2 

 タカラに会ったのは、今から三日前のことだ。いきなり喋った俺にタカラは戸惑った表情を見せたが、思いのほかすぐに慣れてくれたた。見た目から学生とわかっていたので、もっとオモチャにされるかと思ったが、あまり深いところまで訊いてこない。むしろ自分と比較してばかりだった。

『お前はこうか。オレはこうだ』
『オレのほうが大変だな』
『なんだよ、そっちのほうがいいじゃんか』

 会って早々理解したのは、タカラは悲劇とか絶望とか、そういう暗いものに自分を行かせる傾向があるということだ。質問に答える片手間にザッと今まで作ったものを見たが、どれも暗いものばかりだ。この世の憂いを嘆き、悲観し、膝をつき、泣きくれる。ルールというルールを批判し、正義にはケチをつけ、光や希望を認めない。とても生きていて楽しいとは思えないのだが、それでもこうやって今まで生きているんだから、人間は不思議と言わなくてなんというんだ。

「やっぱいいな。そっちの世界は。オレもいきてえよ。そっちに」

 そっち、とはネットの世界のことだろう。

「俺からすれば、どっちの世界も大差ないよ」

「それはこっちに来たことないから言えるセリフだ」

 じゃあ、タカラはこっちに来たことあるこかと問いたくなる。それでよくこっちがいいと言えるものだ。

「仕事もない。勉強もない。自由なんだろ? なにしてもいいなんて、こっちじゃあり得ない。こっちは縛られてばっかだ。楽しいこともない」

「じゃあ、死ねば?」

 そう聞くと、タカラは「それもいいかもな」と言って笑った。本心じゃないことぐらい。すぐにわかった。

「未来に希望なんてないよ。まあ、ある人もいるだろうが、オレはない」

「どうしてわかるの?」

「オレだからだ。オレのことはオレが一番よく知ってる。教師とか親は頑張れと軽く言ってくれるが、頑張ったところでたかが知れてる。才能とか、ないんだよ。オレには。神から、世界から嫌われてんのかね」

 うーん、なんだがイライラしてきたぞ。

 俺に『怒』の感情が備わっていたことも驚きだが、それにしてもなぜここまで自分を低く見積もるのだろうか。謙遜という言葉もあるが、これは当てはまらない。「で、こういう詞ばかり作ってると」

「ああ。オレが思ったことをそのまま詞にしてる。今の学生のリアルな心境ってやつだ。人って奴は、みんな物の見方が違うだろ? オレはオレだけしか見えない景色を、オレだけの言葉で歌にしてる。きっと大勢の人に共感できるはずさ。特に学生には」

 オレだけにしか見えない景色をどうやって共感させようとするのか非常に気になるどころではあるが。

「どうだ? 読んだ感想は」

「どうだと言われても困るな。俺は人間じゃないから、考え方から違うものだし」

「そうか。なるほどな」と言って、タカラは引き下がってくれた。

 百万回見たことがあるよ、と言わなかったのは俺の優しさと、言ったら言ったで大変なことになることが目に見えていたからだ。俺に時間の制限はないが、避けたいことはある。

「さて、俺はそろそろ退散するよ。あまり制作の邪魔をしちゃ悪いからね」

「え? なんだよ、もう行っちゃうのかよ」

「あまり長居しても悪い」

「オレは構わねえぜ」

「でも、きっと困る。例えば、今の状況を他人、親が見たらなんと思うだろうか。独り言にしてはかなり大きな声になってるよ」

 タカラは今気付いたように右を向いた。おそらくそちらにドアがあるのだろう。このぐらいの年齢は、親と一緒にくらしているはずだ。

「別に、気にしねえよ」と言いながらもしっかりと声のトーンを落としているところが彼らしい。

「親も、オレにあんまり期待してないからな。多少変なやつって思われても関係ない」

 さっき「頑張れと言われた」と言ってなかったっけ? 期待してるからこと出る言葉だと思うけど。

「じゃあ、俺は行くよ。バイバイ」

「明日も来るよな?」

 なぜ来ることが前提にあるのかわからないが、俺は取り敢えず肯定しておいた。「でも、ネットは広いからね。もしかしたら見つからないかも」と言っておくことも忘れない。

 本当のことを言えば、俺はもう二度とここに来ないつもりだった。

 けれど、結果、また来てしまった。

 気になった、という表現が正しいのだろう。例えるなら臭いものを嗅ぎたくなるような感覚に近いを思う。最後に一目見てサヨナラ。そのぐらいの気分でいた。ひょいと、ネットの穴から彼のパソコンを覗いてしまったのだ。

