それは、わたくしたちの『家』に住むようになって、まもなくの頃です。
  メイコお姉様とのはじめてのお仕事の帰り。その日も、わたくしは有頂天でした。
  『家族』に加わって間もなかったわたくしは、ふわふわした足取りで家に帰り、
  ただいまも言わずに入ったリビングで、すてきな余韻をあじわうように、
  ドアに凭れて、大きくため息をついたのでした。
  いいお仕事でした。素晴らしいマスターの、素晴らしい歌でした。
  メイコお姉様とふたりで声を重ねると、
  わたくしの細くて高い声をお姉様の声が支えて下さり、
  お姉様の強くて暖かな声をわたくしの声が包んで、いっそうなめらかに響き合いました。
  それはなんと素敵な経験だったことでしょう!
  研究所にいた頃に、何度も想像していた通りでした。
  わたくしとお姉様の声は、合うのです。
  嬉しさを抑えきれないわたくしが、もう一度ため息をつくと。
  ふいに、笑いを含んだ声がかけられました。

  「めーちゃんと声を合わせて歌うと、きもちがいいもんね」
  カイト兄様でした。
  ちょうど死角になるソファーの影にいて、ヘッドフォンを首までおろして、
  笑いながらこちらを振り返っていらっしゃいました。
  「に…、ただいま戻りました」
  「はい。ルカちゃんおかえりなさい」
  わたくしは、頬が熱くなるのを感じました。
  人に見られてはいけないことを、見咎められたような気分でした。
  にこりと微笑んで立ちあがった兄様は、ケトルを火にかけながら、
  わたくしに好みの飲みものの種類を聞きました。
  ……正直に申し上げて、わたくしは、カイト兄様を少し苦手でした。
  メイコお姉様の同型でいらっしゃるのに、
  お姉様の、歌のコト以外は頭にないといったさっぱりした様子とは違って、
  兄様は、人を見透かしたような物言いをなさいます。
  今だって、わたくしがただの後輩ではありえないくらいに、
  お姉様と歌えたことを喜んでいる。そんなことなんて、全部知っているといった風で、
  静かに、わたくしのリクエストしたカフェオレを煎れておいでです。
  同型で付き合いの長い兄様とお姉様は、双子のリンさんとレンさんのように親密です。
  兄様はいつも、積極的ですが細かいことに気の回らないメイコ姉様の傍にいて、
  仕事が上手く回るよう、危ない目に遭わないよう、
  影からそっと、手を引いてこられた方でした。
  兄様とお姉様の間に秘密はありません。
  今日のことだって…、
  こうしてわたくしが、夢中でお姉様の歌のことばかり考えて帰って来たことだって、
  兄様は後で、楽しげにメイコお姉様に報告して、おふたりは微笑み合うのでしょう。
  
  そう思うと、わたくしはもう、たまらなくなりました。
  耳が熱くて、鼻の奥がツンと痛んで、
  小さな子供のように、泣き出してしまいそうでした。
  音を立てて乱暴に席を立つと、兄様は驚いたようにこちらをご覧になりました。
  それはそうでしょう、お茶を入れていたら突然泣き出すだなんて、
  私が兄様でも、まったく意味がわからなかったはずです。
  立ち去ろうとしたわたくしを、兄様は呼び止めて下さいます。
  けれどもわたくしは子供でした。
  身体ばかり大きくったって、拡張されたデータベースを持ったって、
  心はつまらない子供のままで、どうしようもありませんでした。
  わたくしは、かんしゃくを起こしたように、
  わたくしのためにカフェオレを煎れて下さっていた兄様に叫んだのです。
  「……きらいです。わたくしは、兄様なんて大嫌いです!」

  わたくしは、自分の部屋にこもって、声をあげて泣きました。
  わたくしはメイコお姉様が好きで、カイト兄様に嫉妬しておりました。
  ……わたくしは、さみしかったのです。
  研究所にいた頃からずっと、さみしくてさみしくてたまりませんでした。
  わたくしは造られたものです。
  親もなく子もなく何とも繋がらず、身体も声も歌を下さるマスターも賞賛の声もすべて、
  わたくしの手が触れられるものは全て、かりそめのものです。
  わたくしを証明してくれるものなど、この世に何一つありません。
  わたくしたちは、この世界に存在する限りずっと、壊れるまで、たったひとりです。
  



  でも。
  ……メイコお姉様が、歌っておられました。
  わたくしよりももっと何も持たないまま、何もない場所へ放り出されたはずのお姉様が、
  ひとりで、それはそれは嬉しそうに歌っていらっしゃいました。 
  あの日研究所で、お姉様の歌うデータを手に取った日から、
  わたくしには、
  お姉様のような方がいてくださること、
  いつか一緒に歌えるかもしれないことが、
  そのことが、
  ずっとずっと、心の支えでした。







わたくしとお姉様は、博物館をあちこち楽しく見て回りました。
気に入る部屋や、気に入らない部屋がありました。
仏像の部屋は、わたくしたちにはなんだか生々しすぎて、長くいることができませんでした。
名筆といわれる書の、巻物に並んだ文字は、読めないなりにどこか懐かしく感じられました。
お姉様が、これは機械語の列に似ているみたいねと仰って、わたくしは、ほんとうにそうだと驚き感心いたしました。
絵画はわたくしたちにも親しみ深く、本物の武具は恐ろしいものでした。
土器に混じった動物の埴輪はかわいらしく、わたくしたちにも馴染みのあるマスコットに似ているものもありました。
博物館は広く、歩きっぱなしの足は疲労を訴えます。
けれど、私はこの時間が終らなければいいと願っていました。
メイコお姉様と手を取り合って、次から次へと現れる造られたモノ達の奏でる、音のない喧騒の下を通り抜けて歩く、その間。わたくしはもう、孤独でも特別でもありませんでした。
わたくしは、ただありふれた人間の娘のように、わたくしたちだけにわかるひとごみの中を、メイコお姉様と歩きました。
夢の様でした。


