「ん……」
テラスへと続く大きな窓から差し込む光で彼女は目を覚ます。場所はこの国の城に存在する、遥か昔から代々の『歌姫』に使われてきた寝室だ。
幾つもの絵画が飾られた部屋は、全体的に落ち着いたベージュを基調とした色合いをしているが、よくよく見てみればそこにある花瓶、クローゼット、イス、円形の小さな机、カーペットなど、どれ一つとっても平民が一生働いても買うことの出来ないような高価なものであることに気づくことができただろう。
そんな部屋の中心の、天蓋付きの大きなベッドの上で、彼女は目を覚ました。
「今日も……いい天気」
未だ寝ぼけたままの今にもまぶたが閉じてしまいそうな半目で、そんなありきたりのことを呟く。この国で最も特別な存在の一人である彼女は体を起こし、ベッドから降りた。朝日を浴びて、足元まで伸びる彼女の美しい髪がキラキラと青に、緑に、輝く。普段人から常時無表情などと評される彼女であるが、寝起きの今ばかりはぼんやりとしたどこか愛嬌のある寝ぼけた表情を浮かべている。
と、そこでトントンと扉をノックする音が聞こえすぐに
「失礼します」
と声がして部屋の置くの木製のドアがカチャリと開いた。
「初音様、お起こしに……あら、今日も御自分でお起きになられていましたか」
黒いシャツに白いフリルのついたエプロンと同色のフリルのカチューシャといういでたちをした白髪紅眼の女性、彼女の世話を任されているメイドの一人がその開いたドアから入ってきた。腰に届かない程度の髪をうなじのあたりで一つに結っている。
彼女は毎日初音を起こしに来る。そして毎朝同じ事を言う。少し眉をひそめ、少し笑みを浮かべ、同じ事を言う。
「おはようございます、初音様」
「おはようです、ハク」
「今日のお召し物はどうしましょうか?」
「……これです」
ハクと呼んだメイドに尋ねられた初音がよろよろとクローゼットに近づき、白い簡易なドレスを選び答えると、ハクはすぐさま彼女に近づき、それを受け取ろうとする。
「では、初音様、私がお着せしますので」
「結構です。というか私は貴族ではないのでそんなことをされるいわれはないです」
「そうおっしゃらずに」
「結構です」
「初音様はこの国で一番重要な方ですもの」
「関係ないです、嫌なものは嫌です」
「そんな子供みたいな言い訳はなさらないで」
「こ、子供じゃないです。大体私はもう十六に」
「じゃあそんな聞き分けの悪いことを言ってはいけません。ちゃんと歌姫らしく私に服を着させられてください」
「嫌です」
「ちゃんと」
「嫌です」
「……」
「嫌ったら嫌なんです」
「……」
「嫌で嫌で嫌で嫌で嫌なんです」
「……」
「……」
「じゃあ、もう気も済みましたね。では早速」
「だーかーらー、嫌といってるではないですか。もう怒りました、こうなったら実力行使です。徹底抗戦です。狂乱怒涛です。私は持ちうる能力と権力全てを駆使して必ず自分で服を着ます」
「はぁ……、もう、しょうがないですね。そこまで言うなら仕方ありません」
と、これも毎日の日課である。
「着替え終わりました」
「では、行きましょうか」
白いドレスに足元まで届きそうなストレートの長い髪という出で立ちになった初音とハクはそろって部屋を出る。
歌姫『初音』の朝は毎日こうして始まる。
朝起きて、着替えを済ませると今度は朝食だ。
「いつも思うのですが、なんで朝食をとるのにわざわざこんな仰々しい部屋でこんな無駄に広いテーブルにつかなくちゃいけないんですか?」
絢爛豪華という言葉をそのまま部屋の形ににしたような一室で、これまた彼女のいう無駄に広い白いテーブルについて、半眼で溜息を吐く初音に、慣れたようにハクが言う。
「お城とはそういうものです」
「理由になってないです。大体私は……」
「はいはい、それはもういいですから、朝食も来たようですし」
ハクがそう言うと、部屋に白いコック帽をかぶったいかにも「私はシェフです」というオーラを発する壮年の男性が朝食を運んで入ってくる。
「本日の御朝食は、トーストに五種の豆の冷たいスープ、そしてデザートに洋ナシを用意しております。紅茶はインテルメッツォ産のものです」
そう言っている間にも、給仕が料理を初音の前に並べていく。
焼きたてのトーストにマーマレードのジャム、種々の豆が彩りを添え、透き通った紅の紅茶が甘い香りを放つそれらの料理は、食欲をそそる香りといい、見た目の鮮やかな彩といい、誰が見ても一流の品とわかるものであった。
が、それを見た初音はフッと鼻を鳴らして失笑した。
「城仕えのシェフ、確かに腕はいいようですが……所詮は二流ですね」
「なっ!?」
己の腕を自負していたのか、彼女の言葉に朝食を運んできたシェフが驚きと、怒りの表情に染まる。