「殺してえ」とつぶやきが聞こえたのは、その直後だった。

 彼はまっすぐ俺を見ていた。いや、そっちから見えないはずなのでたまたまなんだろうが、まるで射殺すかのような視線がまっすぐ俺に向かってくる。それに先ほどの発言だ。「どうしたの」と声をかけるのは当然だろう。

 彼は随分その言葉を待っていたようだった。演技がかった声を出す。

「なんでこう、オレは不幸なんだろうかね。真面目に生きてるつもりなのに、幸運とか恵みとか全くない。オレがなにをした? なにもしてないじゃんか。なのに、なんでこんな目に合わなきゃいけないんだよ」

 なあ。と俺に訊いて来る。だが、さっぱり事情が飲み込めない。

「で、なにがあったのさ。悪いけど、俺は超能力者じゃないから、言ってくれないとわからない」

 タカラは俺の言葉にまた気分を害したようだったが、反論材料が見つからなかったのだろう。やがて理由を口にした。

「盗られたんだよ」

「なにを?」

「ノート」

「のーと」俺は繰り返した。

「ノート、盗られた。最悪だ」

 向こうから顔が見えなくて、初めてよかったと思った。


 3

 電子の世界ではノートを取るということがない。メモを残す習慣もない。そもそも紙がない。だからタカラの言うノートがどれだけ大切なものかわからなかったが、いち学生である  タカラのノートがそう大事なものだとは到底思えなかった。

 もしこれが国家元首が会議のときに持ち出すノート(そんなものがあるかはさておき)だとしたらいろいろヤバイことになっていたかもしれないが、まさかタカラのノートにそんなことが書いてあるはずもない。もし、万が一の確率でそれに類似したことが書いてあったとしたら、こんなところで俺の相手をしてる暇はないだろう。警察なりなんなりに通報するだろうし、こんなに冷静ではいられないはずだ。

 タカラの言う最悪とまで行く状況を、俺は上手く掴めないでいた。

「なにか変なことでも書いていたノートだったの? 小説とか、絵とか描いてたとか」だとしたら黒歴史として残る場合がある。ありったけの同情で接したつもりだったのが、タカラは「バカにしてんのか?」と酷くご立腹だった。

「先生にも見せるものに、そんなもの描くわけないだろ。……まあ、落書き程度はあるけどよ」つぶやいて、んなこと関係ねえんだよ、と自分で話の軌道修正を図った。

「貸したノートが無くなったんだよ。返って来なかったんだ」

 ん? とちょっと疑問に思う。

「さっき、盗られたって言ってなかったけ? 『盗られた』と『無くした』はだいぶ違うと思うけど」

「オレの元から無くなる点では一緒だろ」タカラは言った。「たかがノートとは言えど物がなくなったわけなのに、誰もそれに感心を示そうとしない。関係者って自覚がないのかね」

「なんか状況がよくわからないけど……ノートは貸したんだよね? それって何人かに? どうも登場人物が絞れないんだけど、ノートは複数人に同時に貸したの?」

「貸したのは一人だ。いや、この場合は貸そうとした、が正しいのか」

 画面の向こうで、タカラが人差し指を立てる。

「そいつにノートを貸そうとした段階で、ノートが無くなった」

 うーん。ますますよくわからない。


 4

 それから、タカラの話を根気強く聴いて、ようやく話の概要が掴めた。

 タカラは友人の一人にノートを貸す約束をしていた。だが、訳あって直接手渡すことができず、仕方ないので机にノートを置いた。そこでちゃんと友人が受け取っていれば良かったのだが、そしたら話は続かない。あとで聞くと、友人はノートを受け取っていないと言う。机の上に最初から無かったと言っていた。

 紛失の発覚。

 当然探さないわけにはいかない。学校内は人の目が多くある場所らしいので、ノートを見たという証言は複数集まったが、ここが妙なところ、どうやら話が食い違っているらしい。

「誰かが嘘をついてるんだ」タカラはそう吐き捨てた。それを明日、突き止めるとも言っていた。





ーーその鏡音レンは、推察する その2ーー

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その鏡音レンは、推察する その2

掌編小説。
『その鏡音レンは、推察する その3』に続きます。

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投稿日:2016/09/14 21:37:32

文字数:3,608文字

カテゴリ:小説

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