■エネの終末実験疾走 8月14日 11:40 『実験都市』内
一歩ごとに、後方に悲鳴を置き去りにしていく。
例え、ヘッドフォンの上から、耳元をぎゅっと抑え付けても、きっとこの怨嗟は防げない気がした。
怒号。悲鳴。喚き声。助けを求める声。混乱した声。動物のような叫び。家族の名前が叫ばれる。誰かが誰かに暴力を振るい始める。混乱の中で『犯罪的行為』の横行が始まる。
都市は一言で言えば『混沌の極み』だった。
誰かの救助を求める声を、必死に意識の外に追いやりながら、私は走り続けていく。
心に浮かぶのは、マグとユノの事だ。あの二人は無事に逃げ切れただろうか……?
「ほら、あと残り時間18分を切ったよ。次の角を右だ」
学校の脇を通り抜け、ドラッグストアの角を曲がり、本屋の裏側の路地を走る。ヘッドフォンの『案内人』の声に従って、私は私の知らない『街』の姿を目撃していく。
「――良くこんな道、見つけたものね」
「そんな無駄口叩いて、大丈夫なの?」
冷静なその声が初めて揶揄を含む。確かに全然平気ではない。自覚すると一気に呼吸が苦しくなるように想われた。元々アウトドアなんて柄じゃない。休日は精々ファミレスのクーラーの効いた部屋でゲームするのが関の山だった私の体力はたかが知れており、心臓が限界ギリギリまで早く鼓動しているのを認識する。
「結構誤魔化せてたのに、余計な事言うな!」
それでも私は走り続ける。分泌されるアドレナリンが生存本能を刺激する。今の私は疲れを疲れと感じない。そう想い込め。そうだ、『火事場のクソ力』という奴だ。それで何とかするのだ。
そんな事をグダグダ思い煩っている内に、
「あと10分」
(うっさいなあ!)
私はいつの間にか開けた大通りの交差点に出ていた。交差点の片隅には小さな公園が見える。その近辺で暴動が起きていた。人と人が殴り合い、その中には狂ったように暴れ回る少年と、泣きじゃくる少女の姿も見えた。
暴動の片隅にちらりと、
(マグ? ユノ?)
見知った顔が見えた気がしたが、
「どうする? 迷ってても、別に私は全然構わないけど。あと8分30秒ね」
ちくしょう! と声に出さずに呻き、私は再び走り続けた。
完全にランナーズハイだ。息は完全に上がりきり、視界は白くぼやけ始める。しかし、私は何かの執念のように、その歩みを止める事はなかった。
足だけが次々と前に出て、回転するように推進力を与えていく。
私は走るだけの機械になったように、ただただ走り、走り、走り、悲鳴と怒号を次々と追い越していった。
民衆は何故か私の逆方向に進んでいるような気もしたが、考えている余裕もない。
ふと、
(『都市の外』に至ったとしても、こんなにギリギリじゃ、どっちにしろ被曝死するのでは?)
