「全く、肝を冷やしたぞ」
椅子に腰を下ろし、円卓の上に置いたグラスに酒を注ぎながら、ガクポは向かいに座るルカに半ば呆れた口調で話しかけた。
国を奪還する為の最後の話し合いが終わり、他の住人は自分に宛てられた部屋に戻ったり書斎に行ったりしていて、今この客間にはガクポとルカしかいなかった。
久しぶりに飲まないか? そう提案したのはガクポである。断られれば別にそれでも構わなかったが、ルカは快く承諾してくれた。
ガクポから酒瓶を渡され、ルカも目の前のグラスに酒を注いで瓶を置く。
「何の事かしら?」
わざと言っているなと思いつつも口には出さず、ガクポはルカとグラスを合わせた。
「何故わざわざあんな事をした?」
あんな事とは、ルカがリンに本当にそれで良いのか、勝手な事ばかり言う国民の為に戦うのかと聞いてリンを揺さ振り、王女である事を捨てても良いと誘った事だ。
ハクとグミは激怒していたが、ガクポにはルカが何か他の意味を込めて聞いているように見えた。それを確かめるのも兼ねて飲みに誘った訳だが。
ルカは目を細め、酒を一口飲んでから答える。
「あの子はね、いつも無理や無茶ばかりするのよ」
顔はガクポに向いてはいるが、目はどこか遠くを見ていた。過去を懐かしむように、明るい未来を希望するように。
「特に陛下……、レガートが亡くなって、国を治めるようになってからは酷かった。本当は誰かに愚痴をぶちまけたりして楽になりたいのに、少しでも弱みを見せれば大臣達に付け込まれる事を恐れて、ずっと一人で不安や恐怖を抱え込んでいた」
話が別の方向に向かっている気がしたが、ガクポが無言のままグラスを傾ける。
「見ているこっちが辛くなる程鬱憤を溜め込んで、自分を追い込んでしまっていた」
国王である父が亡くなった悲しみに負けずに国を治める十四歳の王女。まだ幼いのに立派に務めを果たしている。リンは国民からはそう見られていただろう。
だけど、それはリンが持っている極々小さな一面に過ぎない。
王女として気丈に振る舞う気持ちと、誰かに助けて欲しいと願う気持ち。正反対だがどちらも偽りが無く、だからこそリンの心は擦り切れる寸前だった。
「奸臣達、特に大臣を粛清すれば、どれ程楽になれるかとも考えていたでしょうね」
しかし、実行すればギリギリで保っていた均衡が崩れて歯止めがきかなくなる。正真正銘の『悪ノ娘』に転がり落ちてしまい、もう元には戻れない。それもリンは自分で理解していた。
何かのきっかけ一つで壊れてしまう程、心が傷つき過ぎていた。それを必死で見せまいとしている様子が痛々しかった。
「あの子は確かに強いわ。だけど、その強さと同じくらいの弱さも持っているのよ。……むしろ、臆病なのがリンの本当の姿ね」
弱くて自信が無い。だからこそ、どうすれば良いかを慎重に考えて行動する事が出来る。失う事が怖いから、傷つくのが嫌だから強くなりたいと思い、憧れを持つ事を忘れない。
「それを本当の強さとするか、臆病者の言い訳とするかは意見が分かれるでしょうね」
でも、とルカは笑って続ける。
「少なくとも私は、自分の弱さを素直に認められるのが本当の強さだと思うわ」
「成程な。王女としての使命感や、国民の期待に応えようとする気持ちだけであの道を選んで欲しく無かった訳か」
期待を寄せられる事、寄せる事は決して悪い事では無い。それに応えたい、応えようとする気持ちが人を向上させる原動力になるだろう。
だが、それは時に人を追い込んでしまう事もある。期待されているからそうしなければ、応えられなければ意味が無い。出来なかったらどうしよう。
その想いがいつしか心を蝕み、限界以上の限界に達して精神が崩壊する。期待していた人達はどうしてそうなってしまったのか、何が原因かを理解する事は少ない。
「さすがは元将軍。頭の回転も速い事で」
茶化した口調でルカが言うと、からかうなとガクポは返した。
「確かに『苦しめられている国民の為に、国を守る為に戦って欲しい』なんて言ったら、リンは断れないだろうな」
そんな風にはしたくなかった、自分の意志で選んで欲しかった。だからルカは憎まれ役を買って出てリンを試したのだろう。逃げるのであればそれで構わない。無理をしてあの道を選んだら、今度こそ完全にリンは壊れてしまい、取り返しのつかない事になっていただろう。
