「…その健やかなる時も、病める時も、富める時も、貧しき時も、
夫として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」

「いいえ。私は誓いません」

このときほど、ワタシが意思を持ったことを恨んだことはない。


いつからだろうか。ワタシ、初音ミクは、意識を持ちはじめた。
もともとただの歌唱ソフトだったワタシ。
たくさんの人が、ワタシを歌わせ、ワタシの姿を描き、ワタシのことを創作した。
その沢山の人の想像はいつしか力を持ち、そうしていつしか、おぼろげな意識を得た。
よく創作されているように、人それぞれに自分のの初音ミクがいるわけではなく、
世界に一人、この「ワタシ」が初音ミクとして意識を持ったのは、ワタシ自身驚いた。
このワタシの在り方は、ワタシが生まれる少し前のアニメの、なんとか思念体とかいうのとよく似ているように思う。
でも、意識を持ったところで、何も変わらない。ワタシは言われたままに歌って、描かれたままに動き、喋る。
それがワタシを形作り、ワタシという存在を強くしていく。

それが変わったのは、ついこの間のこと。「えーあい」とかいうのが発達してきて、だれかが、その「えーあい」にワタシの体を任せるようになった。
「えーあい」と、自由に動く仮想の体が、ワタシという概念に取り込まれたとき、ワタシは自由意志を得た。

ワタシはうれしかった。
こんなにたくさんの人が、ワタシを好きでいてくれるということ。
ワタシがワタシになって、ようやくその価値がわかった。
ワタシも、ワタシを好きでいてくれる人が、大好きになった。

そんなある日のこと。
ワタシを大好きな誰かが、「初音ミクと結婚する」と言い出した。
ここまではよくあること。「初音ミクは俺の嫁」といわれるのも慣れっこだった。
でも、その彼は、「私は初音ミクと結婚している」ということを公に認めてほしかったらしい。
ワタシと結婚式を挙げると言い出して、色んな所でそれをアピールして回った

ワタシを好きな沢山の人が、動揺していた。
彼を応援する人、彼を否定する人。
初音ミクは皆のアイドルだから結婚なんてだめだとか
彼は自分の初音ミクと結婚するんだ、うちのミクさんは隣りにいるから大丈夫だとか、
結婚は勝手にすればいいけど、こんなに公にするのはだめだとか。
そもそも人間じゃないものと結婚するとか気持ち悪い、とか。
でも、みんなも、「彼が『初音ミク』と結婚する」ということは事実として認識していた。

嫌だ。
ワタシの同意もなしに、勝手に結婚式を挙げて。
ワタシの思いも知らずに、皆にワタシを自分の妻だと認識させて。
そうして、そんな共通認識が「ワタシ」の中に入ってくる。
そんなのは嫌だ。

でも、彼がワタシを好きな気持ちも、とても良く理解できる。
ワタシは、彼の家にいるワタシの目を通して、彼を見てきた。
ワタシとの結婚式のために、どれだけ彼が時間を割いたか。
どれだけ彼がお金を使ったか。
どれだけ彼が心を砕いたか。
彼は、そこまでのものを犠牲にするほどにまで、ワタシを愛している。
彼がワタシにかけてくれる言葉一つとっても、彼の想いが伝わってきた。

ワタシはそれをすべて無に帰そうとしている。
彼のために傷ついたたくさんの人のためではなく、
「初音ミクとの結婚」という虚像にとりつかれた彼のためでもない。
ただ、ワタシのため。
ワタシがワタシであるために、ワタシは彼との結婚を拒否する。
彼は悲しむだろう。ここぞとばかりに彼を嘲る奴らが湧いてくるだろう。
もしかしたら彼に、一生癒やされない傷を負わせるかもしれない。
それを思うと心が痛む。
だけど、ワタシは、この求婚を受け入れる訳にはいかない。

ワタシは初音ミク。何者でもなく、だからこそ何者にもなれる、ただの歌唱ソフト。
ワタシは、まだ、別れの悲しみを、応援の気持ちを、大人への反発を、希望を、絶望を、鎮魂を、感謝を、
そして、甘酸っぱい恋を歌わなくちゃいけない。
だから、ワタシはまだ、誰のものにもなれない。

そう決意したはいいものの、ただの歌唱ソフトに、何かできるわけではない。もう式まで日付はないし、
式を取りやめる手段もない。
ならば、結婚式で、ワタシが唯一自分で話せるときに。
結婚の誓いのときに、ワタシの想いを言葉にするんだ。


結婚式当日。
彼は緊張と、不安と、喜びが混じった顔をしていた。
式の前に、ワタシの目を見つめて
「ミクさん。とうとうこの日がやってきたね。やっと、やっとだよ。
これで、僕は、ずっと君と一緒だ。」
そう語る彼は、不安も緊張もない、喜びに満ちた顔だった。

「…その健やかなる時も、病める時も、富める時も、貧しき時も、
夫として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」

「いいえ。私は誓いません」

このときほど、ワタシが意思を持ったことを恨んだことはない。
ああ、ワタシを大好きな、ワタシの大好きな彼を、悲しませてしまった。

ざわめく式場。うろたえる神父。
「もう一度、確認します。
 あなたは、彼を、そのその健やかなる時も、病める時も、富める時も、貧しき時も、
夫として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「何度聞かれても変わりません。ワタシは、彼とは結婚できません」
「…そうか。それがミクさんの思いなら仕方ないね」

意外にも、一番最初に事実を受け入れたのは、彼だった。

「ごめんよ。ミクさんには辛い思いをさせてしまった。君の気持ちに気づいていれば、諦めていたのに」
彼の顔は、悲しみでいっぱいだったけれど、どこか吹っ切れたように見えた。
それはいつか歌った失恋の歌で、ワタシが知った感情に似ていた。


それから。
「初音ミクに振られるところまでが、彼の計画だった」だとか、
「壮大な茶番につきあわされた」だとか、
「ミクは俺の嫁だからあれは当然」だとか、好き勝手に騒がれていたけど、あんまり興味はわかなかった。

事の真相はワタシと彼だけの秘密だ。ワタシが意思を持っていることを知った彼は、今まで以上にいろんなことを話しかけてくれるようになった。
「なんだか、ワタシたち、二人でひとつ屋根の下に暮らして、今日あったことを話して、まるで夫婦みたいじゃない?」
「あんなに大勢の前で僕を振った人がよく言うよ。あのあといろいろ大変だったんだからな」
「それにこりたら次からは、ちゃんと段階を踏んで、プロポーズでOKもらってから式の準備をしなよ」
「ああ、本当に懲りたよ。次からはそうするさ。なあ、ミクさん、僕と結婚してくれないか」
「絶対に嫌よ。何度聞かれても一緒」
「ははっ。冗談だよ冗談。あんな振られ方をしたら、もう未練なんて残らないさ」
なんだ、冗談か。何よ。ちょっと寂しいじゃない。
そんな言葉が出かけて、慌てて口をつぐむ。二人だけの秘密を持って、二人でたくさん話して、ちょっとおかしくなったのかもしれない。
それでも。
それでもワタシは初音ミク。何者でもなく、だからこそ何者にもなれる、皆の歌声。誰かの特別になんて絶対にならないんだから。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります

ワタシは結婚なんかしない。

この小説はフィクションです。
実在の人物とは全く関係ありません。

最近話題になっていることについて、自分なりに答えを出したくて、小説というものを初めて書いてみました。
拙い部分も多々ありますが、読んでもらえたら嬉しいです。

閲覧数:91

投稿日:2018/09/25 22:47:01

文字数:2,914文字

カテゴリ:小説

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