僕等≪VOCALOID≫は、マスターを慕うように設定されている。だから、僕が來果さんを好きになる事そのものは、問題ないはずだ。
だけど《ヤンデレ》因子に引き摺られ、僕の思いは時折変質する。些細な事が異常に重大な意味を持ち、世界が割れるような不安や、腹の底が灼け焦げそうな嫉妬に囚われそうになる。

恐ろしいのは、病んだ望みも僕の願いも、同じ想いに根差しているという事だ。
マスターの笑顔が見たい。マスターと一緒にいたい。マスターに大事にしてもらいたい。
≪VOCALOID≫なら きっと誰もが抱く、ありふれた願い。それを、ヤミは酷く歪めてしまう。歪めてしまうが、別物ではない。それが恐ろしい。

以前なら、昏い淵から響く声は、マスターを害する事を示唆していた。自分だけのものにする為に、他の何ものも近付けないように、マスターの自由を奪い、生命さえ奪おうとしていた。
だから、拒絶する事ができた。
今はもう、強く拒む事ができない。程度の差はあれど、同じ望みを抱いてしまうからだ。『それは違う』と、言う事ができない。

細い細いタイトロープを渡るように、日々を過ごしている。
胸に涌く想いに踊りながら、それは正しいものなのか、間違っていないか、不相応ではないか、頭の隅で常に悩み、惑っている。



 * * * * *

【 KAosの楽園 第3楽章-001 】

 * * * * *



來果さんと出逢って、翌日 強制終了して、それから1ヶ月。僕は一度も倒れる事無く過ごしていた。
時々ひどく病んだ思考になってしまうし、『境界線』も見失ったままで、事あるごとに怯えてはいる。けれどダウンするほど思い詰める事は無かった。
いつでも、マスターが掬い上げてくれた。



例えば家事や雑事の件だ。

『折角帰ってきてくれた後の時間や お休みの日を、掃除や何かに潰されるなんて許せない』
『家の事は全部僕が済ませておくから、余った時間はみんな僕に頂戴……?』

内なる囁きが僕に巣食い、ヤミに呑まれていくようで恐ろしくて、あのひとには言えなかった。だけど我慢する事もできなくて、料理以外の家事も覚えた。マスターがいない時間を使って掃除をして、雑事があれば片付けて、お風呂も帰宅時間に合わせて沸かしておくようになった。

「ありがとうカイト、助かるよっ」

來果さんはそう言って、本当に嬉しそうな顔で喜んでくれた。
喜ばせる事ができたのは嬉しかったけど、後ろめたくもあった。家の事をするのはマスターの為じゃなく、僕のエゴの為だったから。
おまけにヤミが蠢き続けていて、喜んでもらえただけでは満足しなくて。浮いた分のその時間を貰えなかったら意味が無いんだ、って僕の内で喚くのを、必死に抑える。

僕は何も言えなかったけど、何も言えなかったのに。
來果さんは当然の道理だとでもいうような何でもない顔で、僕が/ヤミが 望んだままを口にした。

「それじゃあカイト、何したい?」
「カイトがくれた時間だから、空いた分はカイトと一緒に過ごそうね。使い方はカイトが決めて?」



食事の件にしてもそうだった。
マスターが僕以外の誰かの作ったものを口にするのが嫌で、朝晩だけじゃなくお昼も作らせてもらう事にして。
レトルト品や冷凍食品にすら嫉妬して、料理の腕を磨いてそれら一切を食卓から排した。今や來果さんの家の冷凍庫は、殆どアイス専用と化している。
行き過ぎている、偏執的だ、と自分で思う。怖くて、なのに止められなくて、だから余計に怖い。

マスターは「食事は誰かと一緒の方が美味しい」って言ってたけど、僕はそれにも もやもやして。
『誰かと』じゃなくて、『僕と』一緒で、って、思って欲しい。
そう願うのは、過ぎたこと? マスターが楽しいなら、嬉しいなら、それだけで喜ぶのが≪VOCALOID≫の在るべき姿だろうか。これは忌むべきエゴなんだろうか。
僕には、もう判らない。この思いは、『境界線』のどちらに在るんだろう。

こんな事も、やっぱり言えはしなかった。
けれどやっぱり、來果さんは、全開の笑顔をくれた。
毎日、毎食、「美味しいよ」と「ありがとう」を欠かさず言ってくれて、本当に美味しそうに食べてくれて、その上お昼のお弁当も「一緒に食べよう」って誘ってくれた。



どうしてなのかな、マスター。
いつもいつも、不安を押し込めて隠すばかりの僕に、どうして貴女は一番欲しい言葉をくれるのかな。
不思議なひと。來果さんには、僕の考えていることが解るの?



