逃亡者ノ王女
日が落ちてすっかり暗くなった時間。黄の国王都から南東へ続く街道脇に、一つの明かりがあった。その傍には地面に座っている二人の人影と、木に繋がれた一頭の馬。
リンは膝を抱えて背中を丸め、目の前のたき火を見ながら物思いに沈んでいた。
最後までレンは泣き顔を見せなかった。王女として捕まればどうなるか分かっていたのに、笑っていた。リンを不安にさせないように、安心させる為にそうしていた。
「この国には君が必要なんだよ」
そう言ってくれた。
でも、とリンはそれを否定する。国民の声に耳を傾けず贅沢な生活を送り、恋敵を消す為だけに、古くからの友好国を気まぐれ一つで滅ぼした悪逆非道の悪ノ娘。それが黄の国王女リンの呼び名。どんなに違うと言っても、真実を知らない人々はそれを聞き入れない。何を言い訳しているとますます怒りを募らせるだけだ。
そんな自分に何が出来る。今傍にいるのはルカだけで、しかも王都から落ち延びた身だ。正直、無理矢理でもレンを逃がしておけば良かったと思ってしまう。それがレンの意思に反する事でも、そうすればもっとうまくやれたはずだと考えてしまう。思考が堂々巡りになって希望が見いだせない。どうすれば良いのか全く分からない。
怖いよ、レン。
答えが返ってこないのは分かっていても、リンは己の半身に助けを求めていた。
全く喋らないリンに、隣に座るルカは不安を隠せずにいた。ジョセフィーヌも主の様子がおかしい事が分かるのか、やや困惑した態度を見せている。
馬小屋で合流してからリンは一言も発していない。首を振ったり頷いたりして意思表示をしているので、意識がちゃんとあるのは確認できるが、目はうつろになっていて、生きる気力を失ったかのように感じられる程だった。
無理もない。今までずっとあったものを全て奪われ、生き延びる代償として唯一残された肉親を失う事になった。あまりに衝撃的な出来事が立て続けに起こったせいで、声を失ってしまったのかも知れない。
王女として捕われたであろうレンがどうなったかは、まだ分からない。休憩の為街道沿いの村に立ち寄った時は、まだ王都の暴動騒ぎが届いていなかったが、おそらくは……。
そこまで考えてルカは思考を止める。今すべき事は、二人で無事に南東の港町まで逃げる事、そこの領主を頼れば大丈夫だ。
「リン、野宿する事になったけど、明日の午前中には町につけるから」
言葉の返答が無いのを承知で話しかける。たき火を見たままで反応は無い。
「町の領主はレンの育ての親。昔城に仕えていた、私の同僚よ」
リンはルカに顔を向ける。レンを育てたのはどんな人なのか興味があるらしい。
「名前はガクポ、信用出来る人物よ。なにしろリンとレンの父親、前王が右腕として信頼していた程だから」
小さく頷いたリンを見て話を終わらせる。ルカは十数年前、極秘の命令を受けた時の事を思い出していた。
レンをガクポの元へ送り届けてくれ。リンが悲しむ事は分かっている。だが、このままでは本当に危険だ。いつ暗殺されてもおかしく無い。
『黄の国王子』は病でこの世を去った事にすれば、レンの命が狙われる事は無い。親としてこんな形でしか子どもを守れないなんて、悔しくて仕方がない。リンとレンが成長して再会したら、時期を見て本当の事を教える。
リンがレンとまた会えるように、俺達が全力でリンを守る。
どんな形でも良い、二人に幸せになって欲しい。
そう言われて、病気が治ったばかりの幼いレンを託された。
自分がどうなろうと何を言われようと、大切なものを守ろうとする強い意志。
危険を覚悟の上でレンを緑の国へ行かせた事。リンが無事に逃げられるように準備をしていた事。二人共父親にそっくりだ。
ルカは立ち上がり、ジョセフィーヌにくくりつけられていた、今は下ろされている荷物を手に取る。休憩の際に中身を調べたら、野宿に必要な最低限の物が入っていた。馬であれば暗くなる前に町に辿りつくかも知れない、これ以上あっても邪魔になるだけだと判断したのだろう。
本当に勘が良い。馬小屋で別れる直前、レンはこう尋ねてきた。
「僕を養父の元に送ったのはルカさんですか?」
どうして分かったのかと聞いたら、なんとなくだと返された。リンもレンも妙に鋭い、双子だけにこう言う所は似ている。
大きな荷物とは別の、小さな包みをほどいたルカは思わず笑みを浮かべる。少ないが二人分の食糧。リンの傍に座ってそれを差しだした。
「お昼だって食べていないでしょう。明日まで持たないわよ」
食べる気が無いのか顔を背けて受け取らず、ルカはリンの両手に強引に持たせる。渋々顔を戻し手に置かれた物を見て、リンは目を大きく見開いた。
「レンが作ってくれた最後のブリオッシュ。食べなきゃだめよ?」
