秘密の城館

投稿日:2018/08/26 22:16:36 | 文字数:2,995文字 | 閲覧数:786 | カテゴリ:小説

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伝われリリアンヌの可愛らしさ

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「今日はリリアンヌの気分じゃないの」

王宮から2キロほど離れた場所(と言っても王宮の庭園内だが)に僕とリリアンヌはいた。

“プティ・シャトー” ⋯⋯、先代女王アンネが遺した小さな城館。
辺り一面にはあえて手入れをさせずに自然で牧歌的な庭園が広がっており、さながら古代ギリシャの理想郷アルカディアにでも降り立ったかのような錯覚に見舞われるほど美しく、長閑で、心安らぐ静寂が僕らを包んでいた。

彼女は時折、窮屈な宮廷内から逃げ出し、ことに読書の時間などを嫌ってこの離宮に籠城することがあった。その度に僕は彼女を気遣い、この秘密基地まで足を運んでいた。
ここに招き入れられるのは人であれ物であれ、彼女の「好きなもの」だけだった。
そして“人”で唯一、敷居を跨ぐことを許されたのは僕だけなのだ。

「今日はエリザベートなの。こんなに澄み渡ったキレイな秋晴れの午後は、そんな気分だわ」

最近になって彼女はまた新しい遊びを思い付いたようだ。

その日の気分によって名前が変わる————

暴君王女の威厳を湛えたリリアンヌ、物憂げで排他的なソフィア、饒舌で甘えたがりなアンリエッタ、そしていま僕の目の前にいる、上品で無理に大人ぶった物腰のエリザベート⋯

僕が知っているのは4人。
彼女の名前はこれからまだ増えるかもしれない。

この中に本当の彼女はいるのだろうか⋯?


「今日は私がお茶を淹れますわ」

冗談めかしてリリアンヌ—— いや、エリザベートが豪奢な刺繍が施された椅子から立ち上がり、やや大げさな身のこなしでティーカップを用意する。

もちろん彼女自身が本当にお茶を淹れるなどという身分不相応な真似をするはずがない。これは俗に言う「おままごと」だ。
しかし道具はすべてオモチャではなく本物。それも一級品のもので彼女の居室は埋め尽くされている。

“好きなものだけ——”
そう、彼女は食べることが大好きだった。
お気に入りの銀食器やテーブルクロス、グラス類からティースタンドまで持ち込み、もはや自分だけのパーティー会場を創り上げてしまっている。

「来賓はアレン、お前だけでいいのよ」

そう言い満足げな表情を浮かべるエリザベート。
ここでの彼女は思う存分羽を伸ばし、作法の枷も外して普通の14歳の少女に戻っていた。

産まれながらに王族のしがらみの中で生きてきた彼女にとって、高貴な大人達に囲まれた環境での生活は普通であるに違いない。
しかし宮廷内の厳しい規則やマナーといったものに対しては彼女もよく愚痴をこぼしていた。
こればかりはいくら幼少の頃から教え込まれたとしても、人間の理にかなわぬしきたりも多く、彼女のストレスの一因になっていることは確かだろう。


王女というのも大変である。
毎日のように催されるパーティーの席では、各国諸侯を相手に笑みを絶やさず、気の利いた言葉をソツなく紡がなくてはならない。

それよりも問題なのは、例えば喉が乾いたとき。
水を飲むにしても、水を持って来る係の者に頼まなければならない。それ以前にまずその水を持って来る係を呼ぶ係の者に頼んで、水を持って来る係の者を呼んでもらわなくてはならないのだ。

さらに、服を着替える場合も一筋縄ではいかない。
下着やドレス、アクセサリーごとに運んで来る係がおり、運んできた衣類を侍女頭に渡し、侍女頭が女官長に渡し、女官長が王族の付き人に渡し、それから王女に渡される。
誰か一人でも欠ければ着替えは滞ったままとなり、王女は裸で待たされることになる。

