望まぬ刃

 リンが宰相に膝を屈した少し後。
 緑の国王宮書庫。関係者以外は立ち入りを禁じられている部屋に、本や書類が広がっている一角があった。資料に埋もれるようにして、翡翠色の髪の少年が椅子に座って突っ伏している。
「む……」
 身じろぎをして瞼を上げ、クオはぼんやりして間近にあった本の背表紙を見る。自分が何をしていたかを考えるまでしばらくかかった。
「……寝てたのか」
 ようやく頭が覚醒し、調べ物中に居眠りをしてしまったと気付く。上半身を起こして生欠伸をし、読み散らかした資料を眺める。気になる事に僅かでも関連がありそうな資料を片っ端から出して目を通した結果、机の上が乱雑になっていた事に意識が向いていなかった。ついでに大した成果が得られなかったのも思い出し、クオはぐったりした様子で深い溜息を吐く。
 こんなに沢山資料があるのに、どうして書かれている事に違いが無いんだ? 一つくらい違う意見や見方があってもおかしくないだろ。
 緑の国の歴史。東側との交流の記述。十年前の戦争に関する記録。兵士が書いた日誌。資料によって文章や書き方の違いはあっても、最後はこの見解に集約される。
 黄の国の暴走により、緑の国は虐殺の悲劇に見舞われた。全ての罪は東側にある。
 クオは黄と緑が最後に戦った際起こった事件、黄緑の悲劇について調べていた。
 きっかけは二年前。黄の国王子レンが初めて緑の国へ来た頃だ。それまでは微かな違和感こそ覚えてはいたものの、特別疑問に思わずに過ごして来た。
 いや、本当はもっと昔から事件に対して何か変だと思いつつも、ずっと表に出さないよう心がけていた。疑問を口に出したら頭から否定されて責められる。人前で言ってはいけない事だと感じ取っていた。
 自分の気持ちを騙し騙し誤魔化している内に年月が流れ、結局意識的に調べ出したのはレンと会うようになってから。黄の国で生まれ育った人に直接話を聞き、抱いていた違和感が強くなったのだ。
 長年持ち続けた疑問。その答えを知る為、クオは独自に十年前の事件及び戦争期を調べ始めた。流石にこの頃には周囲の過敏さは鳴りを潜め、王子が歴史を深く学ぼうとしていると捉えられているようだった。
「何でどれもこれも同じ事しか書いてないんだ!?」
 クオは乱暴に前髪を掴んで一人ぼやく。資料に八つ当たりをしても仕方無いが、参考にならない文献には苛立ちを感じざるを得ない。目の前に置かれている数々の書は、緑の国でも高官や特別な許可が下りた者しか閲覧を許されない重要資料だ。一般人では手の届かない領域にいるはずなのに、得られる情報は大差がない。紛争後期に黄の国の一部隊が暴走して事件を起こしたのなんて知っている。
 知りたいのはもっと踏み込んだ情報。言うなれば『真実』だ。たとえそれが知らない方が良かった事なのかもしれなくても、真相の端でも掴まなければ納得できない。
 椅子から立ち上がり、クオは両手を組んで伸びをする。長時間座りっぱなしの体が疲れを訴え、思考も固まって鈍っている。
「……一回出るか」
 そう言えば休憩をしていなかった。またすぐに帰ってくると考え、クオは机に置いた資料をそのままにして書庫を去った。
 別室でお茶と菓子をつまんで頭と体を休ませた後、クオは書庫へ戻る為に廊下を歩いていた。ここの窓からは庭園と噴水が見下ろせ、顔を上に向ければ王族の居室階が見える。
「ん?」
 何気なく見ていた外の風景。視界を横切った何かに立ち止まる。目線を上げてみると、とある部屋の窓枠に鳥が留まっているのが見えた。
 あそこは父の部屋だ。開かれた窓に姿を見せた緑の王は、手を伸ばして鳥に触れている。
 急ぎの連絡でもあったのか?
 父は西側を治める人間だ。いきなり報告が来たりするのは日常茶飯事。伝書鳩が来るなんて別に珍しくない。
 クオは大して気に留めず、再び書庫へと歩き出した。

 澄み切った青空。穏やかな紺碧の海。帆を押す豊かな風。航海には絶好の環境下とは裏腹に、リンは暗く沈んだ思いを抱えて船尾甲板に佇んでいた。
 この船が青の国に到着しなければ良い。いっそ嵐が来て沈んでしまえばいいのに。天候の悪化による事故ならスティーブも文句は言えないだろう。逃げた訳でも無いからレン達には手を出されないはずだ。
 塵にも等しい願いをかけても、嫌味な程澄み切った空が目に付く。雨はおろか雲のひとつも無い晴天は皮肉をぶつけられているとしか思えない。
 外套で隠した短剣は軽い物のはずなのに、まるで重石を持たされているような負担を感じる。身近にあったけれど手にする事は無かった武器。人を殺す道具を持っていた。
 抑えきれない恐怖にリンは身を震わせる。それが武器を持っている事に対してなのか、愛しい人を殺さなくてはいけない事に対してなのか区別がつかなかったけれど、今すぐ泣き出したい位に怖かった。
 覚悟はしていたつもりなのに。どうしようもないのは分かっているのに。
「助けて……」
 か細い声で救いを求めても、答えてくれる声や差し伸べられる手は無い。船が青の国に到着すると知らせる船員の声が無情に響き渡り、リンは思わず両耳を塞いだ。

