それはあっという間の出来事だった。
確かな日常、変わり映えのない日々。
それは不満や違和感なんて縁のない、純粋に心のままに歌う為の日々。
自分にとってこの上なく愛しい当たり前。
ないがしろにしたつもりも、変化を求めたことも、不満を抱いたこともなにもない。
けれど「それ」は私を直撃した。
悲鳴のようなものが聞こえたような気がした。
だから、振り返った。
それだけなのに。
その直後、その衝撃は確実に私の一番大切なものを奪っていった。








 Spinnerlie -紡ぎ歌ー 01








「日常の中であるなら、支障はないといえます。
ですが・・・」
白い壁。
白いベッド。
白い天井。
白い世界。
切り取られたようにぽっかりと空いた窓の向こうは、大きな木が放つ濃い緑にさえぎられて、その向こうがよく見えない。
とにかく、事情をいいにくそうな医者の声が耳に痛い。
決してそれは彼のせいではないのに。
「歌えないんですね」
「・・・・・・"プロ"としては。
どんなリハビリを行ったとしても、かつてから、それ以上とはかなわないと」
「・・・・・」
わかっていたことだ。
私は目を閉じた。
あの時、咽喉にすごい衝撃がきた。
その時はなにであるかも理解できなかったが、街中では珍しくない、どこにでもあるような幟が何かにぶつかって倒れ、振り返った自分の咽喉を直撃した。
重いものではない。
勢いはあったが、細いものだ。
だが、重力につかまって、振り下ろされたその場所が悪かった。
衝撃は咽喉そのものに内出血を促して、結果、血栓のようなものが内側にできてしまった。
生をつかさどる、呼吸を奪うほどの大きなもの。
そして、私は命をささげたはずの歌を捨てた。
生き延びるために、咽喉へのメスを容認した。
自分の意思で。
「選んだのは、私です」
「それでも。私…貴方のファンだったんです」
「え?」
「できる限り、手術痕を小さくしてと思ったのですが…」
「・・・・・・、いえ。
命を助けていただき、ありがとうございました」
医者はそれ以上なにも言わず、頭を下げて部屋を出た。
部屋には私だけが残る。
ううん。
風が出てきたらしい。
柔らかな木々が歌を紡ぐのに、耳を済ませた。
泣くことはできない。
・・・・・・・これ以上、咽喉に負担をかけるわけには。
「はは、なにいってんのよ」
負担?
いまさら、なんて。
もうこれ以上、そこに意味はないというのに。
「・・・ぅ・・ぁ・・」
こみ上げてくるものに、咽喉が悲鳴を上げる。
傷は決して小さくなく、深い呼吸はそれだけで痛みを増す。
痛いのは、生きている証拠。
生き残った名残。
それでも、"わたし"は。
本当に生きているのだろうか?
歌しかない、そう思っていた、私が・・・
「浅ましい・・・、ほんと・・・ッ」
死にたくなかった。
それも嘘じゃない。
でも。
生き残ったからこそ思ってしまう理不尽な怒り。
生きている理由がなくなって、そこに私の生きてる意味はあるんだろうか?
あふれてくる涙より、こぼれる嗚咽に咽喉が痛い。
痛いけれどとまらない。
痛い理由が体なのか心なのかもわからないまま、さらにその体を痛めつけるように涙を流す。
落ち着くなんて思えなかった。
醜いとすら思った。
その中で、不意に戸が叩かれた。
来訪者。
あわてて涙をぬぐう。
こすった目元がジン、としびれる。
「はい…」
自分でもあきれるほどか細い声は、だけれど相手には届いたらしい。
押し開いて顔を出したのは、所属する…してた、というべきだろうけど…小さなプロダクションの社長だった。
一見軽そうなおじさんだけれど、自分の会社に所属しているタレント達をすごく大切にしている人。
だから、小さいけれど業界では高評価の会社に入れたことを、私はすごくうれしく思ったことを覚えている。
私が、感謝して、尊敬している人。
「ぁ・・・社長…」
「よぉ。どーよ」
「辞表の文章を考えなきゃならなくなりました」
「・・・・・そうか」
気さくでマイペースで、時々びっくりする程豪快なこの人は、私の投げやりな言葉にも穏やかに切り返してきた。
腕に抱えているのは、パソコン?
もしかして暇つぶしにと持ってきてくれたのだろうか?
そうは思うが、今の自分はネットをみる気にはなれなかった。
ある程度の知名度が、自分のことを面白おかしく書き立てられているかもしれないという恐怖に駆り立てる。
あぁ、なんてマイナス思考。
自己嫌悪の中、けれど社長は思った以上のおだやかな口調で私へと言葉を綴った。
「じゃぁ、その前に部署移転な」
「はい?」
「プロデューサー。やってみないか?」
唐突の申し出相手に、目をしばたかせている私の前に、視界に入っていたノートPCがおかれる。
せまいベッドテーブルの中でも、それは少し、一般に出回っているものよりも大きいような気がした。
「あの?」
「対象はこいつだ」
言葉と共に空けられた画面いっぱいに、青年の顔が映った。
写真?と想った瞬間、その画面の中で彼が笑顔を投げてくる。
「はじめまして、マスター」
「え?」
「お会いできて光栄です」
「ちょ、しゃちょ…」
まったくなんにも知らない、説明もないまま青年…20代になるかならないか位?…に「マスター」などと呼ばれて驚かないはずがない。