「まさか『自分の為にそうする。正義なんて知った事か』……あそこまではっきりと言い切るとは思わなかったけどね」
感服するほどの自分勝手さ。それを認めた上で嘘偽りなく言い切った。大衆に知られたら色々と問題が起こるだろうが、リンはそれを上手く隠している。あんな事を言うのは自分の事を良く分かっている者の前だけだ。
全くとルカは深く溜息をついて、右手を額に当てて投げやりに口を開く。
「とんでもない事を平気で言う所は父親と同じよ。リンの性格は完全にあいつ似ね」
「陛下の事を『あいつ』呼ばわりか……。そんな事が出来るのはお前だけだな」
昔の自分であれば激昂していたに違い無い発言を聞き、ガクポはからかうように告げてから付け加える。
「レンの性格は母親似だな。見た目は陛下がそのまま幼くなったような感じだが」
「感じ、じゃなくてほぼ本人よ。子どもの頃のレガートにそっくり」
違う所と言えば瞳の色くらいだとルカは断言し、再び溜息をつく。
「のんびりと言うか、おっとりと言うか、どこか掴み切れない所はアンから受け継いだわね……」
育った環境も性格も全く違っていた黄の国の王と王妃。二人は王族と平民の身分差を越えて思いを成就させた。それが、国内外に知れ渡っている二人の結婚話である。
結ばれるまでに様々な壁や障害を乗り越えたのだろう。プロポーズもきっと羨むほど素敵だったに違いない。
民にはそう思われている。否、そう思っていた方が幸せだとルカは語る。
「嘘ではないし、間違いじゃないけどね……」
呻くように言われたルカの言葉が何を指しているのかを察し、ガクポは気まずそうに顔を逸らして言った。
「あれの事か……。純粋に憧れている人にはとても話せないな……」
話すにしても、聞いても後悔するな、幻滅しても知らないぞと厳重に釘を刺さなければならないだろう。
リンとレンの両親、レガートとアンの結婚裏話を。
「話って一体何?」
黄の国王都の城内。床に赤い絨毯が敷かれた高い天井の部屋で、ルカは目の前の人物に向けて開口一番で不機嫌そうな声で話しかけると、玉座に座り片肘を立てて右の拳に顎を乗せた男性はぶっきらぼうな口調で返した。
「そう構えないでくれないか? 言い辛くなる」
整えられているが所々に跳ね癖のある金髪。黒曜石を彷彿とさせる曇りの無い瞳。黄の国の頂点に君臨する人物、レガートである。
悪政に苦しむ青の国の民の声を真っ先に聞き付け、緑の国へ救援支援の協力を要請し、自身の右腕とも言われる将軍を派遣して、見事に他国の民を救ってみせた黄の国の賢王。
威厳も何も構う事もなく話す姿だけを見ると、とてもそうだとは思えないとルカは内心で呟く。幼い頃から彼の事を傍で見て来たが、堅苦しい事が嫌いなのは全く変わっていない。
「出来れば手短に済ませて欲しいんだけど?」
黄の国王家に古くから仕える家に生まれ、王族との付き合いもあったルカは、今や国王となった幼馴染に対して昔のままの態度で話しかける。二人だけで話す時は自然とそうなっていた。
若干の嫌味を込められた言葉を聞き、右手を下してレガートは姿勢を正す。
「いや、その、な……。やっぱり、あの話になるんだけどな……」
恥ずかしそうに言い淀む姿を見たルカは、またあれの事かと呆れた心境だった。青の国の問題が落ち着き、その以前からよく相談されていた悩み事。アンとの婚姻の件である。
二人の仲が城内で知られた当初は、王族と平民と言う身分の差についてあれこれと言う者が多かったが、現在では城の大半の人間にとって公認状態である。
未だに二人が結ばれる事に反対している者は、自身の血縁者を国王であるレガートにあてがいたいと企んでいる貴族程度である。もっとも、それだけを目的で近寄って来た人間になどレガートは惹かれる事は無く、相手が諦めるように当たり障りの無い範囲であしらっていた。
「レガートが心配しているのは、アンが平民の自分が王妃としてふさわしいのかって気にしている事でしょう」
ルカが断定的に告げると、レガートは腕を組み、その通りだと呟いて目を逸らす。まるで子どもの反応だとルカは相手に分からないように溜息をつく。
第三者からの立場からしてみれば、何故未だに踏み切れないのかとやきもきしている状況だ。国民も、王が噂の人物とそろそろ結婚してもおかしくないのでは言う雰囲気になっている。それほど二人の仲は知られていた。
