついたよ。
「アカイ君、よしなさいよ。カイト君は関係ないでしょう?」
めーちゃんに庇われてしまった。なんだか、プライドが傷ついた気がする。
「大体、前に話したでしょう? あの子は前に辛い失恋してひどく傷ついてるの。やっと立ち直ってきたところなんだから、かまわないでちょうだい」
「失恋の特効薬は新しい恋と昔から……」
「男の人をまだ近づけたくないってことで、先生も私も意見が一致してるのよ」
「あの……」
僕は口を挟んだ。アカイとめーちゃんがこっちを見る。
「アカイが前に言っていた好きな人って、さっき逃げてった子なの?」
「他に誰がいるんだよ」
機嫌の悪そうな表情でそう言うアカイ。いや……だって……。僕は思わずめーちゃんを見た。
「だって……僕、さっきの子、初めて見たし……」
だからてっきりめーちゃんのことなんだと思っていた。アカイ、「スタイルのいい美人」なんて、わかりにくい言い方するんだもん。確かにめーちゃんとはタイプが違うけど、綺麗な子だった。
「そういやカイト君、初めて会うんだったわね。あの子、私の高校の時の後輩なのよ。不定期のバイトだから、いつも来るとは限らないんだけど」
その縁でマイト兄さんのところに来たのかな?
「おかげで俺が来ても空振りだったり、マイコ姉やこのミス・ガーディアンに追い返されたりで、全然仲良くなれやしないんだ」
アカイがぼやく。……何だよその呼び方は。
「とにかく、今日は帰ってちょうだい」
「へ~い」
アカイが不満そうな表情で、チーズケーキが入った紙袋を手渡している。一応渡すんだ。あ、そうだ。僕も渡さなくちゃ。
「これ、母さんから言付かってきたゼリー。それと……」
僕はDVDを取り出した。
「これ、返しておく。面白かったよ」
「そう? それなら良かったわ。じゃあ、今度三作品目を貸してあげるわね」
めーちゃんが笑ってくれたので、僕はちょっと幸せな気持ちになった。
「じゃあ、またね、カイト君」
めーちゃんはアトリエの中に入ってしまったけど、僕はしばらくぼんやりとドアを眺めていた。と、その時。アカイが僕の首ねっこをつかんで、少し離れた路地まで引きずって行った。
「何すんだよ!」
「……おい」
アカイは僕の首を抱え込んだまま、押し殺した声でそう言った。
「お前、あのミス・ガーディアンとは親しいのか?」
「めーちゃんのこと? まあ……それなりに」
というか、その呼び方やめてほしいんだけど。
「ふーん……そうか。じゃあ協力しろ」
前も同じことを言われたような。
「協力って……?」
「ミス・ガーディアンを説得してくれ。俺は信頼できる人間だから、後輩を任せても大丈夫だって!」
あ、そう来るんだ。……無理そうだけど。
「それって、かなり難しいと思うけどなあ。だって、それならマイト兄さんがとっくに説得してるだろうし」
「お前は俺を信頼できない人間だと思ってんのか!? 幾ら俺でも傷つくぞ!」
気色ばむアカイ。全然傷ついているようには見えなかったりするけど……。
「とにかく、お前が言ったら、ミス・ガーディアンもちょっとは耳を貸すかもしれないだろ」
僕が言ったからって、めーちゃんが素直に耳を貸すかなあ? ボスであるマイト兄さんの意見の方が、重要そうだけど。
けど……アカイだって真剣なんだよね。前にアカイから「好きな人がいる」って話を聞かされたのは、大体半年ぐらい前のことだ。その半年ぐらいの間、アカイはこんな調子で追っ払われ続けていたみたいだし。
これがめーちゃんだったら、僕は絶対首を縦に振らなかっただろう。でも、アカイが好きなのは、めーちゃんじゃなくてさっきの子だ。
今まで散々妙な態度を取ってきたお詫びってわけじゃないけど、協力してあげるべきなんじゃないだろうか。
その日の夜、めーちゃんから電話がかかってきた。
