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 何から話そうか。

 それでは、あのお話から。
 それは、一つの裁ちバサミにまつわるお話。

 その昔、とある仕立屋があった。それはそれは、由緒正しき仕立屋で、
 この国を治めている王族への奉納品としての衣類の仕立てもしていた。

 その仕立屋には、不思議な裁ちバサミがあった。
 その裁ちバサミは、使う者の奥底に眠る心を、その太刀筋に表わすと言われていた。
 一流の仕立屋がその裁ちバサミを使えば、たちまち最高の衣服が出来上がると言われていた。

 そこに一人、仕立屋の男がいた。
 身分は低かったが、とても誠実で真っ直ぐに生きる男だった。
 もちろん、その仕立ての腕も一流で、その人柄共々、皆からとても愛されていた。
 当時の仕立屋の主人は、この男の素質を知っていて、その裁ちバサミを使わせることを決め、
 いずれはこの仕立屋も譲り渡そうと、誰も知らない心の奥に想いを携えていた。

 その仕立屋の主人には一人娘がいた。
 それはそれは、きれいな娘で器量もよく、身分を振りかざすこともなく、
 むしろ自分の世話を省みずに周囲への気配りを忘れない。
 その笑顔は周りの誰もが見惚れるほどだった。

 いつからだろう。
 仕立屋の男とその娘は、お互いを意識するようになった。
 身分は低くても、真っ直ぐに仕立ての道に生きる青年に、娘は恋をしていた。
 高貴な生まれにも関わらず、身分に囚われず誰にも暖かく接する娘に、男は恋していた。
 もちろん、仕立屋の主人も二人の気持ちに気づいていた。
 ただ、今は男にとって精進の時であり、無事この仕立屋を任せられる時が来るまでの間、
 少しだけ我慢をさせていた。

 そんなある日、娘が王族の奉納品を納めにいった時のこと。
 王子がとても娘を気に入って、是非自分の嫁にと言い出した。
 まさか仕立屋の主人も、王子からそんなことを言われるとは思ってもいなかった。
 主人も娘も困惑を隠すことはできなかった。
 王子もそれを見抜いたが、その男の所在がわかると、
「どちらが良いかはもうわかっているだろう」と、残酷にも安心したように笑った。

 それを聞いた仕立屋の男は、どういうわけか主人と娘に「よかった」と優しい笑顔を渡した。
 娘は、それを聞くと瞳に涙を溜めて自分の部屋に引きこもってしまった。
 主人は、男の姿勢にその訳を問いただしたが、男は何も言わず「これでいいんです」と、
 自分の部屋に戻っていった。

 その次の日だった。
 王子から一通の仕立て依頼が来た。
 その男に、娘が結婚式で着るドレスを仕立てて欲しいというものだった。
 さすがの男もこの依頼には驚きを隠すことができなかった。
 しかし、王族の依頼は絶対だった。
 断ることは死罪に繋がる。
 そればかりか、この仕立屋にも迷惑をかけることになるのは絶対だった。

 その男は、ドレスの仕立てを始めた。
 主人は、どうすることもできずに事の成り行きを見守るしかできずにいた。
 娘は、日々枕を涙で濡らしたが、どうすることもできないこともわかっていた。

 そんなある日、仕立屋の男に異変が起きた。
 例の裁ちバサミを使ってどれだけ生地を切っても、真っ直ぐ切ることができなくなった。
 奥底に眠る心を表すことは、男も知っていた。
 しかしこの裁ちバサミでしか娘に着せる最高のドレスを仕立てることはできないことも知っていた。
 時間の猶予がある限り、男はこの事実を主人や娘に伝えないと心に決めた。
 結婚式が間近に迫ってきた夜、男は夢を見た。
 例の裁ちバサミが、男に向かって話しかけた。

「汝の心は、決して変わることのない真実だ。しかしこのまま見過ごすわけにもいかない。
 余を長く使ってきたこの仕立屋を守りたい」

 男は、どうすれば良いのか夢の中で叫んだ。

「汝の血が必要なのだ。余の両刃を繋げる蝶番に、汝の血を油代わりに染み込ませよ。
 さすれば、汝の心に違えて真っ直ぐに切れる」

 それから、男は自分の血を油代わりにして仕立てを始めた。

 すると、どうだろう。

 今まで真っ直ぐ切れなかった生地が、寸分違わずに真っ直ぐ切れるようになった。
 しかも不思議なことにその血が滲むこともない。
 男は、三日三晩寝食も忘れ、仕立てを続けた。
 心配をした主人と娘は、幾度も男の部屋へと足を向けたが、男が部屋から出てくることはなかった。
 男は、もう既に憔悴しきっていた。
 自分の血を油代わりにすると、たちまち血が凝固してハサミは動かなくなる。
 その度に自分を傷つけては、その血を蝶番に注いだ。

