(おばあさま、どうしてそんなにお口が大きいの?)
(それは、おまえを食べるためさ)
<造花の薔薇.6>
それから、また怠惰な日が続くようになった。
幸いなことに読めない言葉は格段に少なくなったから本はどれも読めるようにはなったけれど、やっぱり一人は淋しい。
話し相手になってはくれないか―――そんな望みを持って使用人に話し掛けることもしたけれど、どの人も二言三言しか言葉を交わしてはくれなかった。
昔と同じ。
何百という人に傅かれながらも、結局私は一人のまま。
昔は理不尽だと思った。今だってそう思わないでもない。
でも、今は―――
―――罰なんだろうか。
そう思ってしまう。
これはお父様を手に掛けてしまった私への罰なんだろうか。
こうして孤独に堪えなければならないのは、私が罪深いから?
…でも、じゃあどうすればよかったの?
あのまま抵抗せず殺されていればよかったというんだろうか。
それでもそうなっていたら、私は1番守りたいものを守れずに終わってしまうことになっていた。
そんな道は選べない。そんな道は…
静かに懊悩しながら絨毯の敷かれた廊下を進む。
ふと、先の角から複数の話し声がするのに気付いた。
明るい声。多分、用事がないから溜まって話をしているのだろう。
別に咎めるつもりはない。羨ましくはあるけれど、だからといって邪魔をするのは不粋というものだ。
さっさと通りすぎようか、それとも今来た道を戻ろうか―――そう逡巡して歩みが遅くなる。
聞くつもりなんてなかった。
でも、耳に入ってきた彼等の生き生きとした声は容赦なく私を突き刺した。
喋る事はおろか、動く事さえ出来なかった。
『ねえ』
『はい、なんでしょうかリン様』
見慣れた笑顔。見飽きるほどに見慣れた顔。
彼もまた代わり映えのしない王宮の一部だ。笑顔は微動だにしないし、完璧と言えるほどにその色は変わらない。
―――仮面みたいなものね。
笑顔なら基本的にとうが立ちにくい。慣れてしまえばそれを基本の顔にしてしまうことだって出来る。
そんな事を考えながら、私は彼に尋ねた。
『今政をしているのは貴方達なのよね』
『ええ、そうですが』
『どんな政策をしているの?』
私の言葉にウィリアムは驚いた顔をして問い返した。
『どんな、と言われましても…どうなさったのですか?突然そんなことをお尋ねになるなんて』
他人の話を立ち聞きしたから気になって、とは流石に言えなくて曖昧に言葉を濁す。
まあ、取り繕いだとしても嘘ではない。
『なんとなくよ。いつまでも何もしないままでいるわけにはいかないもの』
『それもそうですね。しかしやはり今暫くは我々に任せていただきましょう。リン様は少しずつでも学んでいって頂ければ』
『わかってるわ、…』
頷いてから微かな違和感に語尾を濁らせる。
『どうかしましたか?』
心配そうに私を見てくるウィリアム。
それにさえ言い知れない恐怖を感じる。
おかしい。
何でこんなに、彼が怖いの?
疑惑が胸に芽吹く。枝葉を広げ、根を張る。
同時に、さっき耳にしたばかりの言葉が胸を掠めた。
いや、あんなのはただの…
……本当にただの誇張?ただの尾鰭?
がくぽまでが私に警告をしたのに、そんな風に言い切れるの?
嫌な予感がした。
何か取り返しのつかないことがひそやかに進んでいるような、知らないうちに毒に浸されていたかのような、背筋をはい上がって脳を食い荒らす恐怖。
まさか。
まさか、本当に、全て。
『…ねえ、ウィリアム』
『なんでしょうか、リン様』
見返す目に、邪気はない。
それがまた恐ろしくて、私は震える声で彼に尋ねた。
『私はなぜ政に参加できないの?』
『それはまだ幼くていらっしゃるからです』
『私は社交等はしないままでいいの?』
『今のままでは他国に付け入る隙を与えてしまうかもしれませんから』
『私は民の生活を見に行かなくていいの?』
『今の市井は治安が良くありませんから』
ふと赤ずきんを思い出す。
優しいおばあさんに化けた狼と、騙された赤ずきんとの問答。
そしてその結末は。
『…私はいつになったら外に出られるの…?』
にっこり、彼は優しく笑った。
『リン様、賢くなられましたね』
その言葉で分かった。
彼は、いや、彼等は私を外に出すつもりはない。
それだけじゃない。これは私をじわじわと追い詰めるための、長きにわたる罠の一端だったのだ。
お父様、ウィリアム、そしてきっとその他にも何人も彼等の協力者がいる。
―――最初から…王女と決まったときからそのつもりだったのね…!
私の名を騙って為される政策、それはきっといずれも残酷なものだったのだろう。
『王女も残酷な人よね。あんなに可愛らしい外見で』
『仮即位から全然外に出ていかないのも民衆には興味がないからなんだとさ』
『だからあんな命令が下せるんでしょうね。人を人とも思わないものばかりですもの』
『王様も実は王女の手で殺されたらしいし』
『血も涙もない女だよ、王女ってのは』
ウィリアムは有能な人間だ。
噂を操作するのもまた上手かったとして、何かおかしなところがあるだろうか。
嘘と本当を上手に織り交ぜていかにも本当らしく見せる。
もしかしたら王宮に住まい、社交をしていく上で大切な技術なのかもしれない。
けれど。
『王女、何も心配はいりません』
優しさがいっそ残酷に聞こえる。
『特別な事などなさらなくて良いのです。レン様の為にも、今まで通り頑張ってくださいませ』
―――脅しだ。
貫くような理解が私を襲った。
レンに手を出さないかわりに今まで通りの傀儡でいろと、そう言っているのだ。
何をするでもなく、名前を使われるだけのお飾りとして座っていろ、と。
私が彼等を抑えようとすれば、レンにまで害が及ぶ。間違いない。
私は王女。その地位を以て彼等に味方するもの全てを一気に切り捨てられれば、或はどうにかなるのかもしれない。
でも、何処までが彼等に味方しているのか。大体、王宮外に協力者がいた時点でアウトだ。私の手はきっとそこまで伸びない。
そして一歩間違えれば、レンは。
そんな危険は犯せない。
―――なんて馬鹿だったの。
今の今まで彼等を疑うこともせずに生きて来た自分が憎らしかった。
でも、もう今の私に身動きは取れない。
選択肢は一つだけだった。
『…分かったわ。今まで通り、貴方達に任せます』
『畏まりました』
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