 * * * * *



「おはよう、カイト。今日はね、お菓子を作ろうと思うんだ。手伝ってくれる?」

お休みの日、朝一番にかけられた言葉に、僕は勿論頷いた。
お菓子作りは まだした事が無いけど、時間がかかるものも多いはずだ。その間放っておかれるのは淋しいから、『手伝って』って言ってもらえたのが凄く嬉しい。
一緒にいられるのが一番で、何をするかは二の次なんだ。ただ、貴女が笑ってくれるといい。

午前中いっぱいかけて、來果さんは沢山お菓子を作った。クッキーはチョコチップ入りやジャムつき、紅茶風味にナッツ入りと種類豊富だったし、小振りではあるけど丸いホールのケーキも焼いた。
吃驚したのは、アイスまで作っていた事だ。職場の人が持っていたアイスクリームメーカーを借りたんだって話してくれた。



たっぷりのお菓子は冷ます為にひとまずおいて、お昼御飯を済ませて いつものように買い物に出た。
最初の買い物帰り以来、來果さんは行きも帰りも手を繋いで歩いてくれる。だから僕は、お休みの日の買い物を凄く楽しみにしてる。あんまり荷物が大きかったり重かったりすると両手が塞がってしまうから、そういう――例えば洗剤とかは、マスターが仕事の間に僕一人で買いに行ったくらいだ。

「この辺りには慣れた?」
「そうですね。この道には、だいぶ慣れました」

來果さんは、歩きながらでも頻繁に視線を向けて、話しかけてくれる。それにとても安心できるのだと、最近気が付いた。マスターに見てもらえて、触れてもらえていると、僕の内に在る闇の湖面は凪いでいて、怯えずにいられるんだ。
それだけに、失った時の事は考えるだけで狂いそうになるけれど。



家に帰って買ったものをしまうと、作ったお菓子でおやつタイムになった。
とりどりのクッキーを皿に盛り付ける僕の横で、マスターが淹れてくれる紅茶のふくよかな香りがふんわりと広がる。
テーブルの真ん中にケーキを置いて、切り分けようかとナイフを手にした時。

「あ、待って。仕上げがあるの」
「仕上げ、ですか?」

意外な言葉に首を傾げる僕の前で、來果さんはチョコプレートを取り出した。ちょこんとケーキに載せられた小さな板に、ホワイトチョコのチョコペンで書き付けていく。
そうして目の前で綴られた文字は、

『祝☆1ヶ月』

目を瞠る僕の正面で、ぱぁん、とクラッカーが鳴らされた。

「1ヶ月記念 おめでとう~!」

手放しの笑みを浮かべるマスターを、呆けた顔で眺める。止まりかけた頭が回り出し、じわじわと理解が追いついて、

「っ!」

涙が転げ落ちそうになって、僕は慌てて顔を隠した。
信じられない。信じられない。全部、僕の為のものだったんだ。

「はい、どうぞ」

綺麗にカットされたケーキに、チョコプレートと、これも手作りしてくれたアイスクリームが添えられる。
優しい声に促されて、スプーンを手に取った。

「ありがとうございます。……美味しいです。ありがとうございます――」

声は潤み視界はぼやけて、恥ずかしかったけれど。真っ直ぐに視線を合わせて言うと、マスターの表情がふにゃりと蕩けた。嬉しそうに。幸せそうに――。



『境界線』を見失って、細い細いタイトロープを渡るように、日々を過ごして。
胸に涌く想いに踊りながら、それは正しいものなのか、間違っていないか、不相応ではないか、頭の隅で常に悩み、惑って。

それでも、僕は毎日が幸せだと断言できる。

不安も恐怖も凌駕して余りある、この幸福。
マスター。來果さん。貴女に出逢えて、貴女と居られて。僕は、本当にしあわせです。



<the 3rd mov-001:Closed / Next:the 3rd mov-002>

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

KAosの楽園 第3楽章-001

・ヤンデレ思考なKAITO×オリジナルマスター(♀)
・アンドロイド設定(『ロボット、機械』的な扱い・描写あり)
・ストーリー連載、ややシリアス寄り?

↓後書きっぽいもの





 * * * * *
第3楽章、開始です。

悩み怯えながらも、『それでも、幸せだ』と言えるところまできました。長かった……。
全体構成の段階では、第2楽章はもうちょっと気楽な日常エピソードになると思ってたんだけどなぁ。

ケーキの『仕上げ』、最初は『the 1st month anniversary』のつもりだったんですが…。
「アニバーサリー」のスペル調べて辞書引いたら「(毎年の)記念日」とあって、じゃあ1ヶ月目って対象外?と よくわからなくなったので、無難に日本語にしましたw

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ブログで進捗報告してます。各話やキャラ設定なんかについても語り散らしてます
『kaitoful-bubble』→ http://kaitoful-bubble.blog.so-net.ne.jp/

閲覧数:329

投稿日:2010/10/08 08:49:34

文字数:3,426文字

カテゴリ:小説

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