しばらく茫然としていたが、リンは黙って少しずつブリオッシュを食べ始めた。その姿を見て安心したルカも一口分千切って口に入れる、美味しい。
「本当にレンは料理が上手ね」
感心したルカの呟きに、リンは少しだけ微笑んで返した。
翌日。港町の領主の屋敷
自室の窓から広がる景色を見ながら、ガクポは椅子に座り、机に手を乗せて考え込んでいた。
黄の国王都で暴動が起き、全ての元凶の王女が処刑された。
朝一番にその知らせが入り、動揺する住人たちをグミと共に落ち着かせ、ようやく一息ついた所だった。
「無事なのか、レン」
いくらなんでも事が起きるのが早すぎる。召使として王女の傍にいたレンは、その混乱の中逃げられたのか。逃げたとしたら、昨日か今日中にはこの家に帰って来るはずだ。しかし全く音沙汰が無い。騒ぎの中足止めを食らって遅くなっているのか。
処刑は大臣が指示した事に間違いないだろう。邪魔者を排除するやり口は昔から変わらないらしい。最悪の事態も視野に入れているが、真実が分かるまで息子の無事を願っていた。
どうか、生きていてくれ。そう思っていると背中側の廊下から足音が聞こえた。ドアは閉めているのにはっきりと聞こえる、緊急の知らせで走っているようだ。何か進展があったのかと立ち上がる。
「ガクポさん!」
ノックもせずに激しい音を立ててドアを開けたのはグミ。何があったと聞くと、ガクポに客が来たと言った。こんな時に相手などしていられないと思いはしたが、グミの様子を見るとただの客では無いのは予想できる。レンが帰って来たのかと期待したが、そうであれば客などとは言わないだろう。
「二人いるよ。一人はルカさんって髪の長い女の人。名前を出せばすぐ分かるって」
「本当か!」
驚いたガクポにグミは頷く。すぐに客間に通すよう指示を出し、もう一人の特徴を聞くと、グミは確証が持てないのか、少し自信が無さそうに言った。
「小柄で金髪の、レンにそっくりな女の子。あの子、もしかして……」
悪い方の予感が当たってしまった。だとしたらレンか帰って来る事はもう無い。こみ上げて来た感情に歯を食いしばって堪える。悲しむのは後でも出来る、今はここを頼り逃げて来た、その二人を保護する方が優先だ。
「グミ、私がルカとその女の子に応対する。客間に通したらあの二人も連れて来てくれ」
「分かった!」
指示を受けて走り去るグミに続き、ガクポも部屋から出て廊下を歩き出した。
豪華とは言えないが居心地の良い客間に通されたリンとルカは、円卓を前にして椅子に座り、領主が来るのを待っていた。
相変わらずリンは無言のままだ。いつもなら応対してくれた人にはお礼を言うのに、何も言おうとはしなかった。本当に話せなくなってしまったのか。
心に受けた傷はそう簡単には治らない。周りの人間が出来るのは、本人が立ち直るのを信じて支える事だけだ。
ルカは部屋を見渡す。壁には、素人が見ても立派な物だと分かる刀が一振り飾られているだけで、他には何もない。とても町の領主が使っているとは思えないと軽く呆れる。机には花瓶に挿した花が置いてあるが、おそらく先程応対した部下が飾った物だろう。
「お待たせした」
客間の入り口から聞こえた声にルカは反応する。数メートル先の入り口にガクポが姿を現していた、そのままリンとルカに近づいて、親しげに話しかける。
「久しぶりだなルカ。十数年振りか」
「もうそんなに経つのね。時間の流れは早い」
レンを送り届けて以来だとルカは思う。リンは会話に全く反応していない。ガクポはそんなリンに優しく声をかけた。
「はじめまして、私はこの町の領主ガクポ。リン王女ですね?」
王女と呼ばれてびくりと肩を上げ、怯えたように顔を上げたリンに、ルカは肩に手を乗せて大丈夫と囁く。
「この人は敵じゃない、安心して良いから」
寒くはないのに、リンは歯を鳴らしている。絶望に心を支配されて、今まででは考えられない程他人を恐れている。ルカの言葉を信じて良いのか分からない様子で震えていた。
「そんなに私の顔が怖いか?」
「そんな訳無いでしょう」
ガクポも分かって言っているのだろう。ほんの少しでもリンの気持ちを楽にしようとして冗談を言ったのだ。その優しさに感謝して、ルカはリンに顔を向けたまま軽口で返す。城仕え時代とは違って、現在のガクポは一人の父親としての、穏やかな雰囲気になっていた。
「……王都で何が起きた?」
大体の事情は分かるが、詳しく教えて欲しいとガクポが言った途端、リンは首を激しく何度も振った。言いたくない、聞きたくないと口をきつく結んでその話を拒んでいる。ルカは立ち上がり、安心させる為にリンを抱きしめたが、震えは全く止まっていない。
かなりの重症だ、今その話をしたら、リンは本当に壊れてしまう。
