金曜日は姉貴が食事当番なので、俺は買い物はせずに自宅に帰った。十一月なので、もう辺りは真っ暗だ。これからどんどん暗くなるのが早くなるのかと思うと、毎年のこととはいえちょっと気が滅入る。
自宅の前まで来た辺りで、俺は家の前に誰か立っているのに気がついた。……ん? 誰だあいつ。シルエットからすると男みたいだが……。俺は電柱の影に隠れて、様子を伺った。
誰だかわからない奴は、俺の家の様子を伺っている。……まさかお向かいさんが言っていた不審者? ひょっとして空き巣か何かか? 空き巣だったら、今のうちに声をかければ逃げるはずだ。
「何やってんだ」
俺は電柱の影から姿を現して、男に声をかけた。男がぎょっとした表情になる。
「あ……えーと……君、誰?」
「それはこっちが訊きたい。人の家の前で何してんだよ」
「え? いやその?」
男はうろたえながらも逃げようとしない。空き巣のくせに。
「僕はただここの人の帰りを待ってるだけで……」
はあ? 誰のだ。俺の知り合いにこんな奴いないぞ。
「俺んちだぞ! そんな言い訳通用するか!」
俺が怒鳴ると、相手は飛び上がった。返答しだいによっては鞄で殴ってやる。
「言い訳じゃなくて……あの、その……」
「レン君何騒いでるの?」
「あーっこいつよこいつ! 私がみかけた不審者って!」
声を聞きつけたのか、お向かいの岩田さんとお隣の河合さんが出てきた。あ、やっぱり不審者ってこいつだったのか。
「岩田さん早く通報!」
「違います! 僕は不審者じゃありません! 僕はただメイコさんが帰ってくるのを待っていただけで……」
「まあ、メイコちゃんのストーカーですって!」
「嫌だわ、最近こういうの多いらしいわよ。警察に突き出しましょう」
逃げ出そうとする男の首ねっこを、俺は引っつかんだ。そのまま引きずり倒して地面に押さえつける。こういうのはきっちりお灸を据えて置かないと。
「レン君そのまま捕まえといて。今警察呼ぶから」
「止めてくださあいっ!」
「黙れストーカー!」
「……なんの騒ぎ?」
少し離れたところから聞こえてきた姉貴の声に、俺は驚いてそっちを見た。スーパーのビニール袋を提げた姉貴が立っている。どうやら、今帰って来たところらしい。
「メイコちゃん大変よ! あなたへのストーカーが出たのよ!」
「あ、メイコさん! 説明して! 僕は不審者でもなんでもないって!」
同時に叫ぶ岩田さんと不審者。姉貴が小走りにこっちにやってきて、不審者を見て驚いた顔になる。
「……カイト君!? どうしたの!?」
「姉貴、知り合い?」
「マイコ先生の弟さんよ。レン、離してあげて」
姉貴の雇い主の弟? 余計怪しいじゃないか。
「姉貴、こいつストーカーだぜ。家の様子伺ってたんだから」
知り合いならますます危険だ。姉貴に変な真似される前に、警察に突き出そう。
「……というかカイト君、何しに来たの?」
「メイコさんに訊きたいことがあって……それで、家の前で帰りを待ってたんだけど……メイコさん、この子は?」
「弟のレンよ」
「あ、メイコさん、弟がいたんだね。どうも、初めまして。始音カイトです」
のほほんとした口調で、カイトとやらはそんなことを言った。状況わかってんのかこいつは。
「黙れストーカー」
「僕はストーカーじゃないっ!」
締め上げると、奴はストーカーの癖に文句を言い出した。
「じゃなんで俺の家の前うろうろしていたんだよ!」
「だから、メイコさんの帰りを待ってたんだってば」
……理由になってないぞ。
「姉貴に用があるんなら職場に行けば済む話だろ!」
お前の姉さんが姉貴のボスなんだから。
「マイト兄さんに会いたくなかったんだよ!」
「カイト君……姉さんって呼ばないと、マイコ先生怒ると思うわ」
姉貴……突っ込むところはそこかよ。
「生まれてこの方ずっと兄だと思っていた人に、突然『姉になりました』なんて言われたって、受け入れられないんだっ!」
「そんなことを言われてもねえ。マイコ先生はマイコ先生なんだし」
「メイコさんっ! 君だってそこにいるレン君が、ある日突然妹になって帰って来たら対応に困ると思うよ」
もうちょっとましな例えは無いのかあんたは。
「え……男でも女でも、レンはレンよ」
姉貴も乗っからないでくれ!
「とにかく……ちゃんと話をしましょう」
言いながら、姉貴は携帯を取り出した。どこに連絡する気なんだ?