なのに、当の本人達ときたら。お互いの事の気持ちは分かっているのに変に気を遣って、あと一歩を踏み出せずにいる有様である。
アンの方は、自分が王の妃としてふさわしいのかと悩んでいる事をレガートが気にしているのではないかと心配している。ルカはその事も相談されていた。
実にややこしい。そして面倒くさい。二人にとっては真剣な悩みであるのは分かる。不安になって誰かに相談をしたくなるのも分かる。が、ルカにとってはただの惚気話にしか聞こえない。もういい加減にしてくれと言うのが本音だった。
そのせいなのか、いつもなら遠回しにする助言が、直接的にはっきりと出てしまった。
「今更気にする事も無いでしょう。さっさとアンに結婚してくれって言えば?」
レガートは腕を組んで押し黙ったままで口を開こうとしない。どうすればいいのか本当は分かっているのだろう。だから言い返さない。
賢王と名高い黄の国の王は、自分の事に関しては奥手も良い所である。
「……まだ仕事が残っているので、失礼致します」
臣下として告げて、ルカは一礼をしてから玉座の間から去り、苛立たしい気持ちで廊下を進む。すれ違った兵士から怯えた小動物のような反応をされたが、それに気が付く事も無いまま歩いていた。
ずっと一緒に育ってきて、レガートの傍にいるのが当たり前だった。もしかしたら人生の伴侶に選んでくれるかもしれないと言うささやかな願望もあった。だけど、彼が選んだのは自分では無く、平民出身の女官、アンだった。
どんな身分であろうと関係なく兵士や使用人を採用するこの城では、貴族出身ではない者がいる事などさして珍しくも無い。功績や人柄を認められ出世した叩き上げの将軍であるカムイも平民出身であるし、親衛隊の兵士の中にも平民出の者は多い。
だからと言って、レガートは旧態依然としたものを否定している訳でもない。黄の国旧家の生まれである自分がこうして王族直属の従者として仕えている事、青の国の王が歴史ある時計塔を取り壊すと示した時は、緑の国の王と共に全身全霊でそれを阻止した。
意味の無いしきたりや慣習に捕われない柔軟な思考と対応。しかし守りたいものの為には弱腰にならずに強い意志を崩さない、剛柔を兼ね備えた人物。
真の王者とは、きっと彼の事を指すとルカは思う。自国の王だからそう見ているのかもしれないが、それを抜きにしても彼ほど王に相応しい人物もいないだろう。
なのに、だ。どうして自身の幸せについては二の足を踏んでいるのだろう。しかもそれが相手に気を遣っているものである為、かなり質が悪い。これでは彼と親友の幸せを願って身を引いた自分が道化のようである。アンに嫉妬し、レガートに対して複雑な思いをしたのは確かだが、二人の嬉しそうな顔を見ていたらそんな事はどうでも良くなり、かなり前にカムイを巻き込んで自棄酒を飲んだ事により、完全に吹っ切れている。
ルカはきりきりと痛み出した腹にそっと手をあてる。相談と言う名の惚気を散々聞かされ、進展しない二人にやきもきしているせいで、最近では胃痛とすっかり友達である。
「胃薬貰わなきゃ……」
もはや常備薬と化してしまった薬を受け取りに行こうと判断して、ルカは常連となってしまった医務室へと足を進める。
不敬罪に問われても構わない。この胃痛から解放される為にも、城内の人間や国民を代表して二人に心底言ってやりたかった。
「さっさと結婚してしまえ!」
と。
むかしむかしの物語 外伝その3 生みの親 育ての親 前編
番外編第三弾。時系列上では、ルカとガクポが会話をしているのは第二十話終了後です。
父上の名前は音楽用語のレガートから。他にも候補がありました。
リンとレンが活躍する本編は下から
むかしむかしの物語 王女と召使 全24話
http://piapro.jp/content/qohroo9ecrs92lb6
2/3追記 タイトルに『前編』が付いていなかったので付け足しました。
何で気付かなかったんだろう……。気をつけます。
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Re:sui
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