「すまない、無神経だった。今は静かに休んだ方が良い」
ガクポが謝罪して、空いている部屋へ案内しようとした時。
「失礼します」
グミが人を引き連れて入って来る。ルカはリンを抱きしめたまま、客間に入って来た人物を見て驚愕し、自分は頭がおかしくなったかと思ってしまった。
幻覚を見ているのかと疑った。もしくは今まで起きた事は悪い夢で、目を覚ませば消えるのではないかと非現実な事まで考えもした。しかし、全て本当に起こった事だ。王都での暴動、レンの入れ替わり、リンとの逃亡、王女の処刑。それらはどんなに否定しても変えようが無い現実。ならば今見ているのは紛れもない現実だ。
どうしてこの屋敷にいるのかは全く見当もつかないが、戦争で命を落としたはずの、緑の国王女が間違いなくそこに立っていた。
「リン、ルカさん。無事だったのね」
いつもとの髪型とは違う、長い髪を結い上げた状態で現れたミクは、安堵した様子で声をかけた。ハクも安心した顔でリンとルカに目を向けている。
「ミク王女、何故……」
ルカは唖然として言う。レンが千年樹の森に行った時は、緑の国王女は既に亡くなっていたと報告していた。なぜそんな嘘の報告を届けたのか。
「少し前から、このお屋敷にお世話になっています」
ハクが質問に答えて、ミクが続ける。
「リンとレンのおかげでね」
緑の国へレンを派遣したリンの判断は間違っていなかった。ミクとハクはこうして無事に生きている。その事に安心したルカだったが、すぐ傍でかすかに聞こえた声を聞き逃さなかった。
「レ、……ン」
「リン、喋れるの?」
抱きしめられたままのリンが、もどかしそうに体を動かしている。ルカが手を離すと、うつろな目をしたまま非常に緩慢とした動きで椅子から立ち上がり、今にも転びそうな程おぼつかない足取りで入り口に近づく。ぶつぶつと呟きながらミクの前で足を止め、その姿を確認するように視線を向けた。声をかけるのを躊躇わせる程の雰囲気に、リン以外の全員が形容しがたい恐怖を感じていた。
「無理しちゃ駄目だよ。休んだ方が良いって」
いつ倒れてもおかしくない様子を見たグミが呼びかけたが、それに返事は無く、リンの小さな声だけが耳に入る。
「レン、が、ミクを、助け……」
肩を震わせ、口元を押さえて必死に何かを堪えている。ルカは隣に駆け寄って顔を覗きこみ、リンが喋らなかった理由を理解した。
口にしてしまえば、止められなくなる。だからずっと黙り込んで耐えていた。 辛かったはず、そうしたかったはずだとルカはリンの背中にそっと手を乗せた。
「泣いても大丈夫。……良く頑張ったわね」
同時にリンの両目から大粒の涙があふれ出した。声を出さずにいたのは一瞬だけで、襲ってくる感情に耐えきれず、もういない弟の名前を呼んで、ただただ謝る。
「レン! ごめん、ごめんなさい。私のせいで!」
流れる涙を拭う事もせずに泣き叫ぶ。大切な片割れを亡くした悲しみと、どうする事も出来なかった後悔で、恥も外聞もなく大声で泣いていた。
「ガクポ、リンの様子は?」
椅子に座りハクとグミに話をしていたルカは、客間へと戻って来たガクポに尋ねた。緊張の糸が切れたのか、泣き終わった後倒れてしまったリンをガクポは部屋へと運び、ミクはそれに付き添っていた。
「相当疲れていたようだな、静かに寝ている」
答えてからガクポは席に着く。リンの事は任せて欲しいとミクに言われ、そのまま任せて来た。
「ルカ、やはりレンは……」
ガクポの問いに、ルカは目を伏せて首を振る。それはつまり、レンは王女として処刑されてしまったと言う事だ。
「ガクポ、レンから伝言よ」
「何だ」
「『親不孝な事をしてごめんなさい』って」
そうかとガクポは呟く。最後まで親だと、家族だと言ってくれた。静けさに包まれた客間で、グミがぼそりと言った。
「あの馬鹿」
ガクポとハクはグミの性格を分かっているので何とも思わないが、不快感を覚えたルカは眉を潜める。命がけでリンを守り、逃がしたレンに何を言うのか、否定するつもりかと口を開こうとした。
「行って来ますって言ったんだから、ただいまって言って、帰ってきなさいよ」
言葉を詰まらせながら言ったグミに、帰らないレンをずっと心配していたのかと、ルカは安堵する。
「レンには、もう一人姉がいたのね」
血の繋がりは無くても本当の家族だったガクポとグミを見て、レンはきっと幸せだった、後悔なんてしていないと心から思う事が出来る。
今は混乱しているだけ、リンはレンの思いを分かっているはず。
きっと大丈夫だと、ずっと傍にいたルカはそう信じていた。
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