「もしもし、メイコよ。カイト君、ちょっといい?」
「あ……うん。どうしたの?」
僕が訊くと、めーちゃんは電話の向こうでしばらく黙り込んだ。
「メイコさん?」
「あのね……アカイ君のことなんだけど」
アカイの好きな人が誰なのか知らなかったら、僕はきっとここで固まっていただろうな。そんなことを思いながら、僕はめーちゃんの言葉の続きを待った。
「カイト君、アカイ君とは仲いいのよね?」
「うん。従兄弟同士だしね。同い年だから、子供の時からよく一緒に遊んでたよ」
「そう……こんなことカイト君に頼むのは筋違いだと思うんだけど、アカイ君に、あの子のことは諦めるように言ってもらえない?」
「どうして?」
僕がそう尋ねると、めーちゃんはまた黙ってしまった。
「僕が言うのもなんだけど、アカイはいい奴だよ。直情径行だし、暴走するところも多いけど、根は真っ直ぐだし」
「……アカイ君がいい子なのは知ってるわ。マイコ先生もそう言っていたし。ただね……相手の方が問題を抱えてるの。昼も話したけど、あの子、辛い失恋引きずってるのよ」
「その男がどんな奴か知らないけど、アカイはそんな奴より一千万倍はいい奴だと思うよ。だから、きっと失恋だって忘れさせてくれると思う」
「恋愛はもうこりごりだって言ってるのに? あの子の場合、単純な失恋じゃないのよ」
そんなこと言ってるんだ。どれだけ辛い失恋だったんだろう……? 二股でもかけられたとか、散々貢がされたとか、そういうのだろうか……。だったら、尚更アカイとのこと、考えてもらった方がいいんじゃないのかな? 少なくとも、アカイはそういうことだけはしないはずだ。
「あの……僕の意見、言ってもいい?」
「……ええ」
「思うんだけど、メイコさんやマイト兄さんが『駄目!』って言っても、アカイは諦めないと思う。アカイからすると、メイコさんたちが、自分の恋の邪魔をする障害物みたいになっちゃってると思うんだ。だから、アカイがあの子を諦めるとしたら、それは、本人ときちんと話をして『これでは確かに無理だ』って、判断した時、だけだと思う」
アカイもあの子も、お互いのことをろくに知らない状態だ。一度しっかり話をさせたら、違う局面に行けるかもしれない。
「……確かに、それはそうなのよね。ただあの子、軽い男性恐怖症になっちゃってて、男の人と向かい合うことを嫌がってる状態なの。だから、アカイ君と二人っきりにするのは不安なのよ」
めーちゃんは、そんな説明をしてくれた。マイト兄さんは、男に入ってないらしい。
「じゃあ……僕とメイコさんが付き添うってのは?」
「え?」
「あ、いや、ほら……僕とメイコさんが一緒なら、二人っきりじゃないでしょ? 二対二なら、バランスもいいし」
「うーん……それはそうなんだけど……ごめん、やっぱり無理だわ。首を縦に振らないと思うの」
これ以上は無理なようだった。アカイが好きになった子は、相当難物らしい。
「ごめんね、カイト君。いろいろ考えてもらったのに、こんな結果になってしまって」
「ううん、いいよ……メイコさんにはメイコさんの考えがあるんだろうし」
僕はそう言って、電話を切った。携帯を机の上に置いて、考えてみる。
めーちゃんは、後輩の子に男の人を当分近づけたくないみたいだった。四人で会うっていうの、悪くないアイデアだと思ったんだけどな。
ため息をついて、僕はベッドに寝転がった。アカイに遠慮しなくて済むのは有難いけど、そうなると、今度はアカイにも幸せになってほしいって気持ちになってきてしまう。僕もなんていうか、都合がいいよね。
でも……。
四人で笑いあえる日が来たら、それはそれで、いいことなんじゃないかって、思えるんだよな……。
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