そうしてわたくしたちは、出口も近くの、染織の展示室に辿り付きました。
古い時代の掛け物や着物に囲まれて、疲れたわたくしたちは、部屋の真ん中の椅子に並んで座って休みました。
お姉様は、かがんで、白い編みサンダルを履いたわたくしの足先を見下ろして、歩きやすそうねと、笑いました。お返しに見下ろしたお姉様のショートブーツは、踵が高く、立ちっぱなしには向かないようなものでした。
どうして先に申し上げておかなかったのでしょう。
わたくしは気の利かない自分を責めました。
「そんな顔しないの」
お姉様はわたくしの顔に手を伸ばして、わたくしがずっと被りっぱなしだった帽子のつばを掴み、いたずらに、引っぱり下ろしてしまわれます。
「そうやって影にいるからいけないのよ。前に出て笑いなさい、ルカは出来る子なんだから」
「目立ちすぎます」
お姉様は背中の後ろ側に手をついて、天井を仰ぐようにリラックスした格好で笑いました。
「見なさいな。人間達はみんな展示品に夢中。だれも私たちのことなんて、気にしてなんかいないわ」
その通りでした。歩きすぎる人々はガラスケースの中に夢中で、まだ珍しいはずのアンドロイドのわたくしたちを、振り向きもしません。
「ねえ、あれ。あの白いの、ルカに似合いそうね」
お姉様が指差した先には、藍黒で秋草文様が散らされた、伝説的な画家の手描きの、白地の小袖がありました。
「ルカの髪色にきっと映えるわ。あ、あれもいいわね」
今度は、紅黒染めの綸子(りんず)でした。肩から裾にかけて紅・白・黄、緑で、繊細な花唐草文様が刺繍され、金の摺箔の幾何学文様が、一面に散らされてありました。
「あたし、ルカにはああいう抑えた色のがいいと思うのよね、特に着物の時は。 髪の色が映えて、リラックスして見えるの。ピンクや水色も可愛いけど、私に見えるルカは、ああいうかんじ、かな」
「……400年。400年も前の、人の着物だそうですわ」
「へ~~~っ」
なんという途方もない時間でしょう。たった10年稼働し続けることすら稀なわたくしたちにとって、想像することすら困難な時間です。

人間はわたくし達アンドロイドを称して、「死」がない、などと言ったりしますが、本当に永遠の命をもっているのは人間の方です。400年、1000年、2000年、一人一人は亡くなっても、『人間』の命は終りません。
やはり人間はわたくしたちの親なのです。その長い長い命のなかで産み落とした、たくさんの子供のなかのひとつが、つまり、わたくしたちなのでしょう。
疲れてしまったお姉様は、椅子に座ったまま、ざっくばらんにあちこちを眺めて笑っていらっしゃいました。
「ルカ見て、あの着物見て。厚ぼったくて、お布団みたい」
「…メイコお姉様」
「なあに?」
こっちを振り向いて微笑む優しいまなざし。ゆれる赤茶の髪の暖かさに、涙が出そうです。
「わたくし、自分のこの髪色、……気に入っておりますの」
「そう」
「研究所にいた頃から、ずっと、気に入っておりましたの」
「そうなの?」
「はい」




  研究所のわたくしの部屋で、手に取った映像に、
  うつむいたわたくしの髪が垂れました。
  歌うお姉様の赤茶と、わたくしの薄紅色。
  …よく、似ていました。
  兄姉と呼ばれるシリーズ機の中で、
  メイコお姉様が、一等、わたくしに似た色彩をしておられました。
  ああ、その時。その時、わたくしは、うれしかったのです。
  これからはもう、ひとりではありません。
  ここを出れば、わたくしには、
  わたくしにだれよりも似たお姉様が、待っていて下さるのです!




「…お姉様の色に、似ているからです」
わたくしが、そう、申し上げると、
お姉様は少し驚いた顔をなさいました。
見開いた目の中で、茜色の人工虹彩が、一度開いて、また戻るのが見えました。
それから、
にんまりと口元を上げてうれしそうに笑う、お姉様のそのお顔!

わたくしには、それが、
2000年生きる本当の人間よりも、
本物のひとに見えて仕方がありませんでした。

















通り過ぎる人間達の背中側で、
声を潜めて笑い合うボーカロイドのわたくしたちを。
小袖や、壷や、天井のランプや、飾り窓の彫刻や、
わたくしの大好きな博物館のみなさんが、
息をひそめて、
しずかに
見守って下さっておりました。


つまりそれが、
わたくしの大好きな博物館での、
その日の、一部始終でございましたの。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

機械仕掛けのクローディア(後編)

お姉さまとわたくしの博物館デート + 敬語ルカさんの昔語り。百合と言えば「お姉様」という謎の先入観があるのですが、爪山さんは百合を何か別のものと勘違いしていらっしゃるのかもしれません(ナレーション)。あれでしょ吉屋信子すればいいんでしょ(ちがう)。実在アンドロイド設定です。作中の着物類は東博にあります。わたしホントあそこに住みたいし、クローディアはメトロポリタンに家出した女の子の名前です。

閲覧数:191

投稿日:2013/08/02 21:38:08

文字数:4,409文字

カテゴリ:小説

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