何故、戻って来たの。
<造花の薔薇.1>
はあ、と溜め息をつく。
正直なところ書庫の本は読み尽くした。手持ち無沙汰というか…まあ何回読んでも面白い、いわゆる名作というものも確かにあるけれど。でもいかに素晴らしい本であっても、何百回も読めば流石に飽きが来てしまう。
―――外に行けたらいいのに。
ふと頭を横切った考えを、即座に打ち捨てる。
そんなことを願ったところで叶うはずもない。
王女たる私にそんなことは許されない、考えるまでもなく分かり切ったこと。
昔はあれほど近くにあった風のざわめき。土の香り。草の感触。
そのどれもが、今は遥かに遠い。
思い出す度に、懐かしさと胸苦しさがないまぜになって吹き上げてくる。
決めたことだから後悔していない、なんて言ったらそれはウソになってしまう。
本当はいつだって帰りたい。
レンと二人、悲しみも辛さも何もない幸せな世界に生きていられた―――あの日に。
でもそんな願いは叶わない。
知っているから。
分かっているから。
だから私は、諦めた。
「失礼します」
扉の向こうから静かな声がかけられた。
レンの声。
そうか、今日は花を変える日だったっけ。
「入っていいわ」
許可の言葉を告げると、慎重に扉を開く音がした。
絨毯を踏む音に顔をあげると、薔薇の花束を抱えたレンが歩いてくるところだった。
丁寧に纏められた金髪は黒いリボンで結ばれている。
召使としてのレンはなかなか忠実で模範的。
多分それは私への親愛の情で裏打ちされているんだと思う。だって、そうでもなければこんな我が儘な気まぐれ娘にここまで献身的に仕えてくれるなんて有り得ないもの。
本当なら対等のはずの私達。
その均衡は、私が王女と決められた瞬間に崩れた。
それにしてもおかしなものね、レン。
私は胸の内で呟いた。
昔は瓜二つだと言われていたのに、今や私達二人が双子だなんて気付かれもしないだなんて。
確かにこの歳にもなれば身長や顔付きは微妙にちがって来ている。
でもまだ誤差の範囲でしょうに。やっぱり服装が大きいのかしら、何と言ってもドレスと執事服なんだから。
あとは、思い込みもあるのかもしれない。王女と、召使。関係性があるなんて普通考えないものね。
最も私とレンの血縁関係は最上級の秘密であるって言ったって、知っている奴はちゃんと知っているんだけど。
「花をお持ちしました」
丁寧な言葉に、投げやりな言葉を返す。
「適当に飾っておいて」
言い捨てる、という言葉がぴったりの声が出て我ながら内心眉をひそめる。
私がレンの立場なら間違いなく苛立つわ。
でも、自己嫌悪は押し込めて乱暴に本を閉じた。表紙を手荒く閉じた力の半分は、本気。自分に対する苛立ちを表に出し、読書に苛立ったように見せかける。
「本って文字ばっかりで面倒!全部焼かせちゃおうかしら。きっと冬にやれば暖が取れていいわ」
私の言葉にレンは表情を曇らせる。
「王女、またそのような…」
困惑したような声。
ごめんなさい、レン。
彼は生真面目だから私のふざけた提案なんて聞くのすら辛いんだろう。
分かっているけど、レンの心情は敢えて無視する。
お願いレン、花を活けたら早く出ていって。じゃないとボロが出そうで気が気じゃないの。ああでも、場が静かだからなにか言わなきゃ。「リン王女」は浅薄で軽薄、悩み込むなんて無いはずだものね。
「嘘よウソ、そんなことしたらまた馬鹿な民が大騒ぎするでしょうからね。目障りで敵わないったら」
話を継ぐだけ継いで、机に肘をついた。
さて、どうしたものか。彼と話せることなんて本当にないのに。
いっそ命令してしまおうかしら。さっさと消えなさい、と。
と、目に鮮やかな色彩が飛び込んで来た。
レンがさっき活けた薔薇の花だ。
よかった、話の種があったわ。
ほっとして私は席を立ち、花瓶に近寄った。
「あら、今日の薔薇は大輪じゃない?」
王宮の薔薇はいつでもみずみずしい。
華やかで艶やかで、室内の調度品と比べても見劣りしない。これはちょっと凄いんじゃないかしら。
生花の筈なのに傷一つ無いその姿。
まるで、
―――まるで、
―――つくりものみたい。
「王女は、薔薇、お好きなんですか?」
「好きじゃないわ」
しまった。
私は内心舌打ちをした。
思わず素で返してしまったなんて、どれだけ気が抜けているの。
ああ、でも今はまだいいのかしら。薔薇の花になぞらえて話したとして、きっとレンには気付かれない筈だもの。
薔薇の花。
時に私が例えられる、花。
「綺麗だから嫌いじゃないけど、好きでもないわ」
私は花瓶に活けられた薔薇を一輪引き抜いた。
「花なんて鑑賞用に殺されて、死んだ姿を愛でられるのよ?哀れだわ」
それも私と同じ。
ねえ薔薇の花。それはどんな気持ち?
