TELLL... TELLL...

『――只今、電話に出る事ができません。発信音の後に、お名前とメッセージを――

 ――カイト? 私です。えと、あの、できるだけ早く帰るから。何て言うかその、気にしないd……
 いや、気にされないのはちょっとキッツイかなぁっ。あぁいやえーと、そう、気に病まないで。
 あのね、別に怒ったりとかはしてないんだ。だから、……うぅん、ただね。
 どうしてああしたのか、って事は、考えておいて欲しい、かな……』



 * * * * *

【 KAosの楽園 第3楽章-004 】

 * * * * *



ピー。
電子音が、通話と録音の終了を告げた。
俺は身動ぎもできず、ただ黙りこくってノイズ越しの声を聞いていただけだった。

マスター。
マスターは、優しい。俺があんな事をして、きっと來果さんだって――いや、來果さんの方が、ショックだっただろう。なのに俺を気遣ってくれて、仕事中なのに時間を作って電話してくれて。

『怒ったりとかはしてないんだ』

耳の奥でリフレインする、優しい言葉。俺に都合の良い、俺だけに甘い。それに俺は、安堵して。
――なんて醜い。
彼女が何とも思っていないなんて、ありえないのに。いきなり一方的に触れられて、きっと嫌だっただろう。傷付いた、かもしれない。
或いは、怯えているかもしれない。僕が自身に怯えるように。自制を失うなんて、とうとう《ヤンデレ》因子が覚醒したのかと、身の危険を感じているかもしれない。

そうだ、それが一番危惧すべき事。なのに僕が恐れたのは、身勝手な事ばかりだった。
あんな形で逃げ帰って、どんどん膨らんで溢れてきた不安と恐怖。

『嫌われたかもしれない』
『捨てられるかもしれない』

そんな、吐き気がするほど身勝手な。
あのひとの安全より、あのひとの気持ちより、僕は自分の心配をしたんだ。
――最悪だ。今すぐ壊れてしまえばいい、こんな醜い僕なんか。



僕は間違ってしまった。
だけど、思い知った事がある。
僕は変わったわけじゃない。間違った方に変わってしまった、わけじゃない。
 僕 は 最 初 か ら こ う だ っ た 。

マスターの食事を作って、家事をして。笑って欲しいと思う事すら、マスターの為なんかじゃなかった。いつだってそれは僕の為。
僕を見て、僕の事を考えて、僕にだけ笑って。僕を一番、好きだと思って。そんな病んだ望みを抱いて、お菓子をばらまいて気を引く子供みたいに。
マスターはいつだって笑ってくれて、感謝して喜んでくれたけど。本当は一度だって、そんな風にしてもらう資格なんて、僕には無かったんだ。

僕はあのひとに適わない。來果さんに、こんな僕は相応しくない。もうこれ以上、甘えてちゃいけない。わかってる。
だってあの時、黒い衝動は消え失せていたから。どろりとした歪んだ思い、この躰の深くから這い上がるもうひとつの声は、鳴りを潜めていたんだ。
重ねてくれた手のあたたかさと、真っ直ぐに向けられた感謝と信頼に、ヤミでさえ満足して静まったのに。

止まれなかったのは、僕だ。



 * * * * *



ガチャリと響いた開錠の音に、反射的に足が動いた。
合わせる顔なんてなくて、怖くて、逃げ出したいのに。それでも、それ以上に、会いたい。
なんて醜悪なんだろう。この期に及んでまだ、此処に居たいと思ってる。嫌われたくないと願ってる。

「ただいま、カイト」
「お帰り、なさい……」

マスターは、いつもみたいに楽しげな様子ではなくて。僕の声も、ぎこちなく消えていった。
旧時代のロボットみたいにぎしぎしと手足を動かしてリビングに場所を移すと、マスターが口を開くより先に、僕は思い切り頭を下げた。

「ごめんなさいマスター、僕は……っ」

怖くて震えて、床を見つめたまま、言葉の先が続かなくなる。何を言うのも怖かった。溢れてくるのは言い訳ばかりで、穢れた自己保身ばかりで。

「あんな、ことを……するつもりじゃ。駄目って、間違った方へ変わってしまうって、わかってたのに」
「……"間違った"の?」

搾り出したのは、欺瞞に満ちた台詞だった。『変わったわけじゃない』って、解っているくせに。反吐が出そうだ。
けれど短く返った問いに、俺は思わず顔を上げた。マスターにはひどく珍しい、ぽつりと落とすような声。視界に捕らえた漆黒の瞳に、刹那、哀しい色が閃いた。ぎしり、機械仕掛けの鼓動が軋んだ音を立てる。

(待ってください、そんな顔をさせるなんて、)

思う間に、マスターは振り切るように――或いは諦めるように――顔を上げ、優しく笑う。

「あの本と同じだね。だったら、カイトも。まだわからないかもしれないよ? 『結局は正しい道』になるかもしれない」
「な――」

ぐらりと世界が傾いだ。どうして、このひとは何処まで、俺はこんなで、貴女が思ってくれてるようなものじゃない!

