「久しぶりだねぇ、ルカ」

ウチは、先程自動販売機で買ってきたホットの缶コーヒーをごくりと一口飲んで、言った。

「えぇ、まぁ」
「ん~?ルカ、どしたの?元気ないですねぇ」
「仕事帰りで疲れてるからね。逆にグミは何でそんなに元気なのよ」
「いや~ははは、だって懐かしいんだもん!四年ぶりでしょ?そりゃテンションもあがるよ。てか今仕事帰りって相当遅くない?」
「いつものことだし、もう慣れた」

さっきまでの心配がウソのようにどこかに行ってしまった。彼女の姿を見つけて、ひとまず安心したのだ。
今は公園のベンチに座り、二人で缶コーヒーを飲んでいる所だ。

「さっさと帰って寝たいんだけどな」
「えぇ~冷たいなぁ、ルカは~。そんな冷たい子に育てた覚えはありませんよ!」
「グミは育てる側じゃなくて育てられる側でしょ」
「お、言うね~言うね~っ!」

ルカがそっけなくつぶやいたその言葉は、冷たいのにやっぱり懐かしくて温かい。
久々に聞いたそのツッコミが嬉しくて、ウチはますますテンションが上がった。
ルカのツッコミは「なんでやねん!」と時に感情を込めるものから、毒舌のようにクールに言い放ったりと様々だったが、やっぱりルカは後者の方が似合う。
というか、後者の方が素の性格に近いのだ。

「久々にさ、ルカのノリ突っ込みが見たいかも」

ウチはすっかりハイテンションになって、ルカに頼んだ。

「ノリ突っ込み?忘れちゃったわ、もう」
「ほら、海藻を使ったツッコミ方なんだけど」
「ああ、あれね。そうね…、私はワカメの方が好き……ってその海苔(ノリ)と違うから!」
「うわぁ、懐かしい懐かしい!」

思わず拍手喝采。昔から何も変わっていない。
その懐かしさがとても愛おしくて、ルカをぎゅっと抱きしめたくなった。

「てか今のグミのボケはどうかと思うけど。海藻を使った突っ込みって何?昆布でも使うの?バカなの、しぬの?」
「もう、そんな真面目にとらえないでよ。でも、ルカはそっちのクールなツッコミの方が似合ってるけどね」
「そう言うグミも昔から変わらないのね」

ルカは微笑んだが、その顔には数えきれない苦労を背負ってきたような、疲れた表情をしていた。
現に疲れているのだろう。今日だって仕事がさっき終わったばかりなのだから。
ルカはふぅと溜息をついた。

「仕事さ、大変?」
「まぁ、ね」

そう言うルカの目は少し寂しそうだった。空を見上げ、ルカは自動販売機で買ったココアを飲み、一息つく。

「忙しいの?」
「……お世辞にも暇とは言えないかな。朝八時に始まって、夜の十一時まで仕事。そんな毎日よ」
「そ、そんなに!?」

思わずびっくりしてしまった。忙しいとは言え、まさかそこまでだったなんて。
てっきりもう少し軽いものだと考えていた。

「色々あってね。休日なんてもう幻想みたいなものだし。グミの方はどうよ?忙しくないの、メジャーになって」
「そりゃ、ウチも忙しいけど……ルカ、そんな生活で大丈夫?」
「『大丈夫だ、問題ない』」