「そんな……なぜ……」
シェフの震える声に初音は当然といった表情で言う。
「ネギが……、どこにもないじゃないですか」
「!?」
初音の言葉にシェフの表情が、今度こそ驚愕一色に染まる。
「ジャムはネギのジャムを使用すべきでしたし、スープもネギのスープにすべきでした。何よりデザートを生ネギにしなかったのは最悪でしたね」
そこまで一息に言うと初音はおもむろに後ろを向いて掌を突き出し、
「ハク」
「私は初音様と違って常にネギを持っている趣味はございません」
「仕方ないですね」
満面の笑みで断られたので、仕方なしにどこからともなく白と黄緑の淡い色合いの棒状のそれ、
「本当はもう少しの間とっておきたかったのですが……」
どう見みても一本のネギにしか見えないものを取り出し、目の前のトーストに乗せて食べ始めた。
「っっ!!」
シェフは最早ショックで声を出すことすらままなっていない様子である。
というか彼の前に広がっている光景は「トーストにネギを乗せて食べている」というより「ネギにトーストを乗せて食べている」様な光景だ。なにせ乗せているのは本当に何の加工もされていない一本丸まるのネギなのだ。トースト一枚との大きさを考えればどうしてもそうなってしまう。その生ネギにトーストがチョコン、とくっついたような代物を花も恥らうような乙女がバリバリと食べているのだ。
つまりはどうしようもなくカオスということだ。
「な、なんなんだ……これは……。ここは、現世……なのか……。いや……そうでなく……いや、それどころか……。ワタシガ、私が……、間違っていたのか?私が今まで信じていた料理が……料理の概念が……料理そのものが……、間違っていたと、そう言うのか?」
あまりの光景に膝を突き手を突き、絶望の表情でブツブツと呟き始めた彼に初音が最後の言葉を言い放った。
「それに、お茶はネギ茶以外にはありえないというのに。まったく」
そこが彼の限界だった。
「ネギ茶ってなんだぁーーーーーー!!!」
後には彼の絶叫だけが残った。
「なで叫びだしたりしたんでしょうね?」
廃人のようになってしまったシェフを控えていたメイドたちが運び出した朝食から一時間後、自室にて彼を廃人へと追いやった張本人は嘆息と共にそう呟いた。
「さあ、わかりません?」
律儀にハクがそう答える。満面の笑みだ。
ちなみに今までにも同じようなことは何度もあったのだが。
それから二時間、更にお昼を挟んで二時間がたった頃、彼女は城でもかなり大きな部屋の一つに――王と軍の上層部の集まる戦略会議室にいた。
「現在、歌姫による反魂歌の軍事運用により確実に周囲の国は我らに強い恐怖を抱いている!戦争を仕掛けるのならば今しかない!!」
円形に設置された席の一つに着いていた、軍服に幾つもの勲章を付けた六十を超えようかという白髪の男が机を叩き割らんとばかりに強く打ち据えて、そう叫んだ。その体は年老いたはずの老人にしてはあまりにも筋骨隆々としており、実年齢よりも彼を若く見せている。
「今ここで攻め込むことこそが最も最小限の被害で事を収める方法だ!!」
割れんばかりの声量で部屋中に声を響かせる彼に向かいの線の細い男が反論する。
「だが、それは裏を返せば恐怖のあまり、敵が最後まで――それこそ負けが確定しても抵抗してくる可能性があるということでは?」
「それはない!あれだけのものを見せられれば士気など無いに等しい!一気に敵の首脳にまで突き破れることすら、今なら容易いだろう!!」
そこまで、意見したところでその軍人らしき老人は、楕円を描く席の列の、部屋の奥に最も近い席に座る四十過ぎほどの王冠をかぶった男へと向き、
「国王陛下、今こそ我らが国が長きに渡る戦乱を鎮める時です!!」
「戦乱ですって……今がようやくお互いを牽制しつつもそれぞれの国の対立が緩和されている時期だというのに……、よく言います」
老人の言葉を聞いていた初音が誰にも聞こえない声でボソリと呟く。
「確かに、今回は向こうからの侵略行為であった。他国もあまり文句は言ってこないだろう。だが、本当に最小限の犠牲で済むのか?なにしろ、初音は……」
と国王が隣に控えていた初音をちらりと見る。
「確かに、私の反魂歌は国内のみでしか使用することが出来ないです」
初音はいつも道理の無表情でそう言う。
しかし、老人は別段困った様子は見せず、すぐに国王の問いに答える。
「まったく問題ありません!こういった兵器は一度使えば、それだけで相手を疑心暗鬼に陥らせることが出来ます!歌姫を……いえ、偽者でもかまいません、彼らにその姿を見せて、またあのような攻撃が来ると思い込ませれば、それだけで十分に効果はあります!」
