ふと気が付くと、闇の中に立っていた。
もしも誰かが見ていたら、きっと幽鬼のようだと悲鳴を上げただろう。

どうでもいいことだけど。

カタカタと小さく音を立てて引き出しの中を探り、目当てのものを取り出した。僅かに差し込む月明かりにかざすと、研ぎ澄まされた先端が冴え冴えと光る。
冷たい兇器は、不思議と誂えたように手に馴染んだ。



 * * * * *

【 KAosの楽園 第4楽章-002 】

 * * * * *



ざわついていた心は、今やシンと凍り付いていた。こうなってしまうと、僕を苛んだのが何だったのかよく解る。

『そうだ、昨夜作ってくれた五目御飯があるの、持ってく?』

気安い声、何気ない言葉。他人(ひと)に薦められるほどのものと思ってくれたのは、嬉しくもあるけれど。
でも、マスター。

それは、マスターに食べてもらう為のものなんですよ?
貴女の為だけに、存在するものなんです。
他の誰かになんて譲らないで。
他の誰かに譲るのを平気だなんて、思わないで。

 僕 の 事 も 。

ねぇ、マスター、貴女の気持ちが嘘だったとは思いません。僕の想いを受け入れてくれた事も、貴女も僕を好きだと言ってくれた事も。
だけど、それだけでは足りないんです。
僕にとっては、『マスター』も唯一の存在だから。僕の根幹を成すものだから。
マスターで、恋人で。総てでいてくれなくては、駄目なんです。

だけど貴女は、そう思ってはくれない……?
僕は貴女のもので、貴女だけのもので。こんなにも貴女が総てで、そう在りたいと望むのに。
貴女は、僕が別の誰かを『マスター』と呼んでも平気なんですか?
僕を貴女だけのものにしてはくれない? 僕を独占したいと、望んではくれないんですか……?

「駄目ですよ、そんなの。ゆるさない」

漏れ出た声は嗤っていた。手の中の兇器を一撫でして、マスターの寝室へ滑り込む。
闇に慣れた目に、ベッドの位置はすぐに判った。その上に眠るひとの膨らみも。



足音を殺して忍び寄り、静かに覗き込んだ。
無防備に寝息を立てる、穏やかな寝顔。一房、髪が口元へと落ちかかり、むずかるように身動ぎする。
そんな様は幼子のようで愛らしく、クスリと小さな笑いが零れた。そっと左手で頬に触れ、髪を払う。

「ん……」

満足気な息を漏らして、僕の貴女はふにゃりと笑う。起こしてはいけないと思いながら、込み上げる愛おしさに触れる手を離せなくなった。滑らかにカーブを描く頬、指の間を零れる髪、柔らかく温かい躰。

やわらかく、あたたかい。

その感覚に、ぎくりと身が強張った。
柔らかいのは、温かいのは、生きているから。いつか貴女がくれた言葉が、耳の奥で木霊する。

『冷たい、話さない、笑いもしないモノなんかより、生きてるままの方がずっといいでしょ?』

――生きているから。
右手の兇器が酷く硬く、冷たく存在を主張する。これを貴女に突き立てたら、貴女も硬く、冷たくなって。二度と笑いかけてくれる事も、歌うようにこの名を呼んでくれる事もなく。
この幸福は、永遠に失われる。

僕も貴女と逝くけれど。その先で、永遠にふたりだけでと願うけれど。
叶うのか、そんなことが。
同じ処へ往けるのか? ヒトではない僕が。貴女を害する僕が。貴女と同じ高みへなど、

「往けるはず、ないじゃないか……」

愕然と打ちのめされ、よろめきながら後退った。がくがくと膝が震え、あっと思う間も無く腰を打つ。
ガタン、と床が大きく鳴って、

「――ぅん……ん? っきゃあ?!」

跳ね起きた影が上げた悲鳴に、身体も思考も凍り付いた。



悲鳴。嫌悪。拒絶。
嫌だ違う、マスター。嫌わないで、拒まないで!
恐慌に陥り叫ぶ脳裏に、同時にもうひとつ響く声がある。
拒絶なんて。僕を拒むなんて。ゆるさない……!
握ったままの兇器に、右手が力を籠める。恐れが全身を駆け巡り、同時に狂気も僕のもので。均衡が崩れタイトロープが千切れ、真っ逆様に堕ちる刹那。