 港町は相変わらず賑やかで、当たり前の日常が続くと疑わない雰囲気に満ちていた。
 その平和を黄の国が踏みにじる。カイト王子を失った混乱に乗じて、騎士団が青の国へ侵攻する手筈だ。宣戦布告も無しに攻め込まれ、瞬く間にこの町は占領されるだろう。
 リンは唇を噛んで町を進む。そもそも、青の王子と知り合いだって事を宰相はどこで嗅ぎつけたのか。青の国へ旅行に行った事は王宮ではしていないし、緑の国でカイトと会っていたのも同様だ。誰にも話していないのに何故スティーブは知っていた? 私生活を探られているようで気味が悪い。
「カイト王子を殺せ」
 昨日告げられた言葉が浮かぶ。いくら現実逃避をしても無意味。今更引き返せない。戻った所で周りの人達に迷惑をかけるだけ。
 リンは東へ延びる道へ足を向ける。カイトに会うなら役場や屋敷に行った方が確実だとは思うが、いるとしたらきっとあそこだと予感があった。
 傾き始めた日に背を向け、カイトと出会った場所へと歩き出した。

 探し人は難なく見つかった。雑記林にいるカイトの姿を確認し、リンは真っ直ぐに近づく。青の王子はこちらに気が付いていない様子だったが、立ち去る仕草は見せていない。
 距離が縮まった所でリンは足を止める。突然カイトが振り向いたのだ。驚いた表情の彼に声をかけるかを迷って立ちすくむ。
「リンベル? 何で青の国に?」
 カイトの言葉を上の空で聞き、続けてリンは足音を耳に納めた。目の前に来たカイトをゆっくり見上げて思考が巡る。
 殺せ。早く。誰にも見られない今が好機だ。
 耳の奥で冷酷な声が響く。確かに周りに人はいない。この場には残酷にも二人きり。神様はとことん悪趣味なようだ。
「来るなら連絡してくれれば良かったのに」
 急だったのか? と気遣う声が胸を抉る。カイトの顔が満足に見られなくなり、リンは質問に答えずに俯いた。
 彼に助けを求められたらどれだけ良かったろう。もしかしたらカイトに事情を話すのが最善なのかもしれない。あるいは全てを捨てて逃げ出せれば。
 レンの姿が心に映る。弟は独りぼっちで泣いていた。
 リンは外套に手を入れ、腰に付けていた物を掴む。固く冷たい感触が右手に伝わった。決して放さないように握り締める。
「リンベル?」
 呼びかけが終わるか否かの瞬間、引き抜いた短剣をカイトへ突き出した。