あなたも私と同じ様に最期の苦しみの中でもがいているのかしら。
どうにもならない力を憎みながら。
どうにもできない自分を呪いながら。
あなたの場合、枯れてゆけるだけまだましだわ。
「王女」
レンの呆然とした声に、胸の奥がずきりと痛む。
レン、何故戻って来たの。
私はあなたが逃げ切れたのだと信じていたのよ。
レンだけでも逃げ切れたのなら、私はそれでよかったの。だって私が何よりも大切なのは、あなたなんだから。
でもあなたは戻って来た。
そして、蜘蛛の巣にかかってしまった。
ねえお願い、気付かないで。
あなたが気付いて立ち向かおうとした瞬間、蜘蛛はあなたを餌食にしてしまう。
それがわかっているのに、私が出来ることなんてほとんどない。
なんて、使えない。
「哀れで、苛立たしい…最も、お飾りとしては使えるけど、ね」
いつの間にか薔薇は私の手の中で潰れていた。
ぐちゃりと無惨に丸められた、花。
―――羨ましかった。
「目障りだわ。捨てておきなさい」
「畏まりました」
ぽいと薔薇を投げ捨てて目を逸らし、背後でレンが退出する音がするまで待つ。
とすん、と静かに扉が閉まる音を聞いてから、椅子に崩れ落ちるように腰掛けた。
人は私を薔薇という。
黄色の国に咲く、薔薇の花だと。
でもそう言う人達は気付いていない。私は生花ではないんだということに。
私は造花の薔薇。
私が美しいなら、それは作り手が上手かっただけのこと。
おまけに造花は自ら朽ちて散ることすら許されない。
なんて滑稽なのかしら。永遠に枯れないための造花なのに、造花自身は自ら朽ちることを望むだなんて。
「…レン」
唇から零れた言葉は、驚くほどに弱々しかった。
「お願い、私を……守らないで」
これは緩やかな自殺願望なのかもしれない。
私は生きてすべきことをしないと、という意識とともに、この苦しい世界を去りたいという願いを持っている。
だってどうせ私の命なんて多くの人には意味なんてない。その上元から早く死ぬようにされてきたんだもの。無駄に引き延ばされた命は辛いだけ。
でも私は造花。自らに刃を突き立てることはできない。
そんなことをしたら、私がこれまで必死になって生きてきた意味がなくなってしまう。
だから本当は、誰かに終わりにしてほしい。
レンでは駄目だった。私に対する情が深すぎるし優しすぎるから、私の命を絶つことなんて出来るわけがない。分かっているから命じることも出来やしない。
だからねえ、誰でもいいわ。
私は祈るように両手を握り合わせた。
この私ごと、あらゆるしがらみごと、全てを終わらせて。
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wanita
ご意見・ご感想
はじめまして。wanitaと申します!
翔破様の言葉のリズムがとても好きです。このリンの『造花』発言も、思いをこめて作られたのだなと伝わってくる気がします。
では、いよいよ始まったリンサイド、楽しみに読みすすめていこうと思います。
2010/06/05 10:45:31