第1章 調査依頼

 土岐が函館に来たのは2回目だった。1回目は中学校の修学旅行だった。高田屋嘉兵衛の像、土方歳三最期の地碑、五稜郭公園ぐらいしか記憶に残っていない。千賀と二人で、集団行動をとらず、集合写真に遅れて、記念写真に写っていないのが、共通の思い出だ。
羽田からANAで80分で夕方近く到着、空港からバスで、函館駅に向かい、千賀が店主を務める久遠堂書店のある東雲町に向かった。
空港から電話していたので、千賀は店頭の古書の整理をしながら、土岐を待っていた。土岐は百円均一の古本が軒下に積み上げられている店先で、お互いを見つめ合って、握手を交わし、しばし無言だった。高校時代の面影と比較すると、千賀は少し太っていたが、顔色が生活に疲れているように見えた。
「まあ、ここでもなんだから、奥に入ってくれ」
と千賀に導かれるまま、土岐はキャリーバックを横にして、店の奥に入っていった。
店は10坪もないような構えで、両側の壁面と中央の両面に書架があった。左側の書架の壁はマンガの単行本で占められていた。その向かい側は雑多な趣味の本で埋められていた。月刊誌と週刊誌のマンガ本は平積みになっていた。小説などの文学書は、右側の書架に並び、その向かいは稀覯本と全集もので飾られていた。
千賀は奥から木製の丸椅子を出し、
「もうすぐ、店を閉めるけど、それまでこれに腰かけてくれ」
と言って、古色蒼然とした帳場の机の後ろに座った。
「小学生は塾の行き帰り、中学生は部活の帰りに、マンガ本を漁りにくる。それが終わったら、店を閉める」
と言う千賀と思い出話に花が咲いたのは、高校時代の教師のあだ名の思い出だった。
田中という日本史の先生は、忠臣蔵が好きだという噂から、「デンチュウ」と呼ばれていた。
体育の先生は色黒で毛深かったので「山猿」、国語の先生は唾液が多く、唾が飛んでくるので「椿姫」、武田と言う先生は太っていたので音読みで「ブタ」、英語の及川先生は衿の高いワイシャツが好みで、首が極端に短かったので「オイカメ」、理科の先生はポケットに手を突っ込んで股間を書く癖があったので「ポリキン」、数学の先生は禿げ頭が光っていたので、蛍と逆だから逆蛍を縮めて「ギャボ」、工藤先生は話がくどいので「クドイ」、柳原先生はすぐ授業をやめるので「ヤラナイハラ」と呼ばれていた。
話をしながら、千賀は傍らの古書の山の荷造り紐をほどいて、一冊ずつパラパラと頁をめくり、裏表紙の内側に値札シールを張り付け、鉛筆で価格を書きこんでいた。文庫本は100円、単行本は200円の値付けが多かった。 
辺りがすっかり暗くなったころ、千賀は店を閉じ始めた。土岐は千賀の指示で、2階に上り、キャリーバックを置いて、ひと息ついた。 