「って、カイト? 吃驚した、不審者に侵入されたかと思っちゃったよ」

安堵の声が耳を打った。
笑みを含んだ声。見えなくたって判る、貴女は微笑みかけてくれている。きっと少し照れた顔で。
噴き上げるような愛しさは、殆ど焦燥にも似て。立ち上がろうと床に手を着き、その違和感に血の気が引いた。
マスターがベッドサイドの灯りを点けて僕をその瞳に映したのは、それと同時だっただろう。

「違、マスター、これは……っ」

掠れた声が飛び出した。何が違うと言うんだろう、こんなものを持ち出して侵入しておいて。浅ましい自分に吐き気がする。俺はあんなに明確に、このひとを害そうとしていた。
それなのに、それでも、無様な願いが止まらない。

「ますた、マスター、お願いです。捨てないで、俺を、此処に居させて」
「カイト」
「お願いです、マスター、離さないで。俺は貴女のものです、全部全部、貴女だけのものです。赦して、マスター、嫌なんです……っ」

喘ぐように綴る言葉は切れ切れで、最早単なる泣き言だった。震える躰、視界は滲み、だというのに右手はまだ張り付いたように兇器を捨てない。捨てたいのに、こんなもの消えてしまって、無かった事になってくれたらと願うのに、強張った指が放さない。

「厭です、マスター、違うんです……貴女と居たい、貴女を、傷つける物になんか、なりたくない……っ」

ボロボロと涙を落としながら、ただひたすらに泣き喚いた。そうするしか、できなかった。



小さくスプリングの軋む音がして、マスターがベッドから降りてきた。おぞましい右手には目もくれず、硬直する俺にゆっくりと歩み寄る。
怯えや警戒の欠片も見せずに、マスターは俺の目の前で膝をついた。しなやかに手を差し伸べて、いつかのように俺の頭を優しく抱いて。

「ありがとう、カイト」

告げられた言葉のありえなさに、俺はとうとう狂ったんだと思った。こんな都合の良い幻想、何処まで浅ましいんだ。
だけど包まれた温もりは本物で、触れてくれる感触も本物で。優しい指が涙を拭って、瞼に、額に、甘い唇が落とされる。

「マス、ター……?」
「ん。泣かなくっていいんだよ、カイト。カイトは何処へも遣ったりしない。そんなの、私だって耐えられないよ」

胸の奥から全身に、灼熱が走った。恐怖と狂気に冷え切った躰と心が、じわりと芯から熱くなる。

「ねぇ、カイト。こんなに思い詰めて、極限で――ううん、きっと『覚醒』の引鉄は引かれてるね。なのにカイトは踏み止まって、私と居たいんだって願ってくれて。それは一体、どれほどの想いなんだろう」

漆黒の瞳が熱く潤んで、星を散らしたように煌めいた。その目が俺を映している。真っ直ぐに。愛しげに。

「こんなに、必死に想ってくれて。カイトの全部で、愛してくれて。ありがとう、カイト――嬉しいよ」

『嬉しい』、と。
こんな俺に尚、そう言ってくれるんですか。こんな想いを尚、『愛』と認めてくれるんですか。
貴女は、ほんとうに、どうしてそんなに。

泣かなくていい、と言ってもらったのに、新たな涙がぼろりと落ちた。喉の奥を締め付けた、苦しいばかりのそれとは違う、不安を融かす熱い涙が。
マスターは俺に身を寄せて、そっと背に腕を回してくれた。何もかもが赦されたようで、眩い光が弾けるようで、奇跡みたいな幸福に目眩がした。何も考えられなくなって、ただこのひとを愛しているのだという事だけが残って、それだけしか要らなかった。

いつしか右手も狂気を忘れ、俺は両腕でマスターを抱き締めていた。堪らない安堵が胸を満たす。
そうだ、これでいいんだ。これが俺の望み、真の望み。
俺の全ては、ただこのひとを感じる為に。このひとに捧げる、その為だけに。

辿り着いたんだ、と何処か遠くでそう思った。



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ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

KAosの楽園 第4楽章-002

・ヤンデレ思考なKAITO×オリジナルマスター(♀)
・アンドロイド設定(『ロボット、機械』的な扱い・描写あり)
・ストーリー連載、ややシリアス寄り?

↓後書きっぽいもの





 * * * * *
何かこの話では、カイトを泣かせてばかりな気がします。

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ブログで進捗報告してます。各話やキャラ設定なんかについても語り散らしてます
『kaitoful-bubble』→ http://kaitoful-bubble.blog.so-net.ne.jp/

閲覧数:446

投稿日:2010/10/29 17:13:49

文字数:3,290文字

カテゴリ:小説

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