「なりません、なれません、俺なんかっ!」
「なれるよ。どうして?」
「なれませんっ! 俺は自分の事ばっかりで、貴女が喜んでくれた事だって良く思われたかっただけで、自分の為で! 何ひとつ貴女の為なんかじゃなかったのに、平気な顔で貴女を騙して」

堰を切って溢れた言葉が、深々と己に突き刺さる。
"騙して"たんだ、俺は、ずっとこのひとを。

「自制できずにあんな事して、暴走の兆しだったら貴女に何するか分からないのに、それを一番に心配しなくちゃいけないのに、……なのに僕が考えたのは、自分の事だけだったんです。貴女に嫌われたかもしれない、傍に居られなくなるかもしれないって、そんな事ばっかりで! こんな奴が貴女の傍に居るなんて許せない、僕が一番赦せないっ!」

皓い怒りが弾けて散って、頭は氷のように冷え切った。両の目からは涙を模した水滴が零れ落ち、それにすら怒りが込み上げる。
人間の振りなんかするな、紛い物のくせに!
どんなに望んだって叶わない、俺は≪VOCALOID≫で來果さんは『マスター』で、触れるなんて許されない。
『マスター』を思う以上の想いなんて、赦されない――。



「カイトは、此処に居たくない?」

柔らかく深い声がした。

「私は嬉しいよ。カイトが来てくれて、カイトが居てくれて、毎日楽しいし、嬉しいよ。嫌ったりしないよ? 最初に言ったでしょう、『バカイト・ヤンデレ、どんと来い』って。『どんな目が出てもおkだから』って。《ヤンデレ》も、その他の要素も、何でも。全部でカイトなんだよ。なんにも、どれひとつ、間違ってなんかない」

穏やかに、包み込むように、歌うように――尊く眩しい声が続く。

「それにカイトは騙してなんかないよ。カイト、一言も『私の為に』なんて言わなかったでしょう。私だって、『私の為に』してくれてると思ったから嬉しかったわけじゃないもの。してくれる自体が嬉しかったし、此処に、私と一緒に居たいって思ってくれて、嬉しかったんだよ」

子守唄のようだと思った。激情に波立ったこころを撫でて、すんなりと鎮めてしまう。
緩く弧を描く口元を、信じられない思いで見つめた。

「ねぇ、カイト。沢山一緒に過ごす為に家の事してくれて、毎日美味しいご飯も作ってくれて、カイトの全部で、私と居たいと思ってくれて。ホントに、すっごく、嬉しいよ?」

目を見開いた。ひゅっと吸い込んだ息が詰まって、声も出ない。
なんてこと。このひとは本当に、全部解ってくれていたんだ。僕がどうしようもなくマスターを求めて、少しでも多く一緒に居たくて、できる限りをしていたんだって。解った上で、喜んでくれていたんだ。

どうしようもなく貴女を求める、病んで歪んだエゴですら、嬉しいって言ってくれるんだ。



マスター。マスター。貴女は、かみさまとか、そういうものですか。大好きです。大好きです。貴女を、ほんとに、しあわせにしたい。ただ貴女のしあわせのために、貴女を笑顔にしたいです。
僕は、俺は、ほんとうに、

「マスター。來果さん。貴女が好きです――」



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ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

KAosの楽園 第3楽章-004

・ヤンデレ思考なKAITO×オリジナルマスター(♀)
・アンドロイド設定(『ロボット、機械』的な扱い・描写あり)
・ストーリー連載、ややシリアス寄り?

↓後書きっぽいもの





 * * * * *
今までとは違うパターンで「書いては消し」を繰り返した回です。
カイトが私の想定を超えて強い言葉を吐き出したので、「そこまでキツイ言い回しで大丈夫か?」と殆ど一文ごとに止まって悩み。直した所も、そのまま使った所も両方あります。

次が第3楽章の最終話になります。彼らの決着に、お付き合いいただければ幸いです。

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ブログで進捗報告してます。各話やキャラ設定なんかについても語り散らしてます
『kaitoful-bubble』→ http://kaitoful-bubble.blog.so-net.ne.jp/

閲覧数:467

投稿日:2010/10/17 13:16:25

文字数:3,371文字

カテゴリ:小説

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