こういった奇妙な風習がまかり通っている宮廷内では、息継ぎをしなければとても精神的に耐えられまい。
そういった考えもあって、僕はリリアンヌがこの小さなお城に逃避しても何ら咎めることなく、むしろ彼女の貴重な憩いの刻を守ろうと務め、空っぽのティーカップを啜り、
「とても美味しいです、リリ⋯エリザベート様」
と請け合うのだった。

「私 時々思うのだけど、どこか人知れぬ辺境の地に大層な御殿を建てて、そこで私と数名の召使いだけでひっそりと暮らしたいわ」

突然エリザベートが抑揚のない声でそう呟いた。
その声の調子が、僕の中でいつぞやのリリアンヌの台詞と重なる。
『太陽はいつもひとりぼっちじゃのぅ⋯わらわと同じじゃ』

あのような感傷的な文句は、心身ともに健全な人間の口からは出てこまい。
彼女とて熱い血が流れている人間だ。齢14の身空とはいえ、物思うことがあっても不思議ではない。


僕は誰よりもリリアンヌのことを知っている。
彼女は決して強くはない。
だから僕が守ってやらなくてはならない。


そういえば少し前から気になっていたことがある。
この居室にある本棚兼書斎机(本棚に本は一冊もなく、代わりにお気に入りの食器や小物が並べられている)に、インクつぼとペン、羊皮紙が置かれていることに気付き、ふと近づいてみたところ、
「これっ!寄るでない!」
と、リリアンヌが慌てて僕を追い払った。

こんな所にまで執務を持ち込むような性格でないことは分かっている。
人に見られたくないもの。
もしかして彼女が日記を⋯?
一瞬そう思った。
だがそんな幻想はすぐに自ら打ち砕いた。
元来、傍若無人で歯に布着せぬ物言いのリリアンヌが、神妙な顔つきで机に向かってペンを走らせる姿などにわかに想像できようか。

いま、改めて考えてみる。
やはり彼女が何らかの想いを文字に変えて吐露している可能性はあるように思えた。
それを書いているのは文章きらいなリリアンヌではなく、エリザベートかもしれない。
またはソフィアか、アンリエッタでもいい。
別の人格が書いているとなれば、急に合点がいく。

名前で性格まで変わるとは信じ難いが、現にエリザベートの口調はリリアンヌではない。
このプティ・シャトーが醸す独特な雰囲気が、内面的なものにまで影響を与えているのだと言われるとつい納得してしまうくらい、ここは開放的で非日常な空間だった。

僕はこの平穏なひとときに紛れ、それとなくこの件に関してやや別の角度から話題を振ってみた。

「エリザベート様は近頃お勉強熱心なご様子ですね。筆記のお稽古でもされているのですか?」

僕の問いかけに、エリザベートの表情がみるみる変わっていく。
いや、戻っていったのだ、リリアンヌに!

「おおそうじゃ、忘れておったわ!お前にこれを渡さねばならんかったのじゃ」

そう言うが早いかリリアンヌはせわしげに立ち上がって書斎机から羊皮紙をひったくり、小ビンに詰めてそれを僕に差し出した。

大きく予想を外された僕は、半ば呆然とビンの蓋を開け、紙に書かれている内容を確認する。そこには⋯


月曜日 色とりどりの山盛りマカロン
火曜日 アップルチーズタルトと黄金色のフィナンシェ
水曜日 いちごミルクのバケツプリン⋯?

「いい加減ブリオッシュにも飽きてきたのでな。来週はおやつ強化週間と銘打って、様々なおやつに挑戦してみようと思うのじゃ。食べたいものが多すぎて選ぶのに苦労したわい。わざわざこのようにして託した以上、お前ならそこに示してある通りに作ってくれるであろうな?」



⋯そう、僕は誰よりも彼女のことを知っている。

彼女は食べることが、大好きだ。

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