3月8日。AM5:30分。

ハクはその日、いつもより早く目が覚めた。
普段の日よりは、一時間は早い。

カーテンを少し開け、窓から外を見てみると、外はまだ暗かった。

空は、どんよりとした雲に一面を覆われている。
昨日は雲なんてなくて、三日月が綺麗に見えたというのに、一体今日はどうしたのだろう。

大方、この天気だと今日か明日にでも雨が降るんじゃないか。
ハクは、そう思った。


ふと昨日買った新聞を手に取ってみる。ロビーの売店で売っていたものだ。
そこに今日の天気予報が載っていた。

それを見てみると、やはり天気予報は当たっている。
今日は一日中どこもかしこも曇りらしく、場所によっては雨なんかも降るらしい。

8割の雲マークと2割の雨傘マークが天気予報の欄を埋め尽くしていた。
けれど間違っても、雪マークは見当たらなかった。


少しばかり、憂鬱な気分になる。
朝から天気が曇りというのは、誰だってやる気が出ないだろうし、それは私だって同じだ。
けれど、雪が降らないと言うのが何より気分を下げさせる。

まるで冬の季節に、雪を楽しみにする子供のようだった。

「雨が降るくらいなら、雪が降ってくれればいいのに……」

独り言をつぶやいて、まだ暗い、曇天の空を窓から恨めしそうに見上げる。
こんな天気じゃ、精神がどうにかなってしまいそうだった。

ハクはベッドから起き上がる。
そして、病室のドアを開けて廊下に出た。

別にどこに行こうと言うわけでもないが、気を紛らわしたかったのだ。
病室のベッドに寝転がっているより、とりあえず動いている方が無駄な思考を働かせずに済むはずだと思ったから。

早朝の廊下は、当然だけれどまだ暗くて寂しい雰囲気が漂っている。
午前5時なんて、誰もが皆まだ寝床で夢を見ている時間帯だ。だからまぁ、当然のごとく廊下は誰も歩いていない。

ハクが向かった先はトイレだった。
気の向くままに歩いていたら、無意識にここに来ていたのだった。

鏡の前でハクは溜息をつく。そうして、無意識のうちに考え事をしていた。


“どうして雪は降らなくなってしまったんだろう……?”


そんな疑問が頭に浮かぶ。
けれど考えたところでその答えは明確、地球温暖化の影響である。分かり切った事ではあるが、ハクはそれを真剣に考えていた。

どうして、人間はこうも美しい自然を破壊していくの?

青々とした原生林、沢山の野生動物、水晶のように透き通った川……。
時を経るにつれてそれらが姿を消していく中で、代わりに増えていくのはビルやマンションという名の人工物。それらが土地を支配していく。

どうして、人間はもっと自然を大切にしないの?

世の中さえ便利に快適になるのなら、自然を破壊する事もいとわないなんて、そんな考えは絶対に馬鹿げてる。
世の中が便利なものを生み出すほど、それに伴って消えるのは自然の世界だ。
壊す事は容易でも、復元するのは難しい。けれど、人間はそれを平気で破壊する。

何で人間というのはこんなにわがままな生き物なんだろう。
一つ欲しいものが手に入れば、また一つ、二つ、今度は三つ、と手に入れたがる。
人間の欲望には底がなく、尽き果てることなんてあり得ない。
人間は皆、貪欲な“悪魔”なんだ。

明日世界が沈むわけじゃない、明後日地球が壊れるわけじゃない。
だから人間は過ちを犯す。
その代償として、異常気象が生まれる。


春に降ったゲリラ豪雨。10年間全く降らない雪……。


それらが起きたのだって、誰も得しない不必要な争いをしたり、動物の住む世界を奪って自分たちの領地にしたからだ。
これを悪魔と呼ばずして何と呼ぶのだろう……?


「あれ、ハクちゃん?」

突然背後から声がした。
振り向くと、ハクと身長が同じくらいの少女が立っていた。

となりの病室に入院している、グミだった。
年はハクより10歳程幼い。

「あれ、グミ?どうしたの、こんな朝早くに」
「ううん、別に。たまたま起きちゃっただけだよ。時計見たら5時半だし。それより、ハクちゃんの方こそどうしたの?」
「私もまあそんな感じ」
「え、ハクちゃんも?」
「うん、目覚ましかけてたわけでもないのに、グミと同じ時間に起きちゃって。こんな早くに起きるなんて、もう年寄りみたい」
「あははは!それは言えてるよね!!」

ほんの冗談で言ったつもりだったのだが、グミはそれがツボだったのか、腹を抱えて笑いだす。

「えぇ!?私まだ実年齢23だけど!?」
「いやっ、でもさ!あははは!」

なおも笑い続けるグミに、何だか自分が悲しくなってくる。
なんで、私はグミに笑われてるんだろう。

やがて、笑いが何とかおさまったグミは言った。

「ハクちゃん、その髪、自分で見てみなよ」

そう言われ、ハクは鏡に視線を移す。
そうして、自分でも気付いた。

「ね、その髪だと一層老人に見えるよ。ハクちゃん」
「いや、あのねぇ、この白髪は生まれつきのもので……」

ハクは前髪を触りながら言った。

真っ直ぐに地面に向かって伸びる、ストレートの髪。
全くクセがなく、まるで、さらさらと流れる透明な川のよう。

その髪の質については、学校でもよく羨ましがられたし、多少自慢したって罰は当たらないはずだ。
けれどただ、髪が白いというのはハクにとってはコンプレックスだった。

「でも、私は好きだよ、ハクちゃんのその髪。私もそんな感じの髪に生まれたかったな」
「どうして?」
「私の髪って、クセだらけでそんな伸ばせないんだよ。それに比べたらハクちゃんの髪って、長くてまっすぐでどこかカッコよさを感じさせるから。学校の友達に自慢できそうだもん。」