 そしてついに、ドレスは出来上がった。
 娘のように透き通るような美しさを誇る純白のドレスだった。
 男は部屋の扉を少しだけ開けて、丁寧に畳んだ仕立てたばかりのドレスを主人に渡した。
 そして、「少し疲れてしまった」と言葉を残し、そっと扉を閉めた。

 それから数日経ってからだろうか。
 静かに息絶えていた男が発見された。
 その亡骸を発見した主人は、どうしても娘にそのことを伝えることができなかった。
 娘には、ドレスを作った直後姿を消してしまったと嘘をついた。

 結婚式の当日の朝。
 娘はどこか心ここにあらずといった面持ちで準備をしていた。
 男の結末を知らぬままあの王子のもとへと嫁ぐしかなくなった娘を見つめ、
 主人は悲痛な心を胸に秘めていた。
 どうすることもできない。
 二人はとうとう王宮への道へと踏み出した。
 結婚式が始まり、王子とその娘が姿を見せると、王宮の中は大きな歓声と拍手が沸き起こった。
 各国の要人も多く出席し、娘は男の仕立てたドレスを身にまとい、
 心とは裏腹な華やかさに身を投じていた。

 誓いの儀が始まった直後だった。
 娘の着ているドレスのちょうど縫い終わりの玉止めから、赤い染みのようなものが拡がり始めた。
 その染みは徐々にドレスを真紅に染めて、あっという間に純白のドレスは真紅のドレスへと
 変わってしまった。

 王宮にどよめきが走った。
 隣にいた王子は、みるみる顔面蒼白になり、まるで汚れを振り払うかのように娘を突き離した。
 娘は、ドレスが真紅に染まると、まるで何かに気づいたかのようにその場に泣き崩れ、
 仕立屋の男の名を叫び続けた。

 王族は、直ちに結婚式を中断し、要人の全てを王宮から退席させた。
 王子は王宮の奥へと連れていかれ、娘と仕立屋の者たちも拘束されてしまった。
 しばらくして王子の命令で、仕立屋の関係者は即刻王宮から出て行くようにと命が下った。
「この処罰は追って伝える」とのことだった。

 仕立屋に戻った娘は、すぐに自分の部屋にその真紅のドレスを着たままで閉じこもってしまった。
 主人は、起こったことを理解することがまったくできず、ただただ狼狽するだけだった。
 頭を抱えて嘆く主人は、あの男が死んだ後、例の裁ちバサミを隠していたはずの棚が
 開いていることに気づくこともできなかった。

 その明くる朝。
 一通の遺書と共に、自殺した娘の亡骸が部屋から発見された。
 その胸には、例の裁ちバサミが深々と突き刺さり、娘の血で染まっていた。
 その遺書には、亡き男のドレスにまつわる全てのことが娘の字で書かれていた。

 心とは裏腹な仕立てに、真っ直ぐと生地を断ち切ることができなくなったこと。
 娘のことを深く愛していたこと。
 それ以上に、娘と主人とこの仕立屋の幸せを願っていたこと。
 裁ちバサミの夢のこと。
 裁ちバサミに血を注したこと。
 娘のドレス姿を見たかったこと。

 娘が書き残した自分の心は一つだけだった。

 「あの人のもとへ逝きます」

 深く深く愛し合った二人の悲しい結末だった。

 その後、その国の王族は、どういうわけか低迷の一途をたどった。
 理由は定かでないが、王子が夜毎何かにうなされていたという噂がたっていた。
 そして若くして命を絶つことになった。
 最後に「裁ちバサミが…」と一言残して。

 仕立屋は、今やその由緒はもう衰え小さくなってしまったが、庶民に支えられて、
 その看板は今も健在 である。まるで娘をいとおしむかのように。

 例の裁ちバサミといえは、今もその仕立屋の二度と開けられることのない引き出しの奥で眠っている。 男の血と娘の血が蝶番を完全に固めてしまい、どんな油を使ってもそれが取れなかったそうだ。
 不思議なことに、片方の刃は男の血が、そして、もう片方の刃に娘の血が染み込み、
 二枚の真紅の刃は硬く硬く繋がって動かない。

 まるで「もう離れない」と言うように。


                                           fin

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

ナツとナナツのコモノガタリ ~ヒトツメ たちばさみ~

せっかくの昔取った杵柄なので、アップしてみました。

読んでくれる日といるのかなぁ……。

閲覧数:517

投稿日:2014/04/08 19:21:54

文字数:3,628文字

カテゴリ:小説

ブクマつながり

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