ゲームのキャラのセリフにあやかって、自身もそのキャラになりきるルカ。
それにちょっとムッとなって、ウチは言った。

「もう、ふざけないでよ。ウチはマジに心配なのに。そんな毎日じゃ、さすがに身体壊すよ」
「私の心配なんかしなくていいの。それより自分の事を考えて」

言うと、ルカは悲しそうな顔で空を見上げる。
ルカにつられて空を見上げると、星のない黒い空が広がっていた。

「今日は星、見えないのね」

とルカは独り言のように呟く。悲しい声だった。
ウチはふと、さっきの手紙の内容を思い出す。違和感の張りつめたあの手紙を、ルカはどうして書いたのだろう。

「あのさ、ルカ」
「なに?」
「あの、手紙の事だけどさ」

ルカはそこまで言いかけると、すっとウチから目を背け、視線を地面に落とした。

「アレ、どういう意味?よく分からなかったんだけど」
「どの辺が?」

俯きながら答えるルカ。目を合わせようとはしない。

「いや、いっぱいあってどこから言っていいのか……、立場が逆転したとかどうとかって――」
「そのままの意味よ。昔はグミもギターのコードすらわからなかったのに、今じゃこうしてメジャーデビュー。演奏や音楽の知識については、私は昔のグミには勝てた。でも今となっては負けてるのよ、何もかも。私の演奏も知名度も、今のグミには敵わない」

辛そうに、ルカは言った。風にさらされた蝋燭の火のように、消えてしまいそうな声で。

「そんなことないよ!ルカだってメジャーデビューしないかって言われたんでしょ、会社の人に?しかもウチより先に」
「ゴメン、あれ、ウソ」
「へ?」
「本当は、メジャーデビューの誘いなんてなかったわ。ついでに言えば、北海道にライブ行ってたってのもウソなの」

ルカの口から出たのは、衝撃の言葉だった。
ウチはぽかんと口を開けたまま、何も言えなかった。

「いつもちっぽけなライブでお客さんも半分くらいしか来なくて、そんなんでメジャーなんかに誘われるわけないじゃない。次はCD出せないかもしれないって、事務所の人にも言われてるわ」
「……」
「このままじゃ生活もままならなくてさ、今はほとんどバイトで稼ぐしかないの。朝はスーパー、夜は居酒屋でね」
「それで、毎日こんなに遅くまで……?」
「……」

ルカは答えなかった。答えずとも分かった。それが図星であると。
ウチの問を無視するかのように、ルカは続ける。

「グミは市民ホールの舞台で、大成功を飾ったそうじゃない。それも普通の市民ホールじゃない。音楽で有名な、あの、N市の市民ホールよ?その舞台がきっかけで、会社の人に誘われメジャーデビュー。まさにとんとん拍子のサクセスストーリー。売れないミュージシャンの私と、人気ギタリストのグミの差は、もはや歴然よ」

フッと、自らをあざけるように、ルカは笑った。それがウチの目にはとても哀しく映った。

「そんな……。どうしてウソなんかついたの?人気なふりなんか、どうして……」
「さぁ、どうしてかな。私でも分かんないけど、多分、グミには心配されたくなかったからよ。グミに心配されるほど落ちぶれていないって、自分自身に言い聞かせたかったのかもね。冷静に考えたらつまらないプライドよね」

自虐気味に彼女は笑った。悲しい悲しい笑みをこちらに向けて。

「私、向いてないのかもね、この仕事。やめたほうが、いいのかな」
「なんでそんなこと――」

ルカは日々の生活に疲れたように溜息をつく。
そしてその声は次第に湿っていった。

「私が書いた曲なんて、所詮は戯言で、誰の心にも届きやしないから……」

ルカのその言葉が、痛かった。
言葉の毒矢は心に深く突き刺さり、そこから心を蝕んでいく。
ルカの言葉と市長の言葉が重なった。「巡音ルカの演奏は私の琴線には触れなかった」……。

「誰の耳にも、誰の心にも。私なんて……私の、演奏なんて……うっ」
「やめて!」

ウチは思わず叫んでいた。夜の公園で、その声だけが夜空に響いていく。
そして、彼女の小さな背中を抱きしめていた。

「それ以上は言わないで!そんな悲しい事、言わないで!」

ルカの悲しみは痛いくらいに伝わっていた。ルカがそんな事になっていたなんて、知らなかった。
思わず目から涙が零れおちる。

「ウチには分かるよ、ルカの曲の良さが。『淡き光』聞いたけど、凄かったよ!ホールで演奏したら、お客さんにも受けてたんだから!」
「それは……グミが私の曲をアレンジしたから……。グミの編曲と演奏は、人の心を魅了する力があるの。ダメな曲でも、アレンジ一つで多くの人の心に届くのよ……うっ。あの時、実は私もグミの舞台見てたけど……っ、本当に凄かった……もう私の曲じゃないみたいで、うっ……」