「ふむ、確かに。問題はなさそうではあるな。ならばあの国に攻め込む事は決定でいいな、反論があるものはいるか?」
この場に集まった数十名、誰一人として物音を立てることすらなかった。
「結局はわかりきったことを延々とそれらしく言い合っているだけ……問答だって所詮は誰もが答えを知っている。下らない茶番です」
再び初音が呟くが、当然のようにそれは誰の耳にも届かない。
国内でしかその価値を持たない初音は最早いないように扱われ、彼らは戦略の細かな作戦会議へと移っていった。
「お疲れ様です、初音様。会議はどうでした?」
食事を挟んだ会議が終わった後、既に外は月が空に昇っていた。アレグロ鉱石という光を放つ鉱石によって作られた灯りに照らされた城の廊下を初音とハクは歩いていた。
「また、戦争するそうです」
つまらなそうに言った初音の言葉にハクは一瞬顔を強張らせた。
「そう……、ですか」
しかしその表情はすぐに初音へと向けられるものに変わる。
「それじゃあ、初音様はまた……」
ハクの沈んだ声に初音は珍しく普段は動かない表情を和らげて、
「そんなに、心配しないでいいです。私は国内でしか価値はありません。今回私が矢面に立つことは無いはずです。……それに、もともと、鎮魂歌を軍事利用することを発案したのは……私です」
しかし最後には自嘲する様なしかめた表情になった。
「でも、初音様はもともとそんなつもりでは……」
「そんなつもりも何も無いです。大体、私はこの国の道具です」
今度は自嘲すら見せずにそう言う。
それにハクは何も答えられない。
気づけば二人は初音の部屋の前まで辿りついていた。
「まぁ、確かにもうすぐ戦争になるかもしれないですが、別に今すぐにではないです。だから、あまり暗くならないで」
自室のドアを開けた初音の目に黒い影が見えた。
「初音様!!」
ハクがとっさに初音の襟首を引っ張って彼女を後ろへと逃がした。と同時に今さっきまで彼女のいた場所に銀色の線が走る。
ナイフだ。
首が絞まって咳き込みながらも、初音は前へ目を向けると、そこにはテラスへ出るための窓が破られた自室と、その入り口に立つ黒ずくめで覆面をしたおそらくは男であろう人間が立っていた。その手には鈍く光るナイフが握られている。
初音がそれを確認するかしないかの間には、男は既にありえないような速度でこちらに向かってきていた。それは間違いなく相手を殺すための動き。初音を狙う暗殺者であった。
「待て!」
ハクがそれを護衛用に隠し持っているナイフで応戦する。彼女とて伊達や酔狂でこの国でもっとも重要な要人の専属メイドをしているわけではない。軍隊でも十二分に通用する体術は叩き込まれている。
が、それでもあまりにも分が悪かった。
そもそもこの城はこの国で最も安全な場所の一つだ。だからこそ初音も監禁同然の扱いでここに住まわされている。そこへ誰にも気づかれず進入してくる時点で既に人間業ではない。誰かしらの手引きがあったとしても、である。
ハクとて軍人並みの体術があろうと所詮はメイドだ。何とか攻撃を凌ぐのでやっとだ。
それすら、素人の初音から見ても、ほとんど偶然のようなものだ。邪魔者は容赦なく消すとばかりの暗殺者に彼女が勝てるわけが無かった。
だから、
「逃げてくださいっ、初音様!!」
そう叫ぶハクに再び暗殺者のナイフの切っ先が迫ろうとしていた時、初音はとっさに彼女をかばうように前に出ていた。
気づいたらそうしていた。
そんな彼女に向けて、無感情にナイフが突き出され、そして、
「っ!?」
その瞬間まで初音に向けてナイフを振りかざしていた暗殺者が、突然に左方向へと直角に吹っ飛んでいった。
代わりに、先ほどまで暗殺者のいたその場所には、いつの間にか皮のブーツに包まれた足があった。
「はいそこまで」
そう言った声は女性のものだった。はきはきとした声から気の強さが滲み出している。
初音の視線が目の前の足から、その付け根へ、そして蹴りを繰り出した何者かの、その全身像を視界に納めた。
そこに、赤い鎧に身を包んだ一人の女剣士が立っていた。
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4/4 BPM133
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正面あたりで待ってるわ
ええ、楽しみよ
あなたの声が聞けるなんて
背、伸びてるね
知らないリングがお似合いね
ええ、感情論者の
言葉はすっかり意味ないもんね...ゼロトーキング(Lyrics)
はるまきごはん
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