あなたの住んでいる土地から一番遠く離れた場所に『塔の町』と呼ばれている不思議な町がある。
もしあなたが丘に立ち、その町を一望したなら、天に向かって伸びる無数の塔を見ることだろう。
何千、何万――もっともっと、数えきれないほどの塔を。
□
その町の民は誰もが『塔』を立てることに一生を費やす。
自分だけの『塔』を築くことが彼らの生きる目的なのだ。
小さな子供らも親の姿を見てごく自然に塔を作り始める。
彼らは自分の塔をより良いものにするために日々考えを巡らせている。
良い塔の条件。
それは造形が美しく、色鮮やかで、なにより天に届くほど高くあること。
塔を作るのに他の者の力を借りてはならない。
借りた者、貸した物、どちらも災いが降りかかると言われている。
自分一人の力で作ることに意味がある。
□
今年で十六になるその娘もまた七つの頃から塔を作り続けていた。
町の外れにちょうど仔牛がうずくまったような形をした美しい泉がある。
娘の塔はそのほとりにある。
それは十年近くの年月を経て今では見上げるほどに高くなったが、まだまだこれでは天には届かない。
娘の塔の目と鼻の先にはさらに高い別の塔がそびえている。
それはふたつ年上の幼馴染の青年の作る塔だった。
安らぎを呼ぶとされている鮮やかな黄色を巧みに配した美しい塔だ。
娘はそれを見るたびいつも悔しく思うのだが、同時に憧れてもいた。
「私の塔もいつかあれほどのものになるだろうか」
その日も娘は作りかけの塔に登って集めてきた石材や、前の晩に彫刻を施しておいた木材などを積みあげていた。
どの種類の木が丈夫なのか。
どこの沼の泥が乾くと美しい色になるのか。
先祖から伝えられてきた知恵を生かして少しでも良い塔を作らなればならない。
同じように石を積み上げている青年の姿が今日も向こうに見える。
これまでときおり目が合うこともあったが、これといって特別な会話を交わすようなことはなかった。
とにかく塔作りで忙しいのだ。
そこは慎ましく、豊かで、健康な者の多い、そして毎日するべきことのある良い町だった。
良い町には自然と良い季節が巡る。
けれどそういった緩やかな日々が永遠に続くという道理はなかった。
遠く離れた王都に敵国が攻め入ってきたのだ。
そのために町の男たちの多くが戦に駆り出された。
そしてそれは青年も例外ではなかった。
□
それから季節をふたつまたいだ後、青年は遺体となって戦地から故郷に戻ってきた。
その晩、小さな自室で木を削りながら娘は思った。
夜明け前にドアを叩いたのは誰であったろうかと。
その魂だけが一足早く帰郷を告げにきていたのではなかったか。
夢うつつに私は、ドアを開けて彼を招き入れてやっただろうか?
□
翌日、きらびやかで、賑やかな葬祭が執り行われた。
とても美しい葬儀だった。
長寿の巫女は青年の築いた塔を見上げて言った。
「この若さでこれほどの高さにまで築き上げるとは、たいしたものだ。これなら天の神もこの子の身体と魂を見つけてくださ
るだろう」
とても天気の良い日だった。
「しきたりに則って死者に身寄りのない場合は、生前に深く縁のあった者に上まで運んでもらう」
娘はその役目を自らかってでた。
お前のようにか細い腕で登りきれるものか。
村の誰もがそう言ったが娘は譲らなかった。
青年の身体を背負い、縄でしっかりと縛ると娘は塔に指をかけ、登り始めた。
毎日、毎日、青年が作り続けていた塔を。
□
この町には墓地がない。
塔が『墓』そのものなのだ。
彼らは生まれてから死ぬまで自らの墓を作り続ける民族だった。
丘から見える無数の塔は長い歴史の中で天に昇っていった多くの先祖達の墓だ。
高地に住む彼らは天を信仰の対象とし、またそこに楽土があると考えていた。
ゆえに少しでも天に近づこうと墓を高く高く作る。
墓は高く、美しく、色鮮やかなほど神の目に留まりやすいと信じられている。
ある者がこの世を去れば、遺体はその者が生前に築いた墓の頂上に安置される。
そして墓の上で神の目に留まった者は楽土へのお共を許される。
塔はその者の生きた証であり、聖なる場所であるため、他の者は登ることを許されない。
それを許されるのは、遺体を塔の上に運ぶときだけ。
その、たった一度だけ。
□
登り続けるうちに爪は剥がれ、指先は血に染まった。
全身から汗がとめどなく流れ出ていく。
呼吸も定まらない。
下からは楽器の音色と共に歌が聞えてくる。
町で歌い継がれてきた古い歌だ。
町の民たちが歌で死者に別れを告げている。
「あんたの塔、本当に高いね」
登る途中、塔に施された美しい彫刻や絵をいくつも見た。
――翼を広げる鷲。水辺の花。赤い木の実。月と太陽。
どれも青年の好きな物ばかりだった。
娘はその中に自分の名前が彫られているのを見つけた。
微笑んでいる自分の似顔絵も見つけた。
娘は小さく笑ってつぶやいた。
「なんだ、私と同じことしてたんだ」
愛しい人を背負って塔を登る。
頂上が見えてきた。
とても眩しい。
頂上に着いたら、雲間を行きかう神々の衣を見ることができるだろうか。
「綺麗だわ。とても」
□
その後、娘がどうなったのか確かなことは分からない。
青年を背負って塔を登ったきり、二度と降りて来なかった?
その町の歴史の中でもっとも美しく高い塔を築きあげ、百歳でこの世を去った?
町を出て異国へ渡り、そこで静かに暮らした?
断定はできない。
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