という疑念が沸くが、しかし、他に方法はないのだ。
この冷静な声の主『ヘッドフォンの案内人』を信じるより、私に助かる術はない――。
「あと一分」
そんな声がどこか遠くに聞こえる。
そして、私は見た事のない『丘の向こう』にまで駆け抜けていた。
そこには数人の『白衣を着た科学者』らしき人間と、彼らを守る為なのか、黒服のSPが数人いた。
『科学者』らしき人間の一人が、私の前に進み出る。頭の異様に大きい気味の悪い白髪の男だった。
「素晴らしい、素晴らしい――素晴らしい!」
男は感涙に咽びながら、歓喜して、手を叩いていた。
その異様な様に、私は生涯で一度も、こんな醜悪な笑顔を見た事がないと感じた。
「振り返ってご覧」
頭の大きな『白衣の科学者』の隣に、背の小さめな緑のツインテールの女の子がおり、彼女がそんな事を言う。
「お前は……」
「そう、私が『案内人』。ともかく振り返って。エネ。それで君が知りたかった事が全て分かると想うよ」
私は恐る恐る振り返ってみた。
そこには――――。
基盤のように配置された、『学校』、『教会』、『病院』、『スーパーマーケット』、『本屋』、『図書館』、『住宅街』、『商店街』、『レンタルビデオ店』、『公園』、『交差点』、『私の家』、『行き交う人々』。
全ては科学的に『定まりきった』配置をしているように感じられた。まるで『人が住む街』を子供が作る『レゴブロック』で製作したような薄気味の悪さ。
「これじゃあまるで……『実験施設』じゃないか……」
「まるでじゃなくって、そうなの、エネ。あなたは改造された人間だった」
「そして、もうこの『都市』の役目も、終わりだ」
頭でっかちな『白衣の科学者』はまるで何でもないように爆弾を放り投げる。丘の遥か下方、丁度あの交差点辺りまで投げ飛ばされた爆弾は、その場に小さな渦のような物を形成した。
次の瞬間、爆発的に広がった爆風と風の刃が、そのおもちゃのような『都市』全体を覆い尽くし、壊滅させていった。『断末魔』のような響きを、まるで『極上のハーモニー』であるかのように、『白衣の科学者たち』は味わっていた。
「マグ……ユノ……」
私は呆然と呟く。
この……こんな爆発の中では……二人が……生き残る可能性は……ほとんど……有り得ない……じゃないか。
私の脳裏に一瞬で去来したのは、ユノの誕生会だった。それは丁度六月の終わりに催された。『家族』を持たない私たちは、まるで本物の『家族』のように肩を寄せ合い、幸せな団欒の空気感の中で、ユノがそっとロウソクを吹き消し――――。
そして、今、その幸せな光景が、粉々に砕かれる様を私は幻視する。
まるでロウソクの炎を『ふっ』と吹き消すように、あまりにも容易に二人の生命は吹き消され――。
そこまで想像が及んだ時、私の中で激情が爆発し、頭でっかちな『科学者』に掴み掛かろうとした所で、緑髪の『案内人』に抱き止められた。
「友達がいたのね……。ごめんなさい。でももう助けるのは『無理』なの。『不可能』よ。だから『諦めて』……」
彼女はまるで冷静な声色で理解不可能な言葉を私の耳に吹き込んでいく。
「お、お前はッ! 騙したのか?! 私を!」
「騙してないわ。実際、私はあなたを『助けた』」
「そうじゃない。何故、お前が『都市』を破壊した『科学者』の隣にいるんだ?!」
「『成功個体』を『導く』事が、私の『存在理由』だったから」
身体を離し、私を見つめる『案内人』の顔を、生涯忘れる事が出来ない、と私は想う。
何て、悲哀と絶望と諦めに満ちた表情なんだろう! 私とおんなじ声をしているというのに、彼女は私と同じ声をしているのに、全く違う人生を歩んできたんだ!
私は『案内人』に救われ、『案内人』に謀られ、そして、『案内人』の表情に心を刺し貫かれた。
「もう一度謝る。ごめんなさい、エネ……あなたは『成功個体』だけど、それでも『モルモット』なの。どちらにせよ『終末実験』の終わりが、私たち、『人造人間』の『消費期限』なのよ……」
「そんな諦めたみたいな事言うな! お前の名前は?!」
「ルナ……」
「お涙頂戴の友情劇はそれくらいにしてもらおうか。正直そういうのに私は反吐が出る質だ」
頭でっかちの『白衣の科学者』が指を鳴らして合図をすると、黒服のSPたちが私を抑え付けた。
『白衣の科学者』がスタンガンを私の首元に押し付ける。
「ルナ……諦めるな。『地獄にも光明が差すかもしれない』ぜ……」
そうして私の意識は途切れた。
カゲプロ想像小説。第3話。
ヘッドフォンアクター
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