そういって、グミはハクの髪の毛先をちょんと触る。
そして小さく笑った。

「それにハクちゃんの髪色、本当に真っ白だし!新品の消しゴムみたい」

目をキラキラと輝かせながら、グミは言った。

「ちょ、消しゴムって……、もうちょっと良い例えはないの?」
「えー?結構良い例えだと思うんだけど、消しゴム。他に何かある?」
「え?ううん、そうね。例えば……」

白いもので、もっと自然の美しいもの。
いざ考えてみるとなると、なかなか浮かばない。

ハクは少し考え込んでいたが、やがて答えに辿り着いた。

「雪とか、かな」
「え?ゆ、き……?ゆき……?」

何故かグミは首をかしげて考え始めた。……もしかして、雪を知らないのだろうか、彼女は。
でも、無理もないのかもしれない。思えば10年前から雪は全く降っていないのだから。

グミはまだ13歳なのだ。
雪を見た事がなくてもおかしくはない。見たとしても、もう覚えてないに違いない。

「雪って言うのはね、雨が固まったようなものと考えていいかな?」
「雨が固まったもの?」
「うん、雨が上空から落ちてくる間に、それが冷えて、白く凍った状態で降ってくるの。それが雪」
「へ、へぇ……」
「すごく綺麗なんだよ?沢山雪が降れば、その翌日には積もったりもするし。一面が白い世界に包まれちゃうの。積もった雪で遊ぶこともできるのよ。雪合戦とか、雪だるま作ったりとか……」
「凄いなぁ……一度見てみたいかも!」

ハクの話が余程新鮮に感じたのだろうか、グミは更にいっそう目を輝かせて言った。

「……うん、出来ればグミにも見せてあげたいけど……、でも多分、もう雪は降らないよ」
「え、どうして?」

ハクは物憂げな目を、窓の外に向ける。

「10年前から、この辺は雪が降らなくなっちゃったの。地球温暖化のせいで」
「え……」
「北国だって、今はもう、雪降りにくくなってるみたいだし。人間って、ホント自分勝手だよね」

ハクは哀しそうに、窓の外を眺めながら言った。

グミも、窓の外を眺める。
どんよりとした厚い雲が空を占めている。
その雲が負のオーラでも放っているかのように見えて、見続けていると精神が削られる思いだった。

しばらく、沈黙が流れる。

「そ、そうだ。ハクちゃん、私の病室にトランプがあるんだ!一緒に大富豪でもやろうよ!」

重い空気を破るための、グミなりの案だった。
実際、このまま二人とも押し黙っていたら、ネガティブになりかねない空気だった。
ハクもグミの心遣いを察したのか、少し笑って「えぇ、そうね」と言う。

二人だけで大富豪というのはいささか面倒ではないかと思ったが、ハクは突っ込まないでおいた。

「ねぇ、罰ゲームもつけない?先に3回買った方が、ジュースを奢るの」
「あ、それいいね。その方が燃えるし!」

そうして、ハクがトイレを出ようとした、その時。

「っ!?」

あまりに突然の事で、最初は何が起きたのか分からなかった。

次の瞬間、遅れて頭に痛みがやってくる。
それも片頭痛だとか、一般人が感じるような生半可な痛みじゃない。
後頭部を何か重たい金属で思いっきり殴られたような、壮絶な痛みだった。

あまりの痛みに立っている事が出来ない。
激痛で、平衡感覚が完全に乱れてしまって、視界全体が歪んで見える。
上も下も右も左も分からず、ハクはその場に倒れ込んでしまった。

「ハクちゃん!?」

グミの声が聞こえる。

「痛い……痛い、うぅ……」
「ハクちゃん!ハクちゃん!!」

グミは精一杯叫んでいるのだろうが、その声は半分くらいしか届かない。

「誰か……呼んできて…」
「わわわ、わかった!今呼んでくるから!!」

そう言って、グミは駆け出していった。
よほど早く駆けだして言ったのだろうか、足音はすぐに聞こえなくなる。
もしかしたら、私の意識の方が霞んでいっているからなのかもしれない……。


そういえば昨日、デルが病室を出て行ったあと、カイトが来た。
そして、深刻な表情でこう言っていた。
「もしかしたら、またすぐに発作が起きるかもしれない」と。

けれど、それがこんなに早いなんて……。
まだ1日も経ってないのに……。

今気を失えば、もう次に目を覚ます事はないのかもしれない。
もしかしたら、このまま無残に死んでいくのかもしれない。

死ぬのは承知の上だけれど、でもせめて、誰かには看取られたかったな……。
そのたった一人の誰かを思い浮かべながら、ハクの意識は徐々に、消えていった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

三月の雪 5/9

今日は9分の6までのアップです。誤字脱字、矛盾を発見したらお知らせください。

閲覧数:74

投稿日:2011/04/05 12:24:56

文字数:4,239文字

カテゴリ:小説

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