「うわっ!?」
 唐突に向けられた刃。カイトは咄嗟に身をかわし、短剣が突き刺さるのをかろうじて避ける。だが刃先は脇腹を深く切り裂いていた。一呼吸置いてやって来た熱い痛みに顔を歪め、カイトは後ろへ数歩引いて距離を取る。
 リンは両手を重ねて柄を握って短剣を構えている。切っ先には僅かに赤い物が付いていた。カイトは脇腹に左手を当て、血で湿った服と掌を一瞥した。
「どういう、つもりだ?」
 問いかけにびくりと肩を上げ、リンはカイトを見据えて切れた息を繰り返す。お互い口を開かずに数秒、白い服に赤の染みがじわじわと広がっていく。自分がした事を目の当たりにしたリンは息を飲んだ。
 人を、斬った。私が。
 歯の根が合わない。短い呼吸音がやけに大きく聞こえる。全身が寒い。心臓が壊れそうなほど連打しているのが分かる。知らず知らずに手が震えていた。
 小刻みに揺れる短剣に気付いたカイトが再度問いかける。
「レン王子の命令か?」
「違う!」
 リンは反射的に答え、若干下がっていた短剣を構え直す。震える切っ先をカイトに向けて狙いを定めた。
考える前に体ごとぶつかる勢いで一歩踏み出す。リンがもう一歩踏み込んだ時、カイトは迫る短剣から一瞬目を逸らし、腹部の痛みも出血も忘れて叫んだ。
「危ない!」
 短剣がカイトの脇腹に刺さる寸前、リンは怒鳴り声と共に突き飛ばされていた。衝撃で武器を手放した小柄な体は容易く跳ね飛ばされる。地面に転がる刹那、黒い人影が前を通り過ぎた。
 驚く声を上げる間も無かった。黒い外套を羽織った覆面の人間は瞬く間にカイトへ肉薄すると、淀みの無い動きで腕を突き出した。血で染まっていた場所、リンが斬り付けた脇腹へと。
 黒い人間は鍔が潜った短剣を無言で引き抜き、身を起こしたリンの目前で鮮血が散る。
「あ……」
 リンは無意識に手を伸ばし、真っ白になった頭の中で必死に状況を理解しようとする。すぐ前で起こった光景が信じられない。カイトが血を吐き出したのを見て、意識と現実が一気に繋がった。
「カイトさん!」
 暗殺者の行動は素早い。リンには目もくれず、血が滴る短剣を捨てて走り去る。カイトが倒れる頃には既に逃げられ、追う事は不可能になっていた。たとえ姿が見えていたとしても、残されたリンに暗殺者を追い掛ける余裕など有りはしなかった。
 仰向けで倒れたカイトに駆け寄り、両膝をついて名前を呼ぶ。カイトは目を閉じて静かに胸を上下させている。まだ死んではいない。
 何度目かの呼びかけに瞼を開き、カイトは目を動かしてリンを見やる。血を吐きながら咳き込んだ後、赤い口元に笑みを浮かべてみせた。
「無事か……良かった……」
 汚れていない右手を上げてリンの頬へ伸ばす。涙を流してカイトの手と手首をそっと握り、リンは嗚咽をして謝罪する。
「ごめん、なさい。ごめんなさい」
 殺そうとしておいて何を言っているのだろう。どんなに謝っても何の意味も無い。この運命を引き寄せたのは自分だ。
 潤んだ視界で鮮やかな赤色が目立つ。カイトが受けたのは致命傷で、手遅れになっているのは明白だった。助からない。
「リンベル」
 彼に嘘をついたまま別れたくない。我が儘なのは理解していても、リンは出自を打ち明けた。
「リン、です。リン・ルシヴァニア。……レン王子は、私の双子の弟です」
「じゃあ、君は黄の国の王女……。そっか、道理で……」
 カイトは驚きつつも納得した様子で返す。脇腹から溢れた血が服を真っ赤に染め、地面に血溜りを作っていた。
「リン」
 穏やかな表情で少女の本当の名前を呼ぶ。続きは声の出ない口を動かして伝え、カイトは瞼を閉じた。上下していた胸が止まり、リンへ伸ばしていた腕から力が抜ける。
「カイト、さん」
 リンは手を離さずに話しかける。反応は無い。カイトはもう話せない、笑顔を見せてくれる事も無い。彼の命を奪ったのは突如現れた暗殺者ではあるけれど、自分だって殺すつもりで刃を向けた。カイトを死なせたのも同然で、悲しむ資格がある訳ない。
 なのに、涙が止まらない。両目から熱いものが後から後からこみ上げる。謝罪の言葉が何度も口をつく。
 湧き上がる感情と溢れる涙に任せて、リンは声を殺して泣き続けていた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

蒲公英が紡ぐ物語 第33話

 リン、カイト。こんな運命しか用意できなくてごめんよ……。
 話の流れを決めていても、実際に書き進めると何故予定以外のシーンが浮かんでくるのか。
 歌でいうと半分が終わった頃。設置しておいたゴールが遥か遠くに見えました。いつ辿り着くか分かりませんが。


 今回の話を書いていた影響なんでしょうか、この前脇腹を刺される夢を見ました。朝目を覚ますと、同じ位置に我が家の茶トラ猫が乗っかっていたので妙に納得。

閲覧数:930

投稿日:2012/11/25 21:44:47

文字数:4,873文字

カテゴリ:小説

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    wanita

    ご意見・ご感想

    お久しぶりです。リアル生活が落ち着いたので、久方ぶりにピアプロに戻ってきました。
    matatab1さん、完結おめでとうございます。
    新着のお知らせが届くたびに、「蒲公英が紡ぐ物語」が続いていることにとてもホッとしていました。
    リンベルの人生が波乱万丈で、目が離せません。
    これから行きつ戻りつしつつ、物語世界を最後までじっくり楽しませていただこうと思います。

    2014/04/01 01:03:16

    • matatab1

      matatab1

       お久しぶりです。いつもコメントありがとうございます。
       我ながらよく書き切れたものだと思います。二年近くもかかってようやくの完結。ラストを投稿した時は肩の荷が下りた気分でした。

       リンベルには申し訳ない気持ちで一杯です。上げては落としての繰り返し。既に一生分かそれ以上の苦労を経験させてる……。
       だからちょっとドライと言うか、レンよりも現実主義的なイメージで書いていました。お化けよりも人間の方が怖いって考えてる辺りとか。

       説明文で『歌の半分が終わった?』とありますが、話数的にも半分が過ぎた所になります。(このお返しメッセージを書き始めてから気が付いた)
       この先も楽しんでもらえれば嬉しいです。

      2014/04/01 19:19:33

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