09
僕より五歳下のムヴェイが、建物に駆け寄っていく。
立派な――けれどヘドが出る――装飾の上に無骨な鉄板で補強された建物の角にたどり着くと、彼は壁に背中を預けて座り込む。
決意を抱いた顔で両目をつぶり、手にしたなにかを握りこんだ。
爆発。
オレンジ色の閃光。
ムヴェイの身体が粉々に吹き飛ぶところは、瞬く間にその場を包み込んだ炎と煙で見えなかった。
「行け! 突撃、突撃!」
指揮官の号令に、塀の裏で身構えていたみなが雄叫びをあげながら突撃する。
が、経路は土のうや有刺鉄線に行く手を塞がれている。
小さなムヴェイだったからこそ、様々な障害をくぐり抜けてあそこまでたどり着くことができたのだ。
爆発による混乱から立ち直ったのか、建物の窓から制圧射撃が降り注ぐ。味方が血を流してバタバタと倒れていく。
ジェレミー分隊、とでも言うべき僕たちが行政府庁舎前にたどり着いたとき、人数はすでに三人に減っていた。
そこには東ソルコタ神聖解放戦線の兵士が集まりだしていたが、行政府庁舎に立てこもった政府軍の抵抗に手を焼き、攻めあぐねていた。アラダナに入る前にあった戦車やトラックなんかは、ここまでの道中で破壊されてしまったのだという。
僕が持ってきたプラスチック爆弾は、膠着状態だった戦況に変化をもたらした。
僕の持ってきたプラスチック爆弾の半分を使って、ムヴェイが行政府庁舎の強固な壁を吹っ飛ばしたのだから。
戦況を変えるのは、いつだって爆弾だ。
これまでも、きっと……これからも。
爆煙が晴れてきて、ムヴェイの作った道が見えてくる。
補強されていた鉄板はめくれあがり、内側の鉄筋コンクリートも無残に破壊し尽くされていた。建物の角は壁が完全になくなっていて、部屋の中は爆発の衝撃でめちゃくちゃに破壊されている。
そこかしこに人が倒れていて、鉄板の破片で切断されていたり、鉄筋が刺さっていたり、コンクリートに頭部を潰されたりしている。
たくさんの死体は兵士だったり、忌むべき西洋の服を着ていたりと、まちまちだ。たぶん、政府の高官の何人かがこの部屋に避難していて、兵士が護衛していたんだろう。
ムヴェイが存在した痕跡は、なにも残されていなかった。
僕はジェレミーや他の人たちと一緒に、行政府庁舎の壁までたどり着く。
三メートル横の爆発跡では、乱雑に並ぶ鉄筋のすき間から、建物内部へと自動小銃を撃ちまくっている子ども兵がいた。
「ははははは。死ね。死ね、死ね!」
「あ、おい!」
たぶん僕と一、二歳しか変わらないそいつは、自動小銃を撃つのに夢中になりすぎて、どんどん身を乗り出してしまっていた。
それに気づいたジェレミーが、そいつをこっちに引っ張り込もうと手を伸ばす。
「がっ……」
「うわっ」
「ぎゃああ!」
が、手遅れだった。
集中砲火を浴びたそいつは、銃把を握りしめたまま倒れる。
銃把を握りしめたままということはつまり、引き金を引いたままってことだ。
銃弾が味方に向かってばらまかれ、何人かが倒れる。
「……ぐっ」
ジェレミーも膝をつく。
左耳がなくなって血があふれ、腹と太ももも真っ赤に染まっていた。先進国ならまだわからないのかもしれない。でもこの国では一目でわかるほどの致命傷だった。
「……」
味方の誤射。これもよくあることだ。
僕はただ、それまで僕を守ってくれたジェレミーの背中に手を当て、さすることしかしてやれなかった。
「すま……んな」
血を吐きながら、ジェレミーは力なく笑う。
他のみなは、もう味方の誤射も、その被害も気にすることなく行政府庁舎の中へとなだれ込んでいっている。
その流れに、一瞬乗り遅れてしまった。
もう、終わりにしとけば――。
ためらいと共に、そんな言葉が頭の中を巡る。
「お前なら……やれる。やり遂げろ……導師の、ために」
「……!」
決めたはずの覚悟を、改めて思い知らされるっていうのは、こういうことなんだろうと思う。
僕は手にした自動小銃をしっかりと握り直し、バックパックを背負い直してジェレミーにうなずいた。
血を流し崩れ落ちるジェレミーをその場に残し、僕も建物の中へと走る。
「探せ! 誰も逃すな!」
僕の横で叫んだ士官が前方に吹っ飛ぶ。どこからか、背後の建物からの狙撃だ。
僕は、頭部が原型をとどめていない士官をまたぎ越して建物の中へ。
壁に隠れて立ち止まった瞬間、轟音と共にすぐ先のコンクリート壁にこぶし大の穴が開く。さっきと同じ狙撃手だ。立ち止まるのが一歩遅かったら死んでいた。
建物内はどこもかしこも銃撃の音ばかりだった。建物内を反響するせいか、この部屋からじゃ建物の中のどの方角で戦闘が起きているのかも判別がつかない。
とりあえず、狙撃手にはわからないよう、建物の奥の方へと移動する。
みな好き好きに進攻しているんだろう。そのせいか、すでにこの場にいるのは僕独りになっていた。
僕が残りのプラスチック爆弾を持っているというのに。
……まあいい。
行政府庁舎は広い建物だ。中庭もあって、大雑把に言えば口の字の形をしている。
ちんたらしていたら、アラダナの東側で戦線を引いているであろう政府軍の主力が街の中へと引き返してきてしまう。それまでには首長を見つけて殺さなければ、僕ら東ソルコタ神聖解放戦線は敗北する。
僕がいるのは北西の角の一階、事務机が並ぶ一部屋だ。
なにかあったときのためのセーフルームがあるとしたら、それは……どこだ?
