ねえ、私だってわかってる。もう引き返せないんだって。
はじめはささやかなものから始まったはずだった。
「愛してる」
彼の言葉に薄く微笑みながら、私はぼんやりと全ての始まりについて考えていた。
始まりなんて昔過ぎて覚えてない。
―――違う。どこが始まりだなんて線引きができないだけかな。
どこかまでは、普通の恋人達の関係と変わりがないものだったはず。
でもどこからか、歪んでしまった。
じっと私を見つめる彼。
その視線が何を言いたいのか正確に汲み取って、私も口を開いた。
そして、オウム返しではあるけど、本当の言葉を口にする。
「レン、愛してるわ」
ふ、と目の前で顔が綻ぶ。
私はその顔が好き。見ているだけで幸せになれる。だって、愛する人の笑顔は、誰だって好きなものじゃない?
ぎゅっと抱き寄せられて、素肌と素肌が触れ合う。
気怠いけれど、幸せなひととき。
「リン」
「何?」
「もうさ、結婚しようか」
くす。
私は微笑を漏らす―――フリをする。
「本気じゃないくせに」
「本気だよ」
「そういうことにしてあげてもいいけど」
くすくす、私と彼の笑い声が部屋に響く。
薄ぼんやりとした明かりはとても優しく私達を包んでくれる。
ねえ、その言葉、嘘なんでしょ?
わかってるよ。私の言葉だって、嘘だもの。
「でさ、―――リン?」
「・・・あ」
急に名前を呼ばれてびくりと体が震える。
「どうかした?」
「なんでもないよ、疲れてるのかも」
「気をつけなよ。恋人が倒れる所なんて見たくない」
「・・・ありがとう。気をつけるね」
にこ、と笑って、また、嘘を。
私とレンの恋愛関係はとても幸せなものだ。
お互いに尊重しあって、それなりに交友関係は理解して、束縛し過ぎない程度に愛を確かめ合う。
私にしてみればとっても理想的な関係。
それなのに、心の中で毒々しいまでに鮮やかな存在が囁く。
―――それは、その幸せはホンモノなのか?
私はその度に目を閉じて耳を塞いで答える。
―――本物よ。偽物な訳無いでしょう?
私の答えに、ソレは笑う。酷く面白そうに、笑う。
―――ウソツキ。
嘘なんかじゃない。本物よ、本物、本物なの。
私は何度も呟く。否定することでソレをどうにか消してしまえないか、と。
でもソレは消えない。けして消えない。
寧ろ、私が言い募れば言い募るだけその鮮やかさと大きさを増していく。
どこにあるか分からない口で哄笑を響かせながら、私の心を占拠し始める。
薄々、知ってはいるの。
これを消すことなんて出来ないのだと。
やり直しだとか、忘れてしまうだとか、そんなことはきっと無理。
私に出来るのは―――ただ目を背けて知らないフリをすることだけ。
私は気付いている。彼の心にも同じものが巣くっていることを。
そして彼も、私が気付いていることを知っているのだということを。
なのにお互い知らないフリをしている。馬鹿みたい、って言ってしまうのはとても簡単なこと。だって私達は実際、とても馬鹿なことをしているんだから。
そう、例えるなら、致命傷に絆創膏を貼っているようなもの。
何の役にも立たない、気分的な時間稼ぎをしているだけ。やがて傷は、その体の命を奪うでしょう。
同じように、私達の心に巣くうこの存在も、やがて私達の関係を終わらせてしまうの。
それがお互い嫌で嫌でたまらないのに、どうしようもない。
だから私達は知らないフリを続けるの。
この関係が何かのはずみで終わるまで。
―――きっとその時に、ソレは一緒に死ぬのだと思う。
そう、きっと悪質な寄生虫みたいに、宿主を傷つけて死に向かわせるくせに宿主が死んだら一緒に死んでしまうものなんだ。
ねえレン。あなたの言葉、そのどこまでが本当?どこまでが嘘?
あなたと言葉を交わしていても、その全てが嘘みたいな気がして虚しくなってしまう。
これって疑心暗鬼なのかな?違うよね。あなたも私も、嘘で愛を塗り固めすぎたんだよね。
だからアレは現れた。余りにも嘘で固めすぎたから、そのいびつな形になってしまった愛を土壌にして芽吹いてしまった。
お願い、教えて。わからないの、あなたの愛が。
お願い、教えないで。わかりたくないの、あなたの嘘を。
始めに嘘をついたのはどっちだった?
ああ、でもそんなもの知ったって多分どうにもならない。
始めの嘘は、きっと他愛ないものだった。
きっと相手を喜ばせるための、罪のない嘘。
あれ?でも、じゃあ今でも嘘の質は変わってないのかな。
ただ量が増えてしまっただけで。
本当はね――――言いたい。
「嘘でしょ?」って。
でもそれを言ってしまえば、私達の関係は、きっと、終わる。
「じゃあ、次は・・・来週の水曜とか?」
「えーと・・・あっ、よかった!その日はフリーなの」
「そか!じゃ、今日と同じで」
「うん、じゃあね」
私は笑って手を振る。
彼も笑って手を振る。
本当は気付いてるんでしょう、私の顔が強張っていることに。
本当は気付いてるんでしょう、もう未来なんて真っ暗な関係だということに。
なのにレンは笑って手を振る。
だから私も、笑って手を振る。
そして、踵を返す。
私は歩きながら強く唇を噛んだ。
レンから見えない位置だということを分かっているから、できること。
ねえレン。
私があなたに背を向けている今、あなたはどんな顔をしているの?
それを知るのが怖いから、私は今日も振り向けない。
きっと、最後の時まで、振り向けない。
そう、私だってわかってる。もう戻れないのだということを。
いま私があなたに心から「愛してる」と言ったところで、あなたは信じてくれはしない。
一片たりとも、信じてくれはしない。
コメント2
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ご意見・ご感想
錫果
使わせてもらいました
いえいえっ、こちらこそ有難うございます!
完成しましたので(実は報告前から録音してました、すみません)、正式にご報告を。
http://www.voiceblog.jp/tinny-suzuka/1012825.html
↑こちらの記事になります。
私も友人も頑張りましたので(私の方は残念な感じですが)、聴いて頂ければ嬉しいです。
それでは、どうも有難うございました!
2009/12/15 18:17:09
錫果
その他
まさかの「赤い花」でびっくりしました、どうも錫果です。
今回は感想ではなくて…えっと。
今度、友人と「赤い花」のデュエットをするのですが(ボイスブログで公開します)、
その間奏部分で、こちらの文章を一部引用、台詞として使う、というのは大丈夫でしょうか?
ライセンス条件に“改変しないで下さい”とあるので、一応事前確認を、と思いまして…
使わせて頂きたいのは
「お願い、教えて~あなたの嘘を。」の部分と
「始めに嘘をついたのは~どうにもならない。」の二か所です。
後者はレンの台詞として演じたいので、その点が改変になりそうですが…
特に急いでいるわけでもありませんので、お返事お待ちしております。
長々と失礼しました。
2009/12/13 23:13:19
翔破
>錫果 さん
何の気なくメールを立ち上げて胆を潰しました。
・・・えっと、大歓迎です。
「改変しないでください」はまあこんな辺境の作品を改変したがる人もいないだろうし・・・と思って変更してなかっただけですので・・・
驚きのあまり感謝の言葉が上手く出てきません。
ありがとうございます!
2009/12/14 19:45:13