戸惑う私の目線と言葉に、混乱を招きいれた当の本人は、いたずらっ子にしか見えないような笑顔で「カレ」を紹介してくれる。
「こいつはKAITO。
お前にプロデュースしてほしい歌い手だ」
「歌い手…て」
どういうこと?
手術のせいだけではなく言葉を失ってパクパクと間の抜けた開閉しかできない私がわかっているのかいないのか。
画面の中のカレは目を輝かせたまま明らかに「私」へと感情をぶつけてくる。
「マスターの歌、僕覚えたんですよっ!
すごくきれいで素敵だったからっ」
呆然としているこちらが目に入っていないらしい。
一応このPCにもカメラがついているみたいだから、見えないわけじゃないんだろうけれど…
花でも飛ばすんじゃないかってくらいのテンションで、画面越しの青年はそれはもううれしそうに微笑むと自分が作って、自分が歌っていたそれを紡ぎ出す。
自分よりもいくらか低い声だし、伸びもあまりいいとはいえない。
ひどくまだ。発展途上といった印象。
けれど…
わかる。私以上に、この歌を愛してくれてるってこと。
さっきまでとは全く別の意味での涙が、私の頬を伝う。
さっきお医者さんがファンです、と言ってくれたのも嬉しくなかった訳じゃないけれど…
あぁ。私は。
私ではなく、私の歌を愛してほしかったのか。
「あ、あれ?マスター、ごめんなさいっ、やっぱ下手ですよねっ、こんな下手なのにマスターに聞いてもらおうって、すいませんっ」
「うぅん、そうじゃなくて・・・」
「あぅう、とーさん、僕なんかやっちゃいましたか?」
「さぁ・・・、それはお前がこれから学んでいくことだ」
あわてている声と、のんきなやりとり。
初めて、というか改めて、私は抱くべき疑問を口にしようとする。
「・・・・社長・・・」
「どうだ?」
「ぁ・・・その」
だというのに、その聞くべき相手は逆に私へと疑問符を投げるのだ。
お前の答えを聞かせてくれ。
青年にとーさんと呼ばれた人は、さっきとはまるで違うまじめで真摯な目線を私へとぶつけてくる。
「こいつは"学んで"成長していく。
そういう存在だ」
「そういう・・・?」
いいたいことがよくわからない。
それに反応が、とても不思議で・・・
そうだ。カレは"なに"?
投げる目線に、にやりとその人が笑う。
「KAITOは人間じゃない。
VOCALOID/PROGROM;2ndパーソナルだ」
「ぼーかろいど?」
初めて聞く単語。
だけどその後に続いた単語と媒体が、ほかのいろいろなものを補って説明していく。
「こいつは歌うために生まれた人工AIだ」
「歌う・・・ために?」
「あぁ」
そして、すべてを集約した社長の言葉。
作られた存在だと説明された彼、KAITOは相変わらずの画面越しで、とてもそうとは思えない程頬を紅潮させ、私へと訴えてくる。
「マスター、僕、マスターの歌謡えてすごくうれしいんですっ」
・・・・・・・・って。ちょっと待て?
「え?まだ引き受けるとは・・・」
「ぅえ?」
思わず(事実だったので)そういってしまった途端、そのでっかい目元がうる、と大きくゆがんだ。
拒否されたという認識が表情に出ている。
これが・・・創られた?
「・・・・・・、どーすんだ?海久」
とどめのような社長の声が耳に痛い。
私がどんな返事をするか、なんのためらいもなく確証している口ぶりには腹も立ちやしない。
「・・・カイト」
「はい!」
元気な、きれいな返事。
きれいな目。私に名前を呼ばれたことだけで、彼はうれしいと全身で叫んでいる。
「さっき私に歌ってくれたのは、私が歌うために私が作った歌なの」
「だから、僕がマスターの代わりに、マスターの歌を・・」
「だって貴方に私の歌は歌えないわ」
声が違う。歌い方がちがう。
心が違う。
あれは、私が歌いたいから生み出した曲。
「ぁ・・・、ごめんなさ・・」
「だから」
「え?」
本当に、表情がよく変わる。
極端といってもいい。
それは別の意味で、開発途中を感じさせたけれど、その移ろいを、私の歌で覚えてくれるのなら。
「代わりに、貴方のための歌を作ってあげる。
私よりも、もう少し低い方がいいわね、男の子だもの。
私の代わりじゃなくていいの。
ううん。貴方に、私の歌を謡ってほしい。いいかしら?」
きょとん、と画面越しの青年は目をしばたかせた。
受けた言葉をかみ締めるように。考えるように。
そうして。
「・・・・はい!」
考えてみれば。
わたしは絶望していたはずなのに。
歌うための声を失ったばかりで、どうして彼を受け入れることができたのか。
彼を泣かせたくないな、とか思ってしまったのか。
答えを得るには、あまりにも総てが唐突過ぎたのかもしれない。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

 Spinnerlie -紡ぎ歌ー 01

カイト(まっしろ)と新人マスターとの出逢いと日常。
かなり灰汁の強いオリキャラ(マスターではない)が出てきますが、まぁこんなカラーもありかなと想ってくれれば。
ブログ既出。再編集版。

閲覧数:190

投稿日:2009/11/15 14:46:26

文字数:4,172文字

カテゴリ:小説

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