普通に考えれば地下で、かつ正面玄関から一番遠くだろう。
この北西の角の部屋も正面玄関に近い。建物の正反対側を目指すのがセオリーじゃないか。
けれど、そんなわかりやすい作りにするだろうか?
……いや、余計なことを考えていたらダメだ。抵抗の激しい方に行けば、おのずと対象を見つけられるはずだ。
部屋を抜け、長い廊下から中庭の様子を伺う。こちら側と向こう側で、断続的に撃ち合っていることだけはわかった。
こちら側が敵ってことはないだろう。こちら側が味方で、向こう側が敵のはずだ。
中庭を挟んで撃ち合っているなら、側面に回り込めば不意打ちできるかもしれない。
僕は不気味に静まり返った廊下を進む。
少しの出っぱりを見るたびに隠れて先の様子を伺うが、廊下は物音一つなくて中庭での銃撃戦とは雲泥の差がある。
だが、そこかしこに死体が転がっていて、ここも戦場の一部だったのだということを如実に示していた。
「……」
開けた廊下の、恐ろしいまでの緊張感に堪えられず、僕はまた扉を開けて部屋に入る。
クリアリング。
やはり人は……いないみたいだ。記者会見のための場所のようなそこは、僕の入った側に椅子が並び、向こうには宣教台のようなデスクと、その背後に大きなソルコタの国旗――僕らにとって忌むべきシンボル――が飾ってあった。
こんなもの、こんな場所、なくなってしまえばいい。
国旗に銃弾を叩きつけそうになって――物音にハッとする。
「……」
目の前のデスクだ。
銃口を向ける。
隠れているのなら……兵士では、ない?
ゆっくりとデスクの裏へと回り込む。
「……」
「……やめて」
僕と変わらないくらいの少女が、デスクの裏に隠れて震えていた。怯えた視線をこっちに向け、か細い声で懇願する。
「殺さないで……」
「……?」
既視感。
直後に理解する。
「まさか、リディア?」
「……え? ……うそ、カルなの?」
彼女も、遅れて僕に気づく。
「よかった。もうダメかもって――」
「リディア。下がって」
安心してデスクから出てくるリディアに、僕はそう告げて銃口を突きつけた。
「なにを――」
「黙って。なんで君がここにいるの?」
「それは……」
リディアは黙ってしまう。
東ソルコタ神聖解放戦線から逃げ出したリディア。彼女があろうことかソルコタ政府の本拠地であるこの建物にいる。
これは……由々しき事態だ。
脱走しただけならまだいい。けれど、リディアが政府軍に情報を渡していたとしたら。
「裏切者は――」
「違うの! 違うの、カル。聞いて」
「……」
周囲を警戒しながら、視線だけでリディアに先を促す。
「私、脱走してから……政府軍に捕まったの。でも、ここはそっちとは違う。あの本に書いていることを、本当に実現しようとしてるの! だからカルも――」
「――黙れ」
怒りで沸騰しそうだった。
リディアは脱走して、政府軍の犬となったのだ。
「……カル。やめて。嘘、おねが――」
軽い引き金。
銃声と、跳ね上がる銃身。
それだけで彼女は、物言わぬ骸となる。
「……」
これでいい。
……これでいいんだ。
返り血が僕の額からほほにかけてかかる。
その、ムカつくくらいに生暖かいそれをぬぐう。
僕は、間違ってない。
間違ってなんかない。
でも僕はいま、同じ仲間のはずの、カタ族の人間を殺したんだ。
コダーラ族を根絶やしにするために、カタ族の……味方のはずの人を殺した。
『じゅうをてにとるひつようはありません』
『たたかわなくていいんです』
『かなしみをいかりにしない』
『ゆるす、ということ』
『へいわを!』
『ぶきなんていらない!』
もう、終わりにしとけば……。
「……くそっ」
僕は間違ってない、はずなんだ。
余計な思考を振り払い、僕は自動小銃を構え直して部屋から出た。
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