青い空と青い海は、良質のワインを産出するこの国の象徴だった。
外交のために自ら向かうと言ってきかない王女を抑えきれなかった家臣たちは、王位について初めて彼女自身を海を隔てた隣国へ向かわせたのである。
「すごく綺麗な青い海……」
「この国は避暑地として有名でもあるみたいですよ」
「そうなんだ。もっともっとあたくしたちの国が豊かになったら、いつかゆっくり来てみたいわね」
「僕も同じく思います。是非その時はお連れください」
隣国の王宮に向かう馬車の中、彼女と同じ席に座るを許されるはただひとり血を分けた召使だけ。
久々に執務から解放された時間は、移動時間であっても王女には嬉しいものだった。
「当たり前じゃない、だって貴方は……」
「その先は言ってはいけません」
そっと人差し指を口唇に当てる召使は、視線だけで言う。
だって、僕らは双子だものね。
召使が本当は王女の双子で、王子でもあったことは王国内で一番の禁句とされていた……。
外交は予め予定されていたことを遂行するだけのように、簡単に進んだ。その時同席した青い瞳の王子に王女は一目で心を奪われてしまった。
「素敵な方だったわね。あんな方がいつか迎えにきてくれるのかしら」
ふと漏らしたそのひと言を聞き逃す奸臣たちではなかった。たちまち彼女が心を寄せるのは海の向こうの王子ということになり、淡い恋心は熱烈な感情となって人々の噂になった。
宝石に飾られた額に入った王子の絵姿――それももちろん当代随一の絵師に高い金を積んで描かせたもの――を献上品だと言われベッドサイドに飾られた時はさすがにひとりの娘に王女もならざるを得なかった。まだ十四歳、初めて感じた恋心は新鮮なものだったのである。だが、それを表沙汰にすることはなく心に秘めながら執務を続けた。決してそれが民に伝わることはなかったのだけれども。
召使はこの頃ひとり先日のお礼の品々と共に一度海を渡っている。陸続きの緑多き隣国を旅し、船に乗り。戻ってくるまでにふた月はかかっていたがその間王女の支えになっていたのはその淡い想いであった。それを知っていた召使だったが、彼もまた別の出会いがあったのだった……それを双子の王女に知らせることは決してなかったが。そして本格的に彼が自国内に漂う不穏な雰囲気に気づきだすのもこの頃だった。
「王女、なにやら民が言っていることと伝えられることが違っているような気がします」
「どうしたの、突然……」
彼が王宮に戻ってきたのは夕方、疲れているはずなのに旅装を解いてすぐに体を清め服装を整えると、真っ先に王女の元に馳せ参じたのである。
自分が見聞きしてきたことを忠実に彼女に伝えた。曰くこの国の王女は暴君だと。曰く民を雑草を養分として朽ちさせる悪の華だと。
そんなことはないはずだ、と王女は血の気が引く音を聞いた。自分のやっていることは国のためになっていないのだろうか? 献上されたものは受け取っているが、自分から唯一贅沢をしていると言えるのは午後三時のおやつだけ。それだってあまりに高価な材料を使うなと言っている。ブリオッシュが好物だったけれど、それに添えるフルーツは敢えてなしにしていた。なのにどうしてそんなことになっているの? 彼女の疑問は膨らむばかり。
もうひとつ、召使は王女にとって哀しいことを話さなければならなかった。淡い想いを抱いていたあの海の向こうの王子が恋をしているのは、緑多き隣国の翡翠の瞳の姫だという。
「でも、かなわないかもしれないけど想う分には自由だわ。邪魔になるのならあたくしは身を引きます。いつか同じように素敵な人が現れるかもしれないしね?」
「そうかもしれませんね。同じように素敵な方はきっといらっしゃいますとも」
その事実を聞いた時、なぜか胸が痛んだことを召使が黙っていた。あの翡翠の姫君はとても可憐で美しく、彼に双子の王女と同じく初めての恋心を抱かせていたのだけれど。
しかしながらその会話も歪曲されることになる。
王宮の至る所に女官や臣下として間者が配され、国は王女の理想とはかけ離れたものになっていたのである。最初に奸臣たちが計画した、王女を傀儡に仕立て上げるというものは順調に進みすぎていた。
その一週間後――王女からの勅令が下った。
兵士たちは言う。
我が国の姫君は、嫉妬に狂って大臣を呼び出して言ったらしい。
隣国の緑多き国を滅ぼしなさい、と。
それはとても静かな声で、怒りが黙っていても黄玉の填め込まれた玉座をびりびり揺らすほどだったと。
そして王女の意図とは真逆に、ゆっくりと兵士たちと軍馬として訓練された良質の馬たちは侵攻を開始する。
幾多の家が隣国を象徴するかのように取り囲んでいた森と共に焼き払われ、なんの罪もない幾多の民衆たちの命が消えていく。
召使が使いとして海の向こうへ行く時に、一度謁見していた翡翠の姫君は焼け落ちる王宮から逃れる途中で井戸に突き落とされて命を落とした。
……それを召使が知ったのはずっと先であり、翡翠の姫君の亡骸は枯れ井戸の底から見つかることになる。
知らぬは王女と召使ばかり、彼女は以前召使が世話になったとお礼の品を贈ったはずだったのだが――。
(その3に続く)
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