「姉貴、携帯なんかどうするの?」
「マイコ先生に連絡しようと思って」
姉貴の言葉に、ストーカーカイトの顔が引きつった。
「そ、それはやめて! マイト兄さんの職場の子につきまとったなんて思われたら、僕、マイト兄さんに殺されるよ!」
「だからって、このままってわけにはいかないでしょ? あ、もしもしメイコです。マイコ先生、実は今、帰って来たら私の弟がカイト君を取り押さえていて、なんでもうちの様子を伺っていたって言うんです。ご近所さんまで来ちゃって今大騒ぎで……え? こっちに来る? 道分かります?」
三十分ほどで、マイコ先生とやらは自家用車でやってきた。その間、俺と姉貴は家の前で立っていた。だってこの、カイトとかいう奴を家にあげるのは俺が嫌だったし。岩田さんと河合さんにはわけを説明して、それぞれの家に戻ってもらった。何かあったら呼んでねとは言われている。
「めーちゃん! ごめんなさいね、バカな弟が迷惑かけて」
車から降りるやいなや、マイコ先生とやらはそう言って、カイトの頭を一発殴った。
「痛っ! マイト兄さん、何するんだよ!」
「お黙りっ! それにあたしはマイト兄さんじゃなくてマイコ姉さん! 何度言えばわかるの、バカイト!」
……なんかすごいな。カイトは恨めしそうな表情で、マイコ先生を見上げている。
「このせいでめーちゃんが辞めたりしたら、どうしてくれんのよ!? あたしのノリにつきあってくれるパタンナーなんて、なかなか見つからないんだからね」
どういう理屈なんだろう。姉貴は苦笑している。
「大体めーちゃんに話があるんなら、あたしのアトリエに来ればいいだけの話じゃないの。めーちゃんの家の前でうろうろするなんて、変質者だと言っているようなものだわ」
それに関してはそのとおりだ。格好の割に――だってこの人、すごい派手な格好してるんだよ。ついでに言うなら、メイクもケバい――中身はまともなんだな。
叱られたカイトの方はしゅんとしている。……幾つだ、あんた。どう見ても俺より年上のはずなんだが……。
「ただ僕は、メイコさんにどうしても訊きたいことがあって……」
「何よ!?」
マイコ先生はカイトに詰め寄った。カイトがしどろもどろになる。
「い、いや、マイト兄さんの前で話すのはちょっと……」
「姉さんって呼びなさい!」
どうやら、そこは譲れないポイントらしい。俺にはよくわからないけど。
「あの……寒いんで、良かったら家に入りませんか?」
これは姉貴である。寒いのは確かなんだが、マイコ先生はともかく、このカイトとかいう奴まで連れて家にあがる気か?
「いえ、めーちゃん。そういうわけにはいかないわ……でも、ここで立ちっぱなしってのもないわね。……あなたたち、夕ごはんは?」
「まだです。帰ってから作る予定だったんですけど、レンとカイト君がもめていたんで、それどころじゃなくて……」
「じゃあみんなでどこかのお店にでも食べに行きましょうか。お詫びに今日の払いはこっちが持つから」
「先生、そんな……悪いですよ。私とレンの分は払いますから」
俺まで勘定に入ってんのか。なんか妙なことになってきたな。
「いいっていいって。半分はバカイトに払わせるから」
「マイト兄さん! 僕、貧乏学生だよ!?」
カイトの叫びをマイコ先生は綺麗に無視して、結構高いヒールで弟の足を踏んだ。カイトがぎゃっと悲鳴をあげている。……怖っ。
「めーちゃん、この辺で美味しいお店とかある?」
「洋食屋さんがありますけど……ちょっとレトロな感じなお店なんです」
「あらいいじゃない。そこにしましょう」
コメント0
関連動画0
ブクマつながり
もっと見る年が明けた。わたしは、重たい気分で目を覚ました。今日は元旦だから、家にはお客さんが来る。毎年の恒例行事。
朝食を食べた後、わたしとルカ姉さんは、お母さんに着物を着せてもらった。ルカ姉さんは濃紺に梅の柄、わたしのは淡い緑に福寿草の柄だ。
正確に言えば、着せてもらったのはわたしだけで、ルカ姉さんは...ロミオとシンデレラ 第五十七話【こうもりワルツ】
目白皐月
次の日、わたしはいつもと同じ時間に登校した。昇降口に入った時は、ちょっとだけ怖さを感じたけれど、もうあの男の子もいなかったし……。
教室に入って、本を開く。今日持ってきたのは、ジョルジュ・サンドの『愛の妖精』だ。フランスの農村を舞台にした、双子の兄弟と風変わりな少女の恋の話。
「おはよう、巡音さ...ロミオとシンデレラ 第四十話【空想の虹はすばやくかききえる】
目白皐月
注意書き
これは、拙作『ロミオとシンデレラ』の外伝です。
『アナザー:ロミオとシンデレラ』の方に登場した、メイコのボス、マイコ先生の弟のカイトの視点です。
この作品に関しては、『アナザー:ロミオとシンデレラ』を第四十三話【君に出あってからは旋風のようで】まで読んでから、読むことを推奨します。
...ロミオとシンデレラ 外伝その十五【カイトの悩み】前編
目白皐月
月曜の昼休み、俺はミクから、巡音さんが階段から落ちて、入院する羽目になったと聞かされた。
階段から落ちただけならドジだなあ、で、済むが、入院となると大事だ。何だってまた、と思ったが、ミクも細かい話は聞いていないらしい。
「そういうわけだから、わたし、放課後はリンちゃんのお見舞いに行ってくるわ」
...ロミオとシンデレラ 第四十九話【クオ、部活にて】
目白皐月
わたしはその日、授業を受けながらクオのことを考えていた。クオがあの男の子に「ミクにちょっかい出すな」と言ったのは、わたしのことを心配してのことだろう。それは間違いない。それ意外に、クオがそんなことをする理由、ないもの。
でもじゃあ、クオはどうしてあの男の子をけしかけるような真似をしたのかしら? ...アナザー:ロミオとシンデレラ 第三十五話【ミクのお茶会】後編
目白皐月
自分の教室に入って席につくと、ようやくわたしは少しだけ落ち着いた。ミクちゃんは自分の席から椅子を引きずってきて、わたしの向かいに座っている。
「災難だったね、リンちゃん」
「……うん。ものすごく驚いたし……怖かった……」
一体何だったんだろう、さっきの人。思い出したらまた気分が悪くなってきた。
...ロミオとシンデレラ 第三十六話【もう飛ぶまいぞ、この蝶々】後編
目白皐月
クリップボードにコピーしました
ご意見・ご感想