閉店後、千賀は古書店から徒歩5分ほどのスナックに土岐を案内した。千賀はカウンターに着席するなり、用件を切り出した。
「両親の代から、あの二階に下宿していた男が去年の暮れ亡くなって、・・・」
「二階って、俺がキャリーバックを置いたところか?」
「そうだ。俺が結婚したとき、その男を追い出して、同居・・・という話もあったんだが、・・・俺の奥さんが嫌がって、・・・」
「そりゃそうだろう」
と言いながら、土岐は千賀の横顔を見た。言い方が、配慮を欠いたかと思ったが、千賀の表情に変化はない。
「父がなくなって、母が一昨年なくなって、俺が離婚して、去年の初めから、1階に俺が住むようになったばかりだった」
 注文した海鮮丼が運ばれてきた。スナックにしては、本格的な盛り付けだ。
「その男の名前は、菅原というんだが、生前殆ど話をしていなかったんで、・・・1階のふろ場で心筋梗塞で、救急車で運んで、・・・結局、なくなって、・・・それから身内を探すのが大変だった。手紙を探し出して、それらしいものを当たったんだが、わからなかった。役所の戸籍係に相談したが、親族でないから、・・・最後は、警察に身内を探してもらった。連絡したら、姉だというのが、『姉弟としてのつき合いも40年以上ないので、葬儀はそちらで適当に出してくれ』と言われた。唖然としたが、2階にいつまでも遺体を置いとくわけにもいかないから、焼骨をすませ、近所の住職にお願いして、しばらく無縁仏で弔ってくれと頼んだ。それから一月ほどして、突然、札幌の姉というのが店にやってきて、『遺品を引き取るから』と言ってきた。」
「それまで、相続の手続きは?」
「遺族の了承もないから、とりあえず、貯金口座は凍結してあった。2階の遺品もそのままで、手を付けずにいた。不動産はなかったはずだから、・・・彼の両親はとっくになくなっていて、身内はその姉だけで、・・・」
 土岐はじれてきた。
「それで、何を調査すればいいの?」
「その姉と言うのが、菅原さんの勤務先に行って給与明細を調べて、・・・」
「勤務先というのは?」
「駅前近くのクリーニング店、結構繁盛していた。菅原さんは高校を卒業してから、そこに40年近く勤務していた」
「菅原さんは結婚はしていなかったんですか?」
「ずっと一人だった。いつだったか、理由を聞いたことがあったけど、答えなかった。その姉というのはそのことは知っていた。だから、『かなりの財産があるはずだ』と言い張って、2階のあちことを探し回っていた。酒もたばこもギャンブルもしないこともしっていた。・・・葬儀費用のことは聞いてこなかった」
と千賀は土岐に同情を求めてきた。土岐は肩をすくめただけだった。
 土岐はもう一度同じ質問をした。
「それで、何を調査すればいいの?」
「菅原さんの遺産を調べてもらいたい。多分、何かにつかっていたと思う。その姉の話では、郵便局の貯金口座から毎月一定額が引き出されていて、残高が10万円ほどしかなかったそうだ。遺産が見つからなかった時は、俺を『遺産横領で訴える』と言うんだ」
 土岐は腕を組んだ。海鮮丼の味がよく分からなかった。

 帰宅後、古書店の2階で、ビールを飲んだ。菅原という故人が下宿していたという部屋は、8畳ほどの広さで、押し入れの収納と背の高さほどの洋ダンス、折り畳みの座卓などがあるだけの殺風景なたたずまいだった。座卓の上に30インチもないテレビがあり、土岐と千賀はそのまえにビール缶を並べている。
「どんな人だったの?」
と土岐。
「人畜無害、自己主張のない、影の様な人だった。でも、店番をお願いをしても、嫌と言ったことが一度もなかった」
「金を使うとしたら?」
 千賀は天井のLED照明を眺めながら、
「8時過ぎに、出勤して、6時過ぎに帰ってくる。すぐ、店番を交替してもらって、俺が夕食の間、帳場に座ってもらって、それから2階に上がってコンビニ弁当を食べながら、2階で夕食を取り、8時頃1階の風呂に入って、2階に上がって、寝る。毎日、そういう生活だ」
「休日は?」
「日曜日は、近くの小学校の体育館で、バドミントン同好会に参加していた。祝祭日は、どこかの大会に出ていた」
「ラケットなしで?」
といいながら、土岐は部屋を見渡した。
「ラケットは姉が持って行った。あんなもの、使い古しだし、売りようがないだろうに。でも、金目のものは全部持って行った・・・大したものはなかったが。使い古したTシャツや靴下やシューズはそこの洋ダンスに入れたままだ。・・・彼が金を使うとすれば、バドミントン用品かな。唯一の趣味だ」
「でも、金を使うにしても知れているでしょう。小学校の体育館でバトミントンなら、会費だって大したことはないでしょ。大会の参加費だって、知れているでしょ・・・ところで、菅原さんの写真はありますか?」
 千賀は立って、洋箪笥の鏡の下の小抽斗から、小さなアルバムを取り出した。
「カネにならないと思ったのか、これは持って行かなかった」
 アルバムは、ソフトカバーで、1ページに2枚しか入らないもので、写真屋がダダで配布しているものだった。土岐は、2枚ずつ見て行った。どの写真にも納まっている頭髪の薄いやせぎすの男が目についた。
「この背の高い、髪のないのが、菅原さんですか?」
 千賀は土岐の手許を覗き込みながら、
「そう、その禿げ頭。俺の記憶はその禿げ頭から始まっている。俺が生まれた時には、すでに菅原さんはここに下宿していた。子どものころ、野球を観に連れて行ってもらったことがある。存在感のない、影の薄い人だった。体形が全く変わっていない。食も細かった。30年ぐらい一緒に生活していたのに、想い出らしい想い出がほとんどない」

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土岐明調査報告書「函館書肆物語」第1章 調査依頼

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投稿日:2022/04/12 07:02:33

文字数:3,509文字

カテゴリ:小説

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