ビイベックスに誘われた時に、会社の人に言われた言葉を思い出す。
『あなたには音楽の素質、才能がある』と真面目な顔をして言っていた。
……そんなまさか。本当にそんな才能が?
ウチはそんなもの持ち合わせているつもりは毛頭ない。ただギターを弾いているだけだ。

「なに言ってんの、あれは間違いなくルカの曲だよ!それにルカがシンガーソングライターやめちゃったら、ウチの夢はどうなるの?一緒に舞台に立つまでは、勝手にやめるなんて許さないから!」
「舞台には……もう立てないわ……。仮に立てたとしても、私とグミじゃ立場が違い過ぎて、一緒に立つことなんて――うぅ」
「立場とか、そんな事を考えるのはやめて!!ウチは……ただルカの舞台に一緒に立ちたかっただけなのに……」

そう、ただそれだけだった。ルカの横に立って、ルカの曲を全身全霊で演奏したくて、ギタリストになったんだ。
売れることなんてどうでもいい、ただその夢が叶えばよかった。
ルカはウチの胸で泣いている。部活内でも一番のしっかり者で、リーダーとして皆を統率していた彼女が。
彼女の身体と心は、この数年でボロボロになってしまった。
そりゃ、手紙を書く字が雑にもなる。あの水をこぼしたような痕は……もしかして彼女の涙?
ルカは泣きながらあの手紙を書いたのだろうか。

「もう私のことなんか忘れて……。グミは今でも大きな存在だけど……これからどんどん忙しくなって、もっと知名度は上がって、また大きくなる。だから……、私にかまってる暇なんて」
「バカ!」

パチン。
思わずルカの頬を引っぱたいてしまった。そうせずにはいられなかったからだ。

「有名になるってことがウチの夢を邪魔するって言うなら、ウチは有名にならなくたっていい!こんな立場もいらない!ビイベックスなんてもうやめる!」

その声が空遠くまで響いたような気がした。それくらいに大きな声だった。
ルカは驚いて私の顔を見つめる。

「そんな、せっかくスカウトされたのに」
「明日にでも、所属やめますって言いにいくから」
「そ、それだけはやめて!グミにはもっと売れてほしいんだよ!私が叶えられなかった夢を果たしてほしいんだよ……」
「叶えられな“かった”?なにもう終わらせたみたいな言い方してんの?まだ夢の途中じゃんか!」

夜の公園で強く叫ぶ。
弱音を吐くルカなんて見たくなかった。ウチは語気を強めてルカに諭す。

「ウチだって、ルカにはシンガーソングライターとして活躍してもらいたいよ!今は辛くても、絶対に夢は叶うから」
「けど……遠くて遠くて辛いよ……。私が一歩近づくと、また一歩、夢が遠くに行っちゃう気がして」

弱気になっているルカの顔は涙で濡れていた。ウチはポケットからハンカチを取り出し、それを優しく拭う。にっこりとほほ笑んで、言った。

「『夢は絶対逃げたりしない』、そうじゃないの?『自分が夢から逃げるだけ』だって、歌詞に書いたのはどこの誰?」

それは紛れもなく、ルカの書いた曲、「淡き光」の歌詞。
ルカはハッと息をのんだようだった。

「夢を叶えるっていうのは、遠くの星を掴むようなものなわけでしょ?そりゃ簡単に掴めないし辛い思いも沢山味わうけど……それでも夢は逃げない。自分が夢から逃げるだけ。ルカは、逃げるの?」
「に……逃げたくない、最後まで貫きたい……」
「なら、作り続けてよ。『淡き光』みたいな、凄い曲を。ウチは――」

そこまで言いかける。
ルカの目は、涙で溜まっていた。

「ルカの曲、大好きだからさ」

ウチがそう言うと、その目から涙が、堰を切ったダムのようにあふれだした。
グミ、グミと言いながら、ルカはウチの胸の中で何時間も泣き続けた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

空の向こうの淡き光 11

閲覧数:70

投稿日:2012/10/25 00:31:30

文字数:4